第7回 「火矢」
マドロ家のある村に大量の魔物が押し寄せてくる。その瞬間、俺の
「すぐに向かおう!」
ナキも強く頷いた。きっと同じ思いのはずだ。
「ドラナ、説明しろ。何があった?」
状況を理解していないテンヤは、少し苛立った様子で聞いた。
「さっきね、
「ふん、
「それでテンヤ、どうする? 受けるの?」
ドラナが聞く。
「そうだなぁ……」
テンヤはおもむろに酒瓶を煽った。
どうするじゃないだろう。人が死ぬかもしれない。受けるしか道はないはずだ。痺れを切らしたのかナキは一歩踏み出した。
「テンヤ様、我々は村に向かいます。これにて失礼します」
ドラナが不思議そうに説く。
「あら、ナキちゃん。これあなたの依頼じゃないよ?」
「関係ありません。例え報酬がなくとも向かいます」
「ハッ、偉いねぇ」
感心というようにナイルが誉めた。ナキは俺についてくるように視線を送った。
「まぁ、待てよ」
出て行こうとする俺達をテンヤが制止した。
「馬を貸してやる。それからヴォイド、ナイル。お前らも村に向かえ」
「あぁ分かった。テンヤは?」
ナイルが聞く。テンヤは大きく
「俺か? まだ酒が残ってる」
酒瓶をゆすった。同じく村に向かわないドラナはふふん、と笑うとテンヤの側に近寄った。
テンヤは向かわないつもりなのか。どういうつもりだ? こいつが出向けばすぐに終わるはずなのに。ただ、ここでテンヤを説得しても仕方ない。今は時間が惜しい。
「馬の融通、ありがとうございます。ではオミヒト行きましょう」
「あぁ!」
「馬舎はこっちだ」
ヴォイドとナイルの後をついて行き、城を駆け降りる。
「ナキ、魔物の群れはどのくらいで村に着くんだ?」
「手紙が届いたのがほんの数分前。それによると、村から北方の森で発生したとなっていました。魔物の群れの動きは予測が難しいです。とにかく早く現場へ向かうのが先決です」
「ここから、村までは?」
「そうだなぁ、大体一時間くらいだな。馬で飛ばせばもう少し短くなるかもな」
ヴォイドがナキの代わりに答える。
「そんなっ……」
ナキが絞るような声を出す。状況が見通せない今は長く感じる時間だ。
「とにかく急ぎましょう!」
馬舎に着いた。ヴォイドとナイルは自分の馬が決まっているのか、慣れた手つきで乗馬の準備を始めた。
「どの馬を借りればいいのですか?」
「その黒いのはダメだ。テンヤのだからな。それ以外だったらなんでもいいぜ」
「では、この子にします」
ナキは白い馬を選んだ。
「……ナキ、すまないけど後ろに乗せてくれないか? 俺、馬に乗ったことないんだよ」
「え? あぁ構いませんよ。落ちたり、舌を噛んだりしないように気を付けて下さいね」
そういうわけでナキの後ろに乗せてもらう。鞍にまたがる。意外と視線が高くて怖いな。ヴォイドとナイルも既に乗馬し、道筋を地図でなにやら確認していた。ナキの操作で馬はしなやかに走り出した。こうも簡単に馬に乗られるとなんか恥ずかしくなってくるな。向こうで乗馬体験でもしとくんだった。
ナイルを先頭に俺達一行は街道を疾走する。蹄が地を鳴らし、風を切る音だけが俺の耳を駆け抜けていく。
それにしても、とんでもない状況になったもんだ。ほんの数十分前までは、テンヤの城からさっさと逃げ出したいと思っていたのに、それがこんな形で実現してしまうとは。ただ一つ言えるのは、事態はまるで好転していないということだ。
「おぉ! こりゃまたスゴそうだ」
前を走っているヴォイドが空を見上げ、感嘆の声を漏らした。俺も釣られて上を見た。
「んなっ!?」
頭上にはおびただしい数の鳥が飛んでいた。一目散に俺達とは反対の方向に飛んでいる。
「動物達も逃げている……。間違いなく、魔物の群れがこの先にいます」
危険を感じて、鳥達が逃げているのか。迫る脅威の大きさに俺は身震いをした。
かなり長い時間、馬を走らせていたように思う。一度の休憩も入れず走り続け、俺達は目指していた村へついに到着した。
村には幸い、魔物はまだ到達してはいなかった。しかし、鳥の様子を見た手前、一安心など出来るはずもなく、俺とナキは馬を降り、村の人々へ迫る危機を伝えるべく行動を始めた。
「オミヒト、私は村長を探し、魔物のことを伝えます。あなたはマドロ家の方々を探して下さい」
「分かった!」
マドロ家に向かって走ろうとする。ふと、ヴォイド達を見た。彼らは村の様子を伺っているかのように動かない。何故だ?
