第1話 ニルス、2100年の東京へ姿を現す



消費社会は、様々なコンテンツを生み出す。


その中には、生み出されては使い古されたキャラクター達も無数に存在する。

そんなキャラクターたちは、ひと時のマネーマシーンとしてしか存在しえないのか?はたまた、子供たちの心に残り続け、何かを与え続けるヒーローとなりうるのか?


この物語の主人公、ニルス・ヨハンソンは、それを見事に体現する存在である。

彼は、ある日突然東京に姿を現し、自らを「道化師ピエロ」と名乗る。

だが、なぜ?なんのために?そして、なぜこの時代に?


その答えは、この物語で語られることとなるだろう。


そして、物語の最後まで、「ニルス・ヨハンソン」は「道化師(クラウン)」ではなかった、ということをまず覚えておいてもらいたい。



さあ、物語をはじめよう。




―2100年、東京。

ある日突然、ニルス・ヨハンソンは、姿を現した。



ーここからの眺めは、いつ見ても壮観だな。


真夏の昼下がり、ニルスは、地上300mほどもあろうと思われる展望台、「スペース・ニードル」の縁に立ち、地上を見下ろしていた。


その「スペース・ニードル」は、東京の「センター・オブ・トーキョー (CoT)」に、聳え立つ。

 22世紀の日本において東京の中心地は、もはや23区ではなかった。というのも、既に23区は消滅していたからである。遡ること半世紀、地球の平均気温の上昇による急激な海面の上昇により東京の南東地区が水没し、東京はかつての<タチカワ>を中心とする「メトロポリタン・エリア」、その西方の「ウェスト・ディストリクト」、東方で居住がほぼ不可能となった「イースト・ディストリクト」の三つの地域に分割された。「メトロポリタン・エリア」の中心であるCoTには「ビジネス街」、「政治機関」、「歓楽街」など、東京の中枢機関が放射線状に広がっていた。

 

 びゅうっ、と唸る風がニルスの黒い外套をはためかせ、漆黒のシルクハットを春風と共に連れていきそうになる。ニルスが反射的に帽子を押さえ、顔を上げると、ショッピング・ストリートの大通りが目に映る。そこに、黄金虫の輝きに勝るとも劣らない、色とりどりのショッピング・バッグを無数に引っ提げたマダムが足早に歩いている。かと思うとはたと立ち止まり、手招きをすると、どこからともなく無人のリムジンがマダムを運んで行った。同じストリートの数メートル手前に目を凝らすと、若い女性二人が、ヘアサロン帰りだろうか、長く艶めかしい髪の毛をふわりと揺らし、喜ばし気にくすくす笑いながら店から出てくる。あちこちで摩天楼が聳え立ち、一枚ずつ理論整然と外壁に付着したデジタルサイネージが、


「君だけのプライベート・サロン 今なら無料で体験」

だの、

「魔眼の一滴 疲れ吹っ飛ぶ滋養剤」

だの、壮観な広告を垂れ流している。


あちこちで溢れる色、色、色。

きらびやかな街並み。


「おや…?」


ニルスは、あることに気づく。平日の夕の刻であるのに、仕事をしているらしき人物はどこを探しても見当たらない。オフィス街であれば、スーツ姿の営業マンや運送業者が出入りしているはずなのに。

 


 成熟しきった、手に入らぬものなど無い現在の東京の人民の俯瞰図。あくせく働くことを辞め、顕示欲に満ちた「記号」の消費に走る者たちの縮図。ニルスの目には、22世紀の東京が、そう映った。ふうっ、とため息をつき、に、ほっそりとした長い指先で触れた。


(これが、今の東京か。)


寂寥感と、諦観に満ちたような両目をたたえ、仮面の下の唇をゆるめ、力なく息を漏らす。だが、次の瞬間、地上から悲鳴が聞こえた。


「きゃーっ。」


女性の、空間を切り裂くような甲高い悲鳴だった。

続いて、「バンッ、キーッ。」という物体同士がぶつかり合う鈍い音と、ブレーキ音が響き渡る。ニルスは、急いで音のする方に視線を向ける。衝突事故か。


 慌てふためいた様子の運転手が急いで車内から出てくる。車体の先に、鉄の塊に数メートルも吹っ飛ばされ、ぐでんと倒れた男性の体が転がっている。両手が大の字に広がり、仰向けに寝転がっているように見える。もう既に息をしていないのか、ぴくりとも動かず、頭部に血だまりが出来ている。酷い事故だ。運転手の前方不注意か? にしては、男性の姿勢が妙ではないか?そう思った矢先、また女性が叫び声をあげた。


「きゃあっ、この人、自分から車の前に倒れていったわ、じ、自殺よ!自殺!」


 ニルスは、はっとした。「自分から倒れていった」、女性ははっきりとそう言った。そう、ニルスの目にも、この男性が、まるで運命を天に任せたような、まるで車に吸い込まれていったような死に方をしているように見えたのだ。


(自殺…?「国民総幸福」達成寸前のこの日本で?)


