第11話 ニルス、速報を聞く


 マルタ市場で「微睡の一滴まどろみのひとしずく」を手に入れたルークは、その日「ソサエティ・スクープ」のオフィスに薬を持ち帰っていた。


この薬が市場に出回り始めてから数日後、CoT七番街に捜査網を張り巡らせていたソサエティ・スクープは、この「微睡の一滴まどろみのひとしずく」の噂をどこよりも早く仕入れていた。飛ぶように売れているこの薬だが、その効能にも関わらずまだその薬の成分を分析した者はいなかった。


そして、誰が、何のためにこの薬を作ったか、は謎に包まれたままだった。だが、マルタ市場で唯一「微睡の一滴まどろみのひとしずく」を扱っているタタ薬品店に目をつけていたルークは、「お金を集めに来た」という人物がいることを聞きつけ、その人物との接触に成功した。黒い外套に身を包んだ西洋風の男性は、多くを語らなかったが、薬についてよく知っているのは確かだった。それに、自分を家に連れていく、とその場から引き離した女性の存在も怪しかった。


 薬を手に入れて以来、神出鬼没のこの男性を追跡するようになってから一週間、ルークはついに確信的な事実を掴んだ。


普段は「シビル・ボーダーライン」より東側の人民はほとんど出入りをすることのない「移民街」に、男性が姿を現したのである。「ニルス」と呼ばれるその男性は、大量の「お金」が変形したものと見える起爆剤のような「武器」を子供たちに与えていた。白いワンピースに身を包んだ少女との会話までは聞き取れなかったが、この男性が子供たちに特別な思い入れがあることは確かだった。一部始終を目の当たりにしたルークは、物陰から、「ソサエティ・スクープ」本社に連絡を入れた。


「この前、ぼくが「微睡の一滴まどろみのひとしずく」を購入した男性を見つけましたよ。おそらく彼が開発者です。この薬については、十分資料が集まりました。明日にでも、特大スクープとしてお届けしましょう。」


ルークがニルスの方へ眼をやろうとすると、既に彼はその場にはいなかった。


「「微睡の一滴まどろみのひとしずく」といい、今まで誰も焦点をあててこなかった子供達との交流といい、彼は天才ですね…。本当に救世主になるかもしれません。それにしても、「渇望の病」はどうなっているのでしょうか…? 静まり返ったように何も聞きませんが…。まるで、嵐の前の静けさのような…。」



ルークの予想通り、「渇望の病」は着実に進行していた。だが、政府でさえ、そのことを知り得なかった。


GAPPA企業群は、「販売経路に関するカルテル」によって、ネットワーク内での商品の流通を8割、オンラインネットワーク外での流通を2割に調整し、「販売数量に関するカルテル」によって、消費者の購買の集中を防ぐために、時間帯による管理を徹底した。企業群の代表加古亜紀人かこあきとは、あくまで政府の目をくらますため、として、自殺者への加担はしないものの自殺者を計上させないように、「自宅」での購買を徹底させた。


そしてこの策略は、時を全く同じくして動いているある作戦と重なった。

 

それは、ニルスが開発した「微睡の一滴まどろみのひとしずく」である。


この薬は、騒音や妨害するものが少ない室内にとどまり、1時間ほど安静にしておくことが服用時の条件であるため、服用者を室内へと誘導してしまう。もし万が一、薬の副作用や効能の未出現により「自殺」が起きていたとしても、それを知るのは極めて難しかった。


 東京の人民や、ニルス、GAPPAのCEO達でさえも、「渇望の病」による自殺者の様子を、知り得なかった。街は、静まり返った。


だが、その沈黙は、ある日突然、緊急速報にて、破られた。


ソサエティ・スクープが、国民の「アイ・シールド」を通じて、速報を届けたのである。それはニルスがhall in the wallを後にした日の翌日、ルークが彼の存在について知った日の翌日のことだった。


 


アイ・シールド上には様々なニュースが溢れているが、大見出しに興味を持った国民が、自動的にその内容を聞くことを選択できるようになっていた。最新情報にはめっきり強いソサイエティ・スクープの同時アクセス数は、時に数百万を超える。ニュースを開くと、いつもの通りルーク・ギレンホールの溌剌とした声が響く、はずだった。だが、今回は暗澹たる声質であった。


「国民の皆さん、アクセスをありがとうございます。」


「ソサエティ・スクープ社会班より速報です。我々独自の調査により、「渇望の病」は急速に広まっていることが明らかになりました。東京の政府は未だその全貌を把握しきれていませんが、取材班の張り込みにより、「メトロポリタン・エリア」さらにその先の「シビル・ボーダーライン」の家庭で自殺者が増え続けていることがわかっています。