「あの、俺達は村の人に避難するよう呼びかけます……」
「はいよ」
「あぁ分かった」
やけに気のない返事をする二人。どういうつもりだ? 気になるが、今はこいつらに構っている暇は無い。俺はマドロ家へ走った。
ガタつく扉を乱暴気味にノックした。頼む、居てくれ。
「はいはい」
扉を開けたのは母親だった。後ろに子供たちが遊んでいるのが見える。
「あらま、オミヒトさんじゃない。何? 組織でまた協力の要請かい?」
「大変なんです! 村に魔物が迫ってきてます! 早く逃げて下さい!」
マドロさんは俺の言葉を聞いて表情を変えた。
「……やっぱり、来たんだね。今、旦那と一番上の息子が他の男達と森に様子を見に行ってる。伝えてくれないか? 私達はすぐに支度して逃げるよ」
「……分かりました。出来るだけ急いで下さい」
マドロさんは頷くと、子供達のほうへ振り向き、声を張り上げた。
ここはもう大丈夫だ。森へ行った父親達が心配だ。まずはナキと合流しよう。
村の中心部へ急いで戻ると、ナキは老齢の男と一緒にいた。彼が恐らく村長だろう。ひどく狼狽えている。
「マドロ家はいましたか?」
「あぁ。逃げるよう伝えた。それより、森へ村の男達が向かったそうなんだ。マドロさんの父親と長男も一緒らしい。危ないかもしれない」
「私も村長から聞きました。オミヒト、あなたはここで避難する人々を誘導して下さい。私は男達を保護しに行きます」
「大丈夫か?」
ナキは自信を表すように杖をくるりと回した。
「もちろん。わたしには魔力があります。この力で村の人々を守って見せます」
「おぉ、お願いします!」
村長が震えた声で懇願した。
「村長、後は我々に任せてあなたも逃げて下さい」
ナキの言葉を受けて、村長は村の人々に連れられ、村の出口へと向かった。
「では、私は森へ向かいます」
「あぁ」
ナキは走り出す直前、振り返った。
「ヴォイドとナイルにどうか目を離さぬよう。様子が変です。何かあるかと」
俺はゆっくりと頷いた。ナキは口を固く結ぶと森の方へ走っていった。ナキの後ろ姿を見送って、俺は気合を入れた。
「よしっ!」
一軒一軒、家を回り、人がいないか確認していく。どの家も食料や家畜、家財道具まで全てそのままで逃げている。これらを失ってしまうとこの村の生活は立ち行かなくなるだろう。出来れば家も無事な状態で返したい。家を見終わって、中央の広場へ戻った。ヴォイドとナイルは相変わらず静観している。一応、こいつらにも伝えておこう。
「もう、残ってる人はいません。森に入った村の男達はナキが探しに行ってます」
「そうか」
やはり、反応が薄い。この二人からは緊張感が何も感じられない。避難も済んだことだし、問いただしてみるか。
「あの……」
俺が口を開いたその瞬間、不気味な唸り声が森の方から轟いた。唸り声は一つじゃない、幾つも聞こえた。ついに来たのか? ナキは大丈夫だろうか? 不安が胸に押し寄せる。
「はは、どうやら来やがったみてぇだな」
ヴォイドが興奮気味に呟く。
「ヴォイド、分かってるな?」
「もちろん、分かってるさ。いつも通りに、だろ」
分かってる? 何のことだ? ナイルが俺の方を向いた。
「オイ、新人。まずは様子見だ。奴らの戦力を確認する。余計な動きはするなよ」
こいつらは、こんなことには慣れているんだろう。確かにナイルの言う通り、まずは魔物の出方を伺おう。俺はナイルの指図を受け入れることにした。
魔物の唸り声が段々、近づいてくる。地面を踏む大勢の音がする。俺は思わず短剣を懐から取り出した。何か身を守る物を持ってないと不安で仕方がない。
「来たぜ!」
ヴォイドが指差したその先、木々の間から黒い影が飛び出した。黒く逆立った毛、充血した眼、口には
「猿か。ん、まだ来るな」
「そうこなくっちゃ」
猿の魔物の後ろからも、続々と恐ろしい雰囲気を纏った獣が森から現れた。狼、鹿、猪……。
外見は森の生き物に似ているが、違うモノだとはっきり分かる。大きく見開かれ、充血したその眼からは知性や理性をまるで感じ取れない。魔物の群れは村へ踏み入り、周囲を手当たり次第に荒らし始めた。柵や家屋を壊している。今すぐにでも止めに入りたいが、そうもいかない。まだ魔物は俺達には気づいていない。しかし、その距離は数十メートルほどしかない。見つかるのも時間の問題だ。どうする? 奇襲をかけるか?
