第6話 ニルス、エンジェルと話す
少女は駆け足でニルスのそばまでやってくる。ジュードとライラックもニルスに気づくと、嬉しそうに後ろをついてくる。
「今日も来てくれたのね!」
「あ!ニルスだ!今日は何を見せてくれるの?」
少女とジュードが口々に言いあう。ニルスはその様子を見て微笑む。
「二人とも、相変わらず元気そうだね。ジュード、君の発明品、見事だった。だけど住民を怒らせないように気を付けないといけないよ。」
「だってここでの生活飽きちゃったんだもん。俺も早くあっちの世界に行ってみたいなあ。」
「ジュード、そんなことを言ったらだめよ。」
少女がジュードをたしなめる。
<エンジェルズ・ハイドアウト>に住む子供達は、この地域を出たことがない。東京に姿を現してから街並みを何度も俯瞰し、分析してきたニルスはあることに気づいていた。<シビル・ボーダーライン>のその向こう、<メトロポリタン・エリア.>に病が蔓延する前に存在していた「幸福」とこの地域にある「幸福」には違いがある。この地域では、経済的格差も甚だしく、普通の生活もままならない家庭は、建物の目の前にポツリ、ポツリと並べられたバラック小屋に住んでいるが、人との交流がさかんで、温かい笑い声が響く世界だ。それが、この地域にとっての何よりの「幸福」であった。
ニルスは毎週末になるとこの地域にやってきて<エンジェルズ・ハイドアウト>外からの食料材料を運び、仮初の「エンターテインメント・ショー」を披露していた。ニルスがこの地域に現れると、どこからともなく人が集まり、人だかりができる。その中でも、ジュードやライラック、そしてニルスが「エンジェル」と呼ぶ18歳の少女「アイン・グウェン」はよくニルスを慕っていた。ニルスがライラックに食料や材料ではちきれそうな紙袋を渡す。ライラックはそれを受け取ると、<アイ・シールド>を使って通信し、周りの子供たちを集める。それは「ショーの始まり」の合図だ。家から、バラック小屋から集まってきた子供たちに、エンジェルが明るく話しかける。
「今から!ニルスさんのショーが始まるわ!」
子供たちの期待に溢れたいくつもの目が、ニルスを見守る。
「僕が見せられるのは少しだけだから、よく見ていて!」
ニルスはそう言うと、外套を翻して後ろへ高く飛び、バラック小屋の上にとん、と降りた。外套の両方のポケットから、濃い青色の球体を4つほど取り出し、空中へ投げた。
子供たちが、何が起こるのだろうと、投げられて散らばる球体の行く末を各々がばらばらに見つめている。次の瞬間だった。
その球体が空中で弾けたと思うと、子供たちの目の前に何体もの動物達の画像が浮かび上がった。ライオン、シマウマなどの大型動物から、ペリカンのような鳥類、リスやウサギなどの小動物まで、気泡のような球体に閉じ込められるようにして浮かんでいる。
「これ、なにー?」
4,5歳くらいの幼子が不思議そうに言う。
「ばっかだな、これは動物っていうんだ。猫みたいなやつだよ。」
兄と思われる少年が、弟に答える。
「スゴイ、本物みたい!」
誰かが言う。するとニルスは、その子供をまっすぐ見つめて、こう伝えた。
「その動物に、触れてごらん。」
そう言われた女の子は、恐る恐る「ウサギ」が閉じ込められた球体に触れる。すると、バリアのような球体の枠が弾け、本物のウサギが現れた。女の子の足元を嬉しそうに走り回っている。
「わ!本物のウサギだ!可愛いい!ニルスさんすごい!」
「僕も!」
その様子を見ていた周りの子供たちは、次々と球体に触れ、動物達を開放していく。一体だけを残して、10数匹はいるかと思われる動物たちが、その場に現れた。みなおとなしく、人になついている様子だ。だが、一体だけ宙に浮かんだままの動物がいた。
「ライオンさん、閉じ込められたまま…。かわいそう…。」
「でも怖いもん!食べられちゃったらどうしよう。」
子供たちは顔を見合わせて、触れるか触れないかを決めていた。
その様子をみていたニルスは、興味深うな表情をして、こういった。
「僕が今見せているのは、<Division Controller>(次元の支配者)というトリックなんだ。君たちが、触れるものが現れてほしい、と願った時だけこっちの世界へ解放される。心配しないで、そのライオンは、みんなを襲ったりしない。」
その話を聞いていた男の子は、そっと、ライオンの球体に触れた。泡が弾けて解放されたライオンは、その場で優雅に佇んでいる。
「ライオンさん!」
子供たちの歓声が一気に大きくなる。
「わあ…。夢みたいだね!」
それから子供たちは三次元に現れた動物達と戯れた。10分ほど経過したあと、ニルスは子供達をもといた場所へ集まる。次の瞬間、動物達は跡形もなく消えた。