この病の感染力はとどまることを知りません。調査に応じた複数の家庭では、病の感染を恐れ、感染者、さらには死体にも近づかないと恐怖の心情を吐露していました。

しかし、なぜ室内での自殺者が増えているのか?なぜ、屋外の人民の流出が減ったのか?に関しては謎に包まれたままです。一説によっては、政府が我々国民の購買品を管理するとの発表があってから、GAPPAがその流通スタイルを変更したとのことです。まもなく、政府からGAPPAに対する取り締まりが入るでしょう。」


ルーク・ギレンホールは、そこで一呼吸置くと、さらにつづけた。


「しかし、安心してください。我々の窮地を救う、救世主が現れたのです。その名も、謎の紳士ニルス。この人物は、皆さんに「どんな娯楽でも体験させる妙薬」を「メトロポリタン・エリア」のいたるところにばらまいています。この薬は、どうやら「死にたい」という気持ちを消し去る効能を持っているようです。薬は飛ぶように売れ、今やニルス氏は東京中の富を一気に集めるほどの財を成す勢いです。都内でも扱っている商店は数少なく、ほとんど秘密裏に行われているようですが、皆さんもこの薬を買い求めてはいかがでしょうか?」


 そのニュースを、ニルスは薄暗い小屋の自室で、静かに聞いていた。


このニュースを発表したのは、紛れもなく「マルタ市場」で「微睡の一滴まどろみのひとしずく」をニルスから直接購入しようとした青年であった。ニルスの読みは当たっていた。あの時、決して自分の名前を伝えることはなかった自分の選択は間違っていなかった。だが、青年はすでに自分の名も、薬を開発したことも知っていた。


ー「エンジェルズ・ハイドアウト」に張り込んでいたのか。


ニルスは、ソサエティ・スクープのやり方にはつくづく恐れ入った。

だが、悪評を垂れ流しているわけではなさそうだ。ニルスが危惧するのは、政府に薬が取り締まられることであった。「麻薬」などとの評判が立てば、ニルスは追われる身となってしまう。


いくら素性を明かしていないとはいえ、今後薬の売上の回収へ向かうのが難しくなった。

(いずれは、こうなることは分かっていた。僕も、そろそろ追手がつくかもしれない。そうしたら…)


ニルスは、手元のカップに入ったダージリンティーを、くるくるとティースプーンでかき混ぜた。おそらく、このソサイエティ・スクープは、子供達との交流も知っている。その上、ニルスの素性を明かすためにスパイを送り込むはずだ。


(子供達だけは、僕が守り切る。僕の作戦を、邪魔させはしない。)

ニルスは拳を強く握りしめた。


だが、仮面を外した時だけに現れる「悲しみ」の感情を成分とした治療薬は、製薬に大変な苦痛を伴う。ニルスが目的を達成し、望んだ世界を創造するまで、あと一歩のところまで来ているはずであった。


そして、予想外の展開に襲われたのは、ニルスだけではなかった。


★★★


「GAPPAのカルテルまで、探りを入れられているのか…。政府の取り締まりもそろそろ始まりそうだな。」


GAPPA企業群のうちの一社、APCの代表加古亜紀人かこあきとは、同じくニュース速報を聞いていた。


「一体、この「ニルス」という男は誰なんだ?「微睡の一滴まどろみのひとしずく」が「渇望の病」を治す、だと…?」


加古にとっては、治療薬が存在していることが信じ難かった。この薬が真っ当な治療薬であれば、対比的にますますGAPPAの企業群が悪役に仕立てられる可能性があった。


(私の使命は、日本市場でのGAPPA企業群の影響力を保ち続けること。我々が日本の政治への架け橋を掴むまでは、屈するつもりはない。)


若くして時価総額世界第三位に君臨する企業のCEOとなった加古は、野望を持っていた。


日本における、政治の支配権を握ることである。

加古は、自身の目的の達成のためなら手段を選ばない冷血な指導者として名高かった。今回日本で「自殺者」が増え続けていることは、自身の会社、強いてはGAPPA企業群の圧倒的な覇権の副産物とさえ思っていた。


(私は、ただ自分の会社を守り抜くだけだ。僕の会社の座は誰にも譲らせはしない。国民には、悪いが支持をされ続ける必要がある。多少の犠牲が出ようともね。)


ソサイエティ・スクープによるニュースは、まだ続いていた。


「とにかく、今は政府からの発表を待つしかないですが、国民の皆さん、特に都民の皆さんは、自分で自分の身を守ることを徹底してください。お金に余裕がある方は、「微睡の一滴まどろみのひとしずく」を買い求めることも検討してください。「渇望の病」から一切身を遠ざけるのも効果的でしょう。我々国民一丸となって立ち向かうのです。ニュースは以上です。」


ニュースを聞き終わった加古は、鷹揚に腰かけていたチェアから、ゆっくりと立ち上がった。

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