第10話 ニルス、価値あるものを渡す
「
ニルスのもとに、予定通り、大量のお金が入った。
ニルスは、この時を待っていた。
二分化された東京を、一つにするきっかけが生まれるのを。
子供たちに、「価値あるもの」を渡すことによって。
子供たちにお金を回す、それはニルスにとって「お金自体」を渡すのではなく、「お金と同じ価値があるもの」を渡すことを意味した。ニルスはこう信じていた。物質的な豊かさは、必ずしも人生を豊かにしない、と。
ニルスは、「道化師(ピエロ)」である。
人を「笑顔にする」ことを、生業とする人物である。
そのニルスが、「お金」を「史上最高のエンターテインメント」に変えることを、ついに実践する時が来ていた。
マルタ市場を後にしたニルスは、今日も「エンジェルズ・ハイドアウト」”
「あ!ニルスだ!」
ジュードがニルスを見つけるや否や叫んだ。彼の発明品である“アタリ“を改造したのか、そばにある壁で、それが張り付いたり離れたりを繰り返している。隣に、買い物かごを抱えたエンジェルが見える。ジュードは、すぐに「アイ・シールド」を通じてライラックを呼んだ。まもなく、いつもの3人が集まる。
「やあ!ジュード!」
今日も、子供たちは変わらない様子だった。
(さあ、いよいよ、試す時がきた。)
目をゆっくりと瞑り、胸元に手を置いたニルスは仮面の下で一度かすかに微笑むと、大きな茶色の鞄を足元に置いた。
ニルスの前に、いつの間にか多くの子供たちが集まっていた。
「今日は、何を見せてくれるの?」
子供たちが口々に質問を投げかけてくる。ニルスは答える。
「今日は、今までで一番凄いものをみんなに見せてあげる。」
「えっ!すごい!早く見たい!」
子供たちの目が輝く。エンジェルが、静かに微笑んで頷く。
「それじゃあ、始めるよ!」
ニルスは、少しかがむと鞄を開け、煌めく何かを両手で掴んで取り出した。
「さあ、僕はみんなに一つ質問をしたいんだ。」
二十四の瞳が一斉にニルスを見つめて、一体、この自分たちをワクワクさせてくれるヒーローみたいなお兄さんが、何を言うのかと、注目する。
「君たちが、「一番価値があると思うもの」って何かな。」
「えー、ニルスさんの言っていること、むずかしくてわかんない…!」
一番年少と思われる少年が、不思議そうにニルスに聞く。
「安心して、簡単なことよ。あなたが、一番大事だと思うもの、のことよ。」
エンジェルがその子に伝える。
「そっか…ぼ、ぼくは、兄ちゃんと作ったロボットが、一番大事!」
要領の良い少年に、ニルスは頷く。
「あとは、絶対になくなったら困るものとか…。」
いつのまにかその場にいたライラックが、その場にいるみんなに教えるように、小さな声で言う。
「ライラック、そうだね。みんなは、理解してくれたみたいだね。それじゃあ、みんな、目を瞑って。」
ニルスがそういうと、皆ぎゅっと目を瞑った。
次の瞬間、ニルスは両手に握っていた何かを、一気に空中に放った。
それは、無数のコインだった。ニルスが、「微睡の一滴」を売ったことによってえたお金だ。だが、そのコインは、子供達それぞれの目の前にとどまり、浮かんでいる。ニルスは、皆に伝えた。
「今、君たちの目の前にはね、コインが浮かんでる。君たちが「一番価値があると思うもの」を頭の中に思い浮かべて、準備ができたら、目を開けてそのコインを掴むんだ。」
子供達はニルスに言われた通りに、心の準備ができた時に目を開けて、それぞれコインを掴んだ。
だが、何も起こらない。子供たちは、思わず顔を見合わせる。
「あれ?今日のショーって…これだけ?」
先ほどロボットが一番大事だと言った少年が寂しそうにニルスを見つめる。
ニルスは、仮面の下で微笑む。
「ううん、ショーは、これからだよ。さあ、君は、さっき「お兄さんと作ったロボット」が一番大事だと言ったね。コインを掴んだ時、頭の中にロボットを思い浮かべたかな?」
