第8話 ニルス、治療薬をばらまく
GAPPAのカルテルが秘密裏に結成された翌日、突然、街から商品が消えた。
東京の中心地、メトロポリタン・エリアの人民は、その突然の変化に気づいたものの、特に生活に不自由をしている様子は見受けられなかった。順応の早い超発展社会の人民は、環境の変化を察知するとすぐに<アイ・シールド>を駆使し、オンラインプラットフォームでの商品の購買に切り替えた。<アイ・シールド>を通じて購買した商品は、素早くドローンによって届けられる。中でも10kg以上あるものは、購買者の自宅からほど近い、点在する倉庫に自動的に運び込まれるため、いかなる商品も1日以内に手元に届くようになっていた。
(今日はやけに人が少ない…。)
ルミナスの協力を得て<治験>を無事完了させ、<センター・オブ・トーキョー(CoT)>7番街を訪れていたニルスも、その変化を感じ取っていた。今ニルスがいる7番街は、扇状に区画された1番から8番街の中の1つであり、よくニルスは<スペース・ニードル>の地上から眼下に入れる、ショッピング・ストリートの集積地である。8つの区画が一つの円を形成するCoTは、それぞれの区画にテーマが設けられており、7番街の隣の6番街は「好奇心」《キュリオシティ》、8番街は「探求心」《エクスカーション》、そして「快楽」《エクスタシー》がテーマであるのが7番街である。
7番街はその性質によって大きく地区が二つに分けてられており、「レフト・ウィング」とされる北側の地区は、「ラッキーセブンストリート」と呼ばれる多分野にわたる世界的に有名なショッピングの集積地となっていた。南側は、風俗街とカジノが存在する、夜の街である。
アメリカのとある大都市をモチーフにしたといわれるこの7番街は、レフト・ウィングとライト・ウィングの真ん中に設置された広大な「セントラル・パーク」と、その入り口に聳え立つスペイン出身の「伝説のユー・チューバ―」の銅像が特徴的である。
「だけどこれだけ人が少ないと、僕もこそこそする必要がなくて助かる。」
ニルスは、しばらく「ラッキーセブンストリート」を歩き、いつもより明らかに買い物客が少ないことに気づく。各店舗の外壁に張り巡らされたデジタルサイネージも、今日は点灯すらしていない。それどころか、どの店舗も、
「商品の入荷困難により臨時休業」
「本日は午前で閉店致します」
といった掲示がされていた。確かに店舗内を覗いてもからっぽだ。
ニルスはもしや、と思って立ち止まる。<アイ・シールド>を起動させ、オンライン・ショッピングプラットフォーム<メルカド>に接続した。メルカドは、毎日人口の50%が常に接続をしているという超巨大オンラインプラットフォームである。接続にいつもの倍かかり、やっと入れたと思ったのもつかの間、ニルスは自分の予想が的中していることを悟った。
オンラインの世界では、死んだような三次元の街と真逆の減少が起きていた。ニルスが入った瞬間に、ニルスが一週間前までの東京で目にした夥しい数の広告が流れてくる。
「オンライン限定 本日販売! <UP社> 最新<アイ・シールド>ブースター入手はコチラ!」
「本日11時まで 遠隔地向けコミュニケーション促進アプリ 300名同時通信可能 <エイス・ディベルシオン>社」
数十秒ほどの広告の後に、やっと業界別の購買が可能なページへ到達できた。そこでも、価格が動き続け、ニルスの目の前で価格の数値が株価のように吊り上がったり下がったりしていく。ニルスはいきなり浴びせかけられる情報多寡に軽いめまいを覚えながら企業の動きを案じていた。
(どうやらGAPPA企業群が何か締結をしたみたいだ。自殺者が増えれば、彼らが検挙されるのも時間の問題だからね。)
それからニルスは、<ライト・ウィング>の歓楽街の屋根を渡り歩き、カジノや風俗店に物資を運ぶトラックに、慎重に1ダースほどの「
ニルスは、「微睡の一滴」を「ライト・ウィング」の複数の店舗と、<シビル・ボーダーライン>のマルタ市場、ルミナスの向かいにある薬品店で扱ってもらうことにしていた。ニルスの薬が広まれば、必ず自殺者は減る。「
一時的な依存により、人民は「際限なき欲望」に囚われる必要がなくなる。
そうしてニルスが薬を市場に流し始めて一週間後、いきなりニルスのもとにルミナスから連絡が入った。
「あんた!向かいの薬品店の店主から伝言で、薬が飛ぶように売れてるから、今すぐ来てほしいってよ!」
ルミナスの動転した様子を聞きつけて即座に「マルタ市場」に到着したニルスは、彼女に案内され、「ルミナス 紅茶専門店」の向かいにある「タタ薬品店」へやってきた。少し前に、この薬品店の薬品を手あたり次第に掴んで発火させ、女性が焼身自殺をしたという噂が広がってからは閑古鳥が鳴いていたが、「
「とんでもない騒ぎになってるよ、こっちは。」
ルミナスが呆れたように行列を見る。市場にモノが出なくなってからマルタ市場もだいぶ来客が減っていたが、「
「こっちだけじゃない、「メトロポリタン・エリア」でも薬は着実に売れてるんだ。ここまで予定通りだよ。」
狐にでもつままれたような表情でニルスを見る主人は、集まったお金を袋に詰めてニルスに手渡す。2100年の東京は紙幣経済が主流ではなかったが、ニルスは敢えて紙で受け取ることにしていた。
薬屋の主人は、地域をまたいで、後から後から人が押し寄せてきた、と言った。一週間だ。一週間でニルスが各地域にばらまいた「
「本当にこの薬、売れてるんだね…。まあ、あんなものを見せられちゃったらそりゃあ中毒にもなるよねえ。」
ルミナスは自分が薬を体験したときの、あの夢でも見ているような感覚を思い出したのか、ため息をつく。その言葉を聞いた薬屋の主人が驚いたような顔をしてルミナスをみた。
「ちゅ、中毒だって?ドラッグなんて、思い切り違法じゃないか。」
動転している主人を見て、ニルスは苦笑する。
「それがね。これはドラッグとはちょっと違うんだ。強いて言うなら、究極の「治療薬」なんだよ。単純な話でしょ。」
主人はまだ何か言いたそうな顔だったが、違法ドラッグを販売することで政府に目を付けられる心配はいくらか和らいだようだった。
「まあ、でもドラッグと言いたいのなら、そう言ってもらっても構わない。僕にとっては、皆に究極のエンターテインメントを届けることが目的だからね。」
そう言ってニルスは行ってしまおうとした。その時だった、ニルスの外套を誰かが引っ張っている。
「あの…」
見ると、暗い色のフードを被った少年が、こちらを見ている。
「いま、あなたが、この薬…つくった、って言いましたか?」
ニルス達の話に耳をそばだててていたのか、そう投げかけてくる。
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