第2話 ニルス、新薬を開発する

 


 ニルスが男性の不可解な「自死」を目の当たりにしてから1週間後の朝、国民にニュース速報が伝えられた。


 ニュースを担当するのは、「ソサイエティ・スクープ」という放送局で、多国籍企業による消費を促す「刺激」の飽和した社会において、時代にメスを入れるようなネタで耳目を集める、新進気鋭のオンラインメディア・スタートアップである。「センター・オブ・トーキョー(CoT)」8番街というビジネスの中心地に、二階建てのこじんまりとしたオフィスを構えていた。


いきなり、張りの良い青年の声が聞こえてくる。


「都民の皆さん、わたくし、ルーク・ギレンホールがニュース速報をお伝えします。」

このルーク・ギレンホールは、<ソサイエティ・スクープ>の特派員であり、「社会的スクープ」の発掘には天賦の才がある、と社内でも一目置かれている存在である。


「ここ数週間で、東京で原因不明の自殺者が急増しています。専門家はこの病気の解明を急いでいますが、この病気の治療法は分かっていません。皆さんはそんな気持ちに囚われないように注意して生活するようにしてください。これから東京都庁は有事により、独自の条例を設けるようです。東京都庁は、皆さんの毎日の購買商品を管理させていただきます。皆さんが装着しているウェアラブル端末<アイ・シールド>を通じた商品のログはこちらで取らせていただくこととします。」


アイ・シールドとは、21世紀から国民の通信手段となったウェアラブル端末である。片目に装着するだけで、会話、「見た瞬間の映像」と「記憶」のコンテンツのシェア、インターネットの使用、そして超巨大オンライン・ショッピングプラットフォーム「メルカド」のへのアクセスなど、コミュニケーションやメディアへのアクセスはとんど可能な優れものであった。


ルーク・ギレンホールは、深く息を吸込み、再びマイクに口を近づけた。

「ニュースは以上です。原因の解明の進捗状況は、またお伝えいたします。」



★★★


「やっぱり、そう来ると思ったよ。」


 ニルスはその発表を聞き、高温の外気を一切感じる気配のないひんやりとした室内で、いとも涼し気にカップの底に残った「アールグレイ・ティー」を飲み干した。

 

 ニルスの住居は、超成熟・超発展社会に似つかわしくない、廃墟のような小屋にある。周りを新築の高層アパートに囲まれ、ほとんど日が当たることはない。外壁には蔓が多い茂り、少しばかりの庭は古井戸と伸び切った雑草が放置されている。本業を「医師」とするニルスは決して貧乏なわけではなかったが、自分ひとりのためにお金を消費することは好まなかった。部屋の中でさえ、すり切れたソファが一つに、風が吹くたびにガタガタと言う建付けの悪い窓、両手を広げて新聞の読めるほどの大きさの机、その後ろの、部屋の1/3を占拠しているであろう本棚が壁沿いに置かれているだけであった。紅茶をたしなみとする以外は、とても人を呼べる追うな空間ではない。そして、あっけらかんとした彼の口調とは、全く似つかわしくない正真正銘の「暗澹さ」が漂う室内である。


「さて…。そろそろ、始めようか!」


 ニルスはそういうと、仰々しい茶色の鞄を、座っていた椅子の足元から引きずりだした。片側だけで2.3キロはあると思われる鞄の片側を両手で開けると、中から無数のビーカー、試験管、カプセルや粒状の薬がびっしりと並べられていた。しばらく眺めてから、ニルスはため息をつく。


「やっぱりこれだけじゃ不十分なんだ…。僕の実験に必要なのはやっぱり、あれしかないのか…。」


そうつぶやくと、ニルスは何やら近くにあった藁半紙とインクペンを掴んで書き始めた。

数十分くらい経過しただろうか、ニルスはいきなり閃いたように素早く無数のドイツ語と図式を書くと、ペンを置いた。


そして、ゆっくりと仮面を自分の顔から外した。その時だった。


「う…。ううっ!」


 ニルスが、いきなり喉元から引き絞るような声を出した。かと思うと、ふらふらと覚束ない足元で、ソファに倒れこむ。しばらく呆然として、唇を震わせながら、そこに座っていた。ソファの向かい側にあるガラス窓。そこに反射して映る、ニルスのきめ細かい陶器肌にすらりとした鼻筋、美しいウェーブがかったブロンドの髪の毛。朝日にきらめく大海を思い起こさせる、蒼色の目。だがその蒼色の目は深い悲しみをたたえていた。 脳内にゆらゆらと浮かび上がる、過去の記憶。声。頭が割れるように痛い。目から、何か熱いものがこみあげてくる。


ニルスは、暗い森の中を、見覚えのある少年と一緒に歩いていた。


『ねえ、ピエロとクラウンの違いって、なんだと思う?』


『うーん、生まれた国が違うとか?』


『違うよ、ピエロはね、裏に悲しみを抱えているんだよ。』


『ねえ、悲しみって?悲しみって、何?』


『僕たちの生まれた国に、悲しみは存在しないんだ。だけど、遠い向こうの国では、悲しみっていう感情があるんだって。』


『ふーん、そうなんだ。。』


遠い声が消えていく。

ニルスの目から、つーっ、と一筋の涙が零れ落ちる。ニルスは、その涙を、片手に持っていた試験管で受け止めた。


「…。」


ーなぜだか、すごく昔のことのように感じる…。



ニルスしばらくその場に静かに座っていたが、やがて力の入らない足でデスクへ向かい、仮面を再び装着した。


「さて、これさえあれば完成するはずだ…!」


ニルスは、机の上にビーカーを置き、鞄から数十種類もの薬品をそこへ注ぎ込んだ。最後に、自分の涙の一粒を、上から落とした。様々な色が混ざったビーカーの中の液体は、暗い緑色をしている。ニルスは、それをまたいくつもの細い試験管に注いでいく。それらの液体は、みるみる固まって、カプセルのような形状へ変わった。そこから、一粒を机へ取り出した。


「ほんとうに、「一粒の涙」が最後の仕上げに必要だったとはね…。」

憂い顔で、ニルスは出来上がった薬のような何かを光にかざす。



「準備は整った。明日が決行の日だ。」


 

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