少年は、大きく頷く。
「よかった。それじゃあ、その手の中にあるコインを、思いっきり空中に投げてみて。」
その言葉を聞いた少年は、コインを勢いよく片腕を振って数メートル上に放り投げた。
その時だった。そのコインは、パンッという音を立て、小爆発を起こして散った。
少年は驚いてニルスを見る。
「わあ!今、コインが、もえて、なくなっちゃったよ!あれぼくがやったの?」
「そうだよ。」
ニルスが頷くと、少年は信じられない、という風にぽかんと宙を見つめている。
「いいかい。今日の主役は、僕じゃない。今日は、君たちがショーを作るんだ。」
それから子供たちは、少年と同じようにコインを宙に放った。パンッ、という音が重なり合ってて大きな波形を作り、レンガに囲まれたこの場所に響く。初めて見る「爆発」という恐怖もあったが、子供たちの目は輝いていた。幾度となくニルスに魅せられてきた少年少女達は、強い憧れをニルスに持っていた。だから、自分たちが憧れの存在に近づいた気がして、それが何よりも嬉しかった。
「でも、どうしてコインがああやって弾けるの?ぼくは、どうやってやったの?」
少年の隣にいた兄が尋ねる。子供達より少し上に立って満足そうに腕を組み、皆の様子を見ていたニルスは、口元に微笑みを浮かべながら、答える。
「あれは、普通のお金じゃないんだよ。君がロボットのことを大事に思う気持ちが、あのコインにはこもってたんだ。」
「でも、ぼくたちのコインなくなっちゃった…。一回使ったら、みんななくなっちゃうの?」
子供たちは残念そうに言った。
「一つのコインは何度も使えないけど、大丈夫。まだコインは沢山あるんだ。今日はこのコインをみんなに渡しに来たからね。」
そう言ってニルスは自分の鞄を指さす。特別な力が込められたこのコインを、ニルスが鞄にぎっしり詰めてきていた。立っていた屋根から降りると、ニルスは説明を始めた。
「このコインは、”
まだコインを握りしめたまま、隣で熱心に話を聞いていたエンジェルが、不安そうな表情を浮かべている。
「ねえ、ニルスさん…。これは、今までのニルスさんのショーとは違うわ。こんなの、危なすぎるもの。これを私たちに渡すなんて、何か理由があるの?」
ニルスは、エンジェルが自分の「ショー」を良く思わないだろうことを、わかっていた。
「そうだね…。このコインは、どうしても君たちに持っていてもらいたいんだ。これを使えば、君たちは自分の力で、自分を守ることができる。君たちが大事にしている物が、君たちを守ってくれるんだ。それは、ここにいる君たちにしかできない。」
「どうして?私たちがここにいれば、「身を守る」必要なんてないわ。だって、「渇望の病」は「メトロポリタン・エリア」で起きているんでしょう。ニルスさん、言ったじゃない。私たちの住むところでは病が起こらないって。」
「…。確かに僕はそう言った。だけど、理由はそれだけじゃないんだ。」
「それだけじゃないって、どういうこと?」
「身を守るのは、「病」からだけじゃない。」
「「病」以外に、何があるっていうの? ここには、私たちを襲う人なんていないわ。”外”に出れでも出ない限り…。」
そこまで言って、エンジェルははっとしたようにニルスを見る。
「
「君たちは、ずっとここにはいられない。君だって、わかっているはずだろう。」
ニルスが子供たちを見つめて静かにそう言うと、エンジェルの目に怒りの炎がともった。
「私たちがこれからどうするかは、私たちが決めるわ。わたしは、ここにいる子たちを危険な目に合わせることは絶対にしたくない。」
いつの間にか、エンジェルの目は涙ぐんでいた。