 恐怖で硬直して動けない女性。轢死体となった男の遺体は、冷たく転がっている。この状況に対応をしようとする人間が、顔を真っ青にした運転手以外、周囲に誰もいない。否、足早に通り過ぎ去っていく通行人は目の前の悲惨な出来事に関心一つ示そうとしない。


(まるで、皆自分のことしか見えていないみたいじゃないか。)


 21世紀に大流行した世界的パンデミック以降、22世紀の東京では、医療制度が完膚なきまで整備され、今や病気や事故の致死率が極限にまで下がっていた。国民一人一人が国際ファンド投資におけるポートフォリオの作成を義務教育で幼少期より教え込まれ稼ぎ頭をいくつも作り、少なくとも、「メトロポリタン・エリア」、つまり今の東京全土においては、「国民総幸福」、が達成されようとしていた。「自殺」など、22世紀元年から数えても、百人もいなかったはずだ。


 そう、少なくとも、「メトロポリタン・エリア」においては。

  

 幾度となく眼下に入れた、「スペース・ニードル」からの街並み。シルクハットを抑えながらそっと目線を先へ飛ばすと、沈んでいく夕日に照らされてなお霞んで見える灰色の町がある。「ウェスト・ディストリクト」の向こう、「シビル・ボーダーライン」が隔てるその先にある、「エンジェルズ・ハイドアウト」地区。


 もはや一強とされる米国への国民の著しい流出から、日本政府は労働力、国際競争力の更なる増強のため、21世紀の後半より「移民優遇政策」を開始し、各国から移民を受け入れた。その結果、東京の中心から西方に40kmほど行った東京のはずれに「移民街」が形成されていた。だが、移民優遇政策とは名ばかりで、政府は特に高水準の生活を保障するわけでもなく、「移民街」では、「メトロポリタン・エリア」の世界と同じ生活水準に満たない、様々な人種の家族が暮らしている。乱暴に<移民街>と名付けられたこの地域を、ニルスはこっそりと、「天使の隠れ家」(エンジェルズ・ハイドアウト)と改名していた。彼は、西側と東側、豪華絢爛な生活だが無関心な人民、質素であるけれど結束の強い人民と、二分化した東京を見てきた。


(人って、いつでも痒い所に手が届いちゃうと、際限なき欲望に囚われてしまうのかもね。)


ニルスが感傷的な気分に浸る間もなく、サイレンが鳴り響き、先ほどの男性が救急車に運ばれていく。


それどころか、ニルスが耳を澄ますと、あちこちで悲鳴や衝突音が聞こえてくる。「男の自殺」という事象は、まったくもって特異的なものではなかった。あたりに響き渡る音とともに先ほどと同じ光景がニルスの脳内に何度も何度も描かれる。


(ついに、始まってしまったのか。)


しばらく街の様子を俯瞰したニルスは、煌びやかな街並みに似つかわしくない、人が目の前で死んでゆく光景を何度も目の当たりにして、一度ゆっくりと深呼吸をした。


「さあ、僕は僕の役割を果たすときが来た。」


ニルスはそう呟くと、外套の下に纏ったタキシードのポケットから、緑色の球体を取り出し、手首に捻りを聞かせて2,3回降った。しゅっ、と音を立てながら白濁色のスモッグが立ち現われ、辺りを覆うと、ニルスは地上めがけて外套をひらめかせ、「スペース・ニードル」の縁からいきなり勢いよく飛び降りた。両肩から翼が生えたのかと見紛うほどに軽い垂直落下で地上に降り立ったかと思うと、一瞬の間に、都会の人の流れがニルスの姿をさらっていった。



★★★


ここまで読んでくださってありがとうございます。

ここから、ニルスの「消費社会」へどう立ち向かうのか?ぜひ、ニルスの決断と生き様を、応援してください :)

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