「みんなどこへ行ってしまったの?」
最初に話しかけた幼子が言う。
「10分したら、みんな消えてしまうんだ。さあ、今日も僕のショーを楽しんでくれたかな。」
動物達が急にいなくなり寂しそうにしていた子供達だったが、口々に楽しかった、と答える。
ショーを終えたニルスは、仮面の下に、少し物憂げな表情を浮かべていた。
佇むニルスの様子を見たエンジェルが、近づいてくる。
「ニルスさん、今日も悲しい顔してる。」
心情を見透かされたようでニルスは一瞬慌てたが、その様子を悟られないように、身じろぎ一つせず下を見下ろして立っていた。
「どうして、そう思うんだい?」
仮面の下のニルスの表情が、少女にはわかるはずがなかった。
「本当のことはわからないわ。だけど、私はそんな気がするの。」
エンジェルはそう微笑む。この子には叶わない、とニルスは嘆息をもらす。
「実は…。あまりよくないことが起きていてね。<メトロポリタン・エリア>で人がどんどん死んでいるんだよ。「渇望の病」が蔓延している。」
エンジェルは一瞬驚いたようだったが、黙ってゆっくりと頷いた。
「だから、僕は今から、みんなを救いにゆく。」
「ニルスさんならそう言うって知ってたわ。でも、どうやって…?」
「僕はね、薬を作ったんだよ。病に侵された人たちの脳内に残る記憶、彼らの中に潜む渇望を利用して、どんな娯楽でも体験させる薬をね。その薬は、彼らにひと時の「至上の娯楽」を与える。そしたらね、もう死ぬ気なんて起きなくなるんだ。」
慎重に、どこか不思議そうな表情でエンジェルはニルスの話を聞いていた。
「人が自分から死のうとするなんて、本当に変だわ。」
「ああ、そうだね。人間の心は、僕たちが思う以上に脆いんだ。発展しすぎた僕たちの社会が、気づかないうちに僕たちの心を蝕んでいっているんだよ。」
「発展しすぎた社会なんて、私たちの住む地域とは、無縁の社会ね。」
ニルスはその言葉を聞き、拳を握り締めた。
与えられるだけ与えられて際限なき欲望に囚われて死んでゆく者たちと、這い上がれないように貶められて与えられない分、死ぬという選択肢の生まれない者たちの二分化された構造。それが今の東京だった。「どちらがマシか」という話ではない。多国籍国家と名乗るほどに人民の国際化が進んだ東京では、人民が平等に扱われるはずだった。だが21世紀から繰り返されてきた外国人差別と排除の思想、そして移民への態度と扱いはむしろ悪化していた。人は心に余裕が生まれて初めて他人のことを考えることができるというが、余裕が生まれすぎたところに入り込んだのが、人民を無限の消費ループに追い込む企業群だった。
「そう…。だから君たちは、「渇望の病」に侵されることはない。だけど、君たちはすでにもう病にかかっているんだ。社会が生みだした「選択の自由のはく奪」という「不治の病」にね。」
エンジェルははっと息を呑む。
「私達が病にかかってる…?そんなはずないわ。ジュードやライラック、子供達だってこんなに幸せそうじゃない。」
「表では、でしょ。不治の病は気づかないうちに進行するんだ。きっと君にもわかる日が来る。」
「…。」
「だから、僕はここにいるんだよ。僕は「全国民を笑顔にする」ことが使命だからね。さて…。」
ニルスはそういって、更に高い建物へ飛び乗った。
「待って!もう行ってしまうの?」
エンジェルの声に気づいたジュードとライラックもニルスに気づく。
「あっ、ニルスお兄ちゃん…!今日もとっても楽しかった!また来てね!」
「おい、ニルス! 次はニルスに負けない発明品作って待ってるからな!」
ニルスは、三人の名残り惜しそうな声を受けて、仮面の下で微笑む。
「次来るときは、みんなをもっと笑顔にしてあげるから。約束だ。」
涙ぐんでいたエンジェルの顔が少し、明るくなる。
「楽しみにしているわ! 天才<道化師(ピエロ)>ニルスさん!」
次の瞬間、ニルスは屋根を飛び降りたかと思うと、一瞬で姿を消した。
去っていくニルスの姿を見て、エンジェルは心のざわめきが収まらなかった。
(ニルスさんは、全国民を笑顔にする、と言ったわ。)
(でも、ニルスさんは、それで本当に幸せになるのかしら?)
(いつもいつも、ニルスさんは悲しんでいるわ。)
エンジェルによるニルスの感情の分析は、勘でも思い過ごしでもなかった。
エンジェルは、特別な才能を持っていた。彼女には、人の感情が見えるのだ。悲しみの感情は、青い炎のように人を包み込む。この地域の子供たちが発する、喜びの感情。オレンジの炎。その中で冷たく燃える、悲しみの感情を、ニルスはいつも身にまとっていた。
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