「ここにいては、私たちは「メトロポリタン・エリア」の人たちと同じように自由が与えられて、なんでも選べる生活なんてできないこと、わかってるわ。私たちにとっても、外の世界の方がずいっといいこともね。ジュードはとっても頭がいいし、ライラックは芸術の才能があるわ。そんなの、外の世界に行った方が、あの子たちにとって良いに決まってる。だけど、前にニルスさん言ったわよね、「シビル・ボーダーライン」の向こうの人たちは、真新しいものに常に飢えてる、って。「移民街」出身の私たちのことを見つけたら、「娯楽の対象」、「
エンジェルの言葉を聞いたニルスは少し考えるような仕草をして、ため息をつく。
「君が言ったことは、確かに正しいよ。だけど、心配しないでほしいんだ。僕は繰り返しこうも言っているだろう。」
涙をこらえ、うつむいていたエンジェルは、少し顔を上げる。
「君たちは、僕がどんなことがあっても守るって。僕は、君たちにはできるだけ多くのことを渡しておきたいんだ。君たちがこの街を出る、その日が来た時のためにね。」
「ニルスさん、私たちに、本当にそんな日が訪れるのかしら…。」
しばらく黙っていたエンジェルは、やがて少しだけ口に笑みを浮かべて、ぽつり、とつぶやく。
「でも、どうして、ニルスさんは私たちのことをこんなに気にかけてくれるの?私たち、ニルスさんのこと、ほとんど知らないのに。」
エンジェルの問いかけに、ニルスは反射的に答える。
「僕は、君たちのことが何よりも大事だから。君たちを幸せにするって、この東京に来て、君たちに出会って、一番最初に決めたことなんだ。」
「本当に、ほんとう?私たちは、今でも幸せなのよ。私たちを「幸せにする」ことで、ニルスさんは、ほんとうに幸せになれるの?」
その問いかけに、ニルスは少しだけ間をおいて、答えた。
「なれるさ。だけど、僕は「
「わからないわ…。だけど、一つだけわかることがあるの。」
エンジェルは、胸に手を置いて、ニルスの目をしっかり見て、こういった。
「わたしは…。何があっても、ニルスさんの味方よ。」
その言葉は、なぜかその日は、周りの大気を吸い込むようにして、より一層凛と響いた。ニルスは、その言葉に、決意を固めた視線をエンジェルを向けた。
「ねえ、エンジェル。君は僕の気持ちがわかるんだよね。」
エンジェルは始め驚いたようにニルスを見たが、やがてゆっくりと頷く。
「ええ、わかるわ。ニルスさんは、仮面を着けて、その下の気持ちを隠している。そうでしょう? ニルスさんは、いつも私たちを楽しませてくれるのに、とっても悲しそう。その仮面をとったら、一体どうなってしまうの…?」
「僕は、この仮面で感情をコントロールしているんだ。僕がこの世界でコントロールができるのは、「喜び」の感情だけだから。だから、僕はこれで、「悲しみ」の感情を制御している。」
「悲しみが制御できないって、理解ができないわ。ニルスさんは、私たちとは違うの?」
「ほんの少しだけね。僕は、約束を果たすためにここへ来たから、僕は少しこの環境に慣れていないだけだ。」
エンジェルは、聞きたいことがいくつもあったが、それ以上を聞こうとしなかった。ニルスという存在を知ることで、遠くなりすぎるのが怖かった。
「君がね、僕の味方になってくれるなら」
ニルスは再び口を開いた。
「僕の感情が抑えられなくなった時に、僕にそっと教えてほしいんだ。僕がここへ来た目的をね。僕の目的を達成するためなら、僕は命だって燃やす覚悟だ。」
そう言ったニルスの感情を、エンジェルは読み取ることができなかった。だが、やがてニルスを見つめていった。
「約束するわ。私だって、この街のみんなだって、ずっとニルスさんの味方よ。」
そう言いながら、エンジェルはニルスをぎゅっと抱きしめた。
「君は…。」
少しだけ戸惑った様子のニルスだったが、やがて仮面の下で一緒だけ微笑むと、エンジェルの小さな体を、両手で優しく包み込んだ。
「やっぱり、ぼくの思った通りだ。」
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