Track.2 あの夢をなぞって

「ぐっへぇ!」


 後頭部に鈍痛を感じて跳ね起きたのは、日が傾き始めた頃合いのことだった。


「痛っいなぁ。……委員長、何すんのさ?」


「千歳、これは枕ではない」


 上半身を起こすと、二冊の本を手に委員長が立っている。


 陽光の気持ちの良い日だったので、あたしは競泳プールの脇にタオルケットを敷いてお昼寝をしていた。さっきの痛みは、頭の下に敷いていた図鑑(図書室で借りたものだ。誌面を開いたことはない)を引き抜かれ、コンクリートに激突して生じたものらしい。


「あのさ、千歳、そろそろ本気で『卒業』に取り組んでくれない?」


 ……やれやれ、またその話か。あたしは胡坐に姿勢を直し、首筋に手を回して掻く。


「だから、あたしは別にいいよ。次の人生とか、別に生きる気ないし」


「生きる気ないって……」


 腰に手を置き、委員長が呆れた顔をする。


「委員長はどうなのさ。あたしなんかに構ってないで、そっちこそさっさと卒業したら?」


「そういうわけにも行かないわよ。私がお尻を叩かなきゃ、千歳、死者としてずっとこの学校で無為に過ごすつもりでしょ。あなたがやる気に満ちて『卒業』しなきゃ、私も『卒業』することが出来ないの」


 ――まったく、ガミガミガミガミ、このお節介や焼きめ。


 考えてみれば、委員長は出会ってからずっとこんな感じだった。



* * * * *



「あ、目覚めたみたいね」


 銀河漂流教室に『入学』して、あたしが初めて目にしたのは石井祐里――委員長の顔だった。あたしは教室の中央に横たわっていて、ゆっくりと瞼を開くと、こちらを覗き込む女子数人の顔が瞳に映った。


「おはよう。初めまして。銀河漂流教室にようこそ」


 集団の中心人物らしい眼鏡の少女が言う。


「この世界に関する諸々の事は、特に説明しなくても理解してるわね」


 特に説明はされなくても、信号は『赤』は止まれで『青』は進めであることを子供は知っている。グーはチョキに勝てて、チョキはパーに勝てることを子供は知っている。それと同様に、ここが死者の招かれる場所であることも、ここが三日毎に現世に漂着することも、目覚めたばかりのあたしは理解していた。


「あなたが転生したいと思える場所を見つけられるよう、私たちと頑張っていこう」


 眼鏡の少女はそう言って、あたしに向かって微笑みかける。


 世話焼きで口出したがりの委員長タイプ。


 その少女について、直感的にあたしはそう思った。



* * * * *



 あたしのその時の直感は、ぴったりと当たっていた。



 銀河漂流教室はその名前の通り、学校の姿をしている。けれど、そこにいるのはあたしたち『生徒』ばかりで、教師もいなければ用務員もいない。だから、授業なんてものはないので、あたしは日がな一日、日当たりの良い場所で昼寝をしたり、当てもなく校内を散策している事が多い。


 そうしていると、委員長が誰かの相談に乗っている場面によく出くわした。


 前にも述べたけれど、銀河漂流教室に通う『生徒』たちは、享年に関わらず、十代半ばの容姿をしている。


 だから、委員長が実際はいくつの女性なのかは知らない。けれど、冷静に相手の話を聞き、自分の主張したいことではなく、相手の迷いを晴らすための言葉を吐く姿から、自分よりもかなり年上の人ではないかと思えた。



 ちなみに、あたしの享年は今の姿と同じ十七歳だ。


 スマホを眺めながらボーっと歩いてたら、ダンプカーに跳ね飛ばされて死んだ。どうやら、即死だったようだ。



 実を言うと、死んだことについて特に残念だとは思っていない。


 死にたいと思っているわけじゃないけれど、生きることにそこまで大きな執着もない。


 生前のあたしは、そんな十代の生活を送っていた。



* * * * *



 あ、あたしって別に生きてることに意味ないや。


 そんなことに気付いたのは秋の手前、教壇の数学教師の話している内容が全く理解できず、諦めてノートに落書きをしている時だった。


 それは何の前後の脈略もなく、天啓のように唐突に頭に浮かんだ。



 多分、あたしの事が教科書に載って、亡くなってから後世で思い出されることはない。あたしのこれまでとこれからの人生は、その他多くに組み込まれ、誰に振り返られることなく忘れ去られていく。


 生きてる間だけでも幸せであればいいじゃない。誰かはあたしにそんなふうなことを言うかもしれない。


 でも、あたしは愛情を信じていない。


 例え、あたしに恋人が出来たとしても、万全の愛情を向けることは出来ないだろう。相手から愛情を向けられたとしても、それを混じり気のないものとして素直に受け取ることは出来ないだろう。それは恋愛だけでなく、友情にしても、家族愛にしても同じだった。


 あたしは何に対しても、どこか心理的距離を取っている。


 だから、あたしの人生にはいつも『空虚』が顔を見せる。



 だから、もう一度生きることに関しても、凄まじく面倒臭いという気持ちだけが先行して、全くもって前向きになれなかった。



* * * * *



 砂漠を旅立って九日目。あの砂漠から次の次の場所に学校が漂着する。


 それを告げる防災ベルが校内に鳴り響いた時、あたしと委員長は教室の掃除をしていた。


「でもさ、到着と出発の旅にベルを鳴らすシステム、止めてほしいよね」


「え、どうして?」


 あたしの言葉に、委員長は机を拭く手を止める。


「だって、びっくりするじゃん。なんかあれ、心臓に良くないよ」


「と言ってもねえ。性質上、目立つ音じゃないと意味がないものだからねえ」


 窓の外を見やると、亜空間を抜け、風景の輪郭がゆっくりと確立していく。


 力強く聳える大きなビル。中央のデジタル時計が特徴的な観覧車が教室の外に現れた。


「おー、今回は随分と都会な場所に着いたねえ、委員長」


 箒の柄尻をパンと勢いよく握り、委員長の方に視線を向ける。


 おや?と思ったのは、そうして見やった委員長の表情に動揺の色が浮かんでいたからだ。


「ここって、まさか……、桜木町?」


 あたしの視線に気づく素振りもなく、委員長は震えた声でそう零した。

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