第4話 ニルス、治験を行う
「そう。僕は昨日ある薬を開発してね…。」
そう言ってニルスは片手に持っていた仰々しい革製の鞄を開け、一粒のカプセル状の薬を大事そうに取り出した。透明なカプセルに入っているのは、七色の粒状の薬だ。
「これは、僕がみんなを救うために開発をしたんだよ。ルミナスさん、どうして僕がこの国に来たか、覚えている?」
「全国民を笑顔にすること、だったかい。」
「そうその通り。だけど、僕はそれに加えて、経済バランスも均衡にしたいんだ。ルミナスさんは「エンジェルズ・ハイドアウト」の子供たちを、僕が誰よりも大事に思っていることは知っているね。」
「もちろんさ。あんたが片手に持ってる袋の食料、子供たちの為なんだろう。あんたも、本当にもの好きだね…。」
「うん。だから、僕はこの薬を「メトロポリタン・エリア」でたくさん売って、稼いだお金を、子供たちに渡すんだ。」
ルミナスは、疑うような顔をしてニルスを見る。
「そんなに、今回の薬には自信があるのかい?」
ニルスは嬉しそうに大きく頷く。仮面の下で、大きな笑顔が見えるようだった。
「それで、今日は、ルミナスさんにこの薬を使いたいんだ。<治験>ってやつ。」
「治験だって!あんた、前にあたしを1時間も笑いが止まらなくさせたじゃないか。もうあんなのはごめんだよ!」
「大丈夫。今回は絶対後悔させない。さあ、そちらへ。」
ニルスは、ルミナスを「ルミナス 紅茶専門店」の奥の調合室へ導き、雑多な薬草や書類が置かれているスペースに椅子を2つ用意し、並べた。
「さあ、この薬 「
そう言って、ニルスは薬の効能を説明し始めた。ざっと、この通りである。
① 効能は1時間。
② 薬を服薬する前に、再現する娯楽のイメージを脳内に想起すること。
③ 「いつ」「どこで」「誰と」「何を」を必ず言葉に出すこと。
④ 薬を服薬している間は、決してその場を動かないこと。移動を伴うと、現実と脳内イメージの乖離により、脳が錯乱状態に陥る危険がある。
ニルスの説明を聞いて、ルミナスは感心したような、呆れたような声を漏らす。
「また突拍子もないものを作り出したね…。「娯楽」って、あたしが楽しいと思う遊びとか、生きたい場所とか、そんなのでいいのかい?」
「うん。なんでもいいんだ。僕がこれを開発したのは、国民があふれる商品の中で迷うことなく、「一粒」だけでどんな娯楽でも体験させるためだからね。じゃあ、早速始めようか?」
ルミナスはまだ半信半疑のようだったが、小さく頷いた。
「よし。それじゃあ、目を瞑ってね。今から、いくつか質問するから、思い浮かんだままの答えを言ってって。」
ルミナスが頷く。
「ルミナスさん、「いつ」の時間軸で、娯楽を体験したいかな。ルミナスさんが生まれてから今まで、いつでもいいから教えて。」
「そうだねえ…。あたし、10歳の時、町で一番足が速いなんて言われてて…。その頃に体験できるなら、嬉しいかもねえ。」
「わかった。次は、「どこで」を教えて。どこの国でも地域でも大丈夫。」
「それは、やっぱり母国のエジプトの、あたしの生まれた都市、「シワ」にもう一度行ってみたいかね…。」
「よし、エジプトのシワだね。それじゃ、誰と一緒に体験したいかな?」
「それは、決まってるよ。あたしの親友のディナ。」
「うん、ありがとう。じゃあ、最後、「何を」したいかな。」
「もう一度、「クレオパトラの泉」で泳いで、語り合いたいんだ。そんなことも、できるのかい?」
「もちろんさ。全部、詳しく教えてくれてありがとう。さあ、心の準備はいい?」
「ああ、できてるよ。」
「よし。タイマーを設定するよ。この砂時計を僕がひっくり返したときが合図だ。効能は一時間、それじゃあ、楽しんできて!」
ニルスはそう言って鞄の中から取り出した砂時計をルミナスの目の前でひっくり返した。
次の瞬間、ぐわんっ、という衝撃波をルミナスは脳内に感じた。その途端、焼けるような暑さの砂地、方形の家並み、ヤシの木にアラビア語…。ルミナスは、エジプトの生まれ都市、シワにいた。
遠くから、懐かしい少女の声が聞こえてくる。
「ルミナス、ここから「クレオパトラの泉」まで競争!先に泉に飛び込んだ方が勝ちね!」
「よーし!負けないわよ!」
二人は一斉に駆け出し、砂ぼこりを巻き上げながら、太陽の熱を肌に感じながら走って走って、同時に泉へ飛び込んだ。
「また同時!あたしたち、本当に双子みたい!」
ディナが心の底から愉快そうにそう言った。
「そうよ!生まれた時間だって1分しか違わないんだから!」
ルミナスは冷たい水を全身で受け止めながら笑ってそう返した。
それから、二人は将来の夢、気になっている男の子のこと、シワの「都市化」が進んできていることなど、なんでも話した。あっという間に、1時間が終わろうとしていた。
「とっても楽しかった、あたし、もういかなきゃ…。」
「え?行くってどこに?」
ルミナスは、そこで一瞬言葉に詰まったが、笑って返そうと決めた。
「何言ってんの!あたしの家だよ、家!」
「なーんだ、安心した!あたしたち、明日も遊べるわよね?」
「も、もちろんよ!それじゃあね!」
ルミナスの元気な答えを聞いて、ディナは嬉しそうに笑った。
―次の瞬間、ディナの声が、エジプトの熱気が、匂いが、全てぼんやりとしてきて、しまいには消えていった。
「ルミナスさん、時間だ。目を開けて。」
ルミナスは、ゆっくりと目を開けた。目からは一筋の涙がこぼれている。
「…。信じられないねえ。あたし、本当にディナと遊んだんだ。ディナは、もう数年前に亡くなっていてね…。ああ、夢のようだったよ…。あんた、とんでもないものを開発しちまったね…。」
「そうか…。良かった。成功したみたいだね。一時間の間の、危険な反応もなかった。これで、市場に出せそうだ…。」
「ちなみに、こいつをいくらくらいで売るつもりなんだい?」
「「メトロポリタン・エリア」の市民には、少し高いくらいかな。100万円といったところ。」
2100年の東京における平均所得では、一回100万円の出費も厭わない市民が多い価格であった。
「そうかい…。この薬で、中毒になってしまわないか、少し心配だね…。」
「ああ、そうかもしれない。だけど、僕はね、今の現状を変えるのが使命なんだ。絶対に、みんなに笑顔になってもらわなければならない。」
ルミナスがまだ「微睡の一滴」から夢うつつでぼんやりとニルスを見ると、ニルスは決意に表情を固めていた。
「僕は、「道化師」(ピエロ)になりたいんだ。」
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