第9話 ニルス、謎の少年に会う


「君は…。」


見たことのない少年だった。

その少年は、3人の会話を聞いていたのか、自分の薬について質問を投げかけている。


ニルスは今この状況に置かれて、少年の問いかけに対する答えを慎重に選ぶ必要があった。というのも、「微睡の一滴まどろみのひとしずく」の開発者が自分であることは薬を取り扱っているごくわずかな人物のみ知っており、政府に探りを入れられた際には、必ず「治療薬」と答えるように伝えてあったからである。

少しの間の沈黙に、少年が再び口を開く。


「あの、僕、この薬を買いたいんです。」


少年の目はフードの陰に隠れてよく見えなかったが、声質から、ニルスに訴えかけていることがわかる。少年は続けた。


「このお店の店主さんに何度もかけあったんですが、子供には売らない主義だ、って言われて。理由も教えてくれないし、僕は途方に暮れていたところに、あなたが現れたんです。なんでこのお店では、僕に薬を売ってくれないんですか。この薬を作ったのはあなたなんですか。」


ニルスは少年の話を黙って聞いていたが、一つ気になる点があった。ただ薬が欲しいだけなら、開発者など関係ないはずだ。なのに、なぜか少年は「ニルスが作ったかどうか」、を気にしていた。


「君は今、二つの質問をしたね。では答える前に、僕からも質問をさせてくれないか。まず一つ目の質問についてだけど、君はどうしてこの薬が必要なのかな。」


少年は、ニルスが話し出したことに歓喜したのか、少し口角を上げた。


「僕には、時間がないんです。僕の父さんが、おかしな病気に罹ったんです。何をしても「死にたい」「死にたい」ばかり言って、少しでも目を離せば死のうとします。この一週間、僕は全てを試しました。だけど、ダメだった。今日だって、僕は父さんをベッドに縛り付けて家を出てきたんです。僕には、もう術がなかった。でもその時に、「死にたい」気分が魔法のように収まる薬があると聞いて、「メトロポリタン・エリア」とこの地域を、捜し歩いたんです。だからお願いです。僕に、この薬を売ってください。」


「君のお父さんが…。」


 ニルスは、しばし沈黙した。一人でも多くの命を救うことは大前提として、ニルスが子供に薬を売らない主義を通しているのには、理由があった。「微睡の一滴まどろみのひとしずく」は、

好奇心旺盛な子供が、誤ってこの薬を服用した途端、ニルスの理想と正反対の方向に進んでゆく。なんとしてでも服用者は18歳以上の大人、でなければならなかった。

それを、どう伝えるか。ニルスは誰も傷つけたくなかった。


「…。ダメなんだ。どうしても、この薬だけは、君には売れない。」

「どうして!お金ならあります。」

「君のお父さんに直接渡さないと、効果がないんだ。」

「そんな…、父さんは一歩も外に出られないのを知っているのに!」


どうしても、薬は子供の手には渡ってはならない。だから敢えて大人しか出入りができない店でのみ薬が手に入るようにしていたのだ。


「薬は、使う本人が…。」


ニルスは再び嘘を重ねそうになる。少年の唇が震えているのが見える。いっそのこと、薬を渡してしまいたいという衝動がニルスを追い立てる。だがその時、隣で声がした。


「あんたが、この子に薬を売ってやれない理由はなんだか知らないが、あたしがこの子の父親のところに薬を持って行ってやるよ。」


声の主は、ルミナスだった。敢えて彼の名前を出さないように配慮している。ニルスがいる側の目でウィンクをして合図を送っている。


「そうか!それじゃあ、頼んだよ。」


ニルスは敢えて大きな声でそう言って少年を見ると、少年も大きく頷いている。

「ありがとう。」

少年は礼を言った。ルミナスはそう言うと少年の手を取って行ってしまおうとした。「二つ目の質問」に触れないように機転を利かせたつもりだった。だが少年は簡単にその場を離れようとしない。


「待って、やっぱり、この薬はあなたが開発したんですよね?あなたは、何者なんですか?」

投げかけられた質問に、ニルスはシルクハットを目深に被りなおす。

「していないといっても、君は自分が納得する答えが得られるまで僕を追求し続けるんだよね。」少し厳しい目つきで、ニルスは少年を見つめる。少年は唇を嚙み締めたように見えた。

「だったら、君は君が信じたいように信じればいい。」

「…。」

少年はそれ以上何も言わなかった。半ば強引にルミナスに引っ張られ、二人は「マルタ市場」を去っていった。

実は、ニルスが少年に薬を渡さなかった理由はもう一つあった。少年の顔こそ見たことがなかったが、声には聞き覚えがあったのだ。ニルスには、少年がまるで自分が店を訪れるのを知っているように現れたように思えた。全くの純粋無垢な少年、と言い切るには少々都合が良すぎた。



 ルミナスは、一向に顔を見せようとしない少年の手を引いて、市場を歩いていた。少年の手は、ほっそりとしていて冷たい。家はどこなのか尋ねると、少年はそっぽを向いた。

「はあ、あんた、家を教えてくれないと薬を届けられないじゃないか。」

「ねえ、薬について…。もっと教えてくれないかな、おばさん、あの人のこと知ってるんでしょ。」

少年はまたニルスのことを尋ねる。ルミナスは、少年がなぜニルスに固執しているのかが解せなかった。

「人のことをあまり詮索するもんじゃないよ。薬が届けらればいいんだから。他人のことばかりに首突っ込んでると、今度はあんたの素性が怪しまれるよ。」


少年が質問を諦めたのを見ると、ルミナスはその場で立ち止まって少年と向き合った。


「さて、教えてくれるのかくれないのかどっちなんだい。あたしも暇じゃないんだ。」


「ぼ、僕が家の中に入って、渡すところを見ればいいんですよね。そこの家なんです。さあ、薬を渡してください。」


「そこって、あの小さな小屋がかい?」


見ると、そこは人が住んでいるなど聞いたことがない貸家だった。


「そうです!じゃあ、僕は今から父さんに薬を渡してくるから、窓から見ていてください。薬の用法はよく知っていますから。」


ルミナスはそう主張する少年に、大事そうに持っていた「微睡の一滴」を渡した。少年はその一粒をしっかり握ると、小屋へ入っていき、カーテンを開けた。すると、窓越しに父親らしき姿が見えた。少年は何やらその人物と会話をし、父親の口元に薬を含ませた。


ルミナスはそこまで見届けると、マルタ市場へと戻っていた。




少年は、ルミナスが去っていくのを見ると、ふーっと息を吐きだした。


「危なかった…。」


小屋へ入った少年はフードを外すと、即席で用意した簡易ベッドに横たえさせた、成人男性の形をした人形を眺めて、誇らしげに微笑む。


「でもこれで、薬は手に入りましたからね。。!」


赤いくせ毛の少年は、ソサイエティ・スクープの特派員、

ルーク・ギレンホールであった。

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