「ど、どうします!?」
「数は確認した。およそ五十ってところか」
「まあまあだな」
五十でまあまあ!? 余裕ってことなのか? こいつらに頼るのも
「あの、どう動けば? お二人の動きについて行くので!」
俺の言葉を聞くと、ナイルは小馬鹿にしたような口調で言った。
「やる気があるみたいだが新人、もう偵察は充分済んだ。一度帰るぞ」
「は?」
帰る? なんで? 困惑する俺を置き去りにナイルは踵を返した。
「おいヴォイド、馬の所に戻るぞ。興奮するのはいいが今回、俺達の出番は無いぞ」
「ちぇっ! ま、仕方ねぇな」
「ちょっと! どうして帰るんですか! 村が襲われているんですよ! あなた達の力が無いと村が壊されてしまう!」
ヴォイドが、手を頭の後ろに組んだまま面倒臭そうに答えた。
「それが何だ? 人はもういねぇだろ。命が拾えりゃそれでいいじゃねえか。それに避難が終わった時点で、もう俺達のやることは終わってんだよ。まぁ、避難してもあんまり関係はないがな」
「やることはあるでしょ! 今ここで村の被害を食い止められるのは俺達だけですよ!」
「意外にうるさい奴だな。お前、依頼文をちゃんと読んでないだろ。俺達の目的は魔物の駆逐だ。
それ以外のことは、知らん」
俺は空いた口が塞がらなかった。いくら何でも理不尽すぎる。そもそも魔物の群れを
「だったら、魔物の駆逐ならどうして帰るんです!?」
「テンヤが来る。そしたら全部終わりだ」
嘘だ。テンヤは来ない。酒を飲んでたじゃないか。そんな状態でここに来るはずがない。こいつらは、ハナから村を助けるつもりはなかったってことか。少しでも期待した自分が馬鹿みたいだ。
「新人、お前も魔物に襲われんうちに帰れよ。あぁ、あのナキって子もちゃんと連れ戻しておけよ」
それだけ言うと、二人は馬に乗り、さっさと走り去って行った。残されたのは俺一人。後ろを振り返ると、魔物がもう近くまで迫ってきていた。
「くそっ!! くそっ!!」
短剣を構え、姿勢を低くする。逃げた方がいい。本能では分かってる。けど逃げてしまったら、俺もあの二人と同じ。それにナキを置いていく訳にはいかない。やるしかない!
「ふっ!」
俺は緑光を纏った。これがあれば魔物の攻撃は俺には届かない。……多分。これでナキが来るまで持ち堪える。そして出来るならば魔物を倒し、被害を抑える。
緑光を発動したことで、近くの魔物についに気付かれた。狼と猿の二匹。
「グルルル……」
狼が低い唸り声を発しつつ、徐々ににじり寄って来る。猿が素早い動きで俺の背後に回った。逃げ場が無い。感じたことのない緊張と恐怖が押し寄せてくる。魔物の発する敵意、そして殺意が体に突き刺さるような感覚。
「グォォ!!」
瞬間、狼が飛び掛かってきた。俺は反射的に顔を腕で覆うように防御の構えをとった。柔らかい膜に、少しばかりの反動。緑光が狼の鋭い爪を弾いた。良かった、防げた。安心したのも束の間、今度は猿が飛び、俺の体にまとわりついてきた。しかし、今度も緑光に阻まれ猿の爪は通らない。
「ギギギッ!」
猿は緑光に怯まず、尚も執拗に爪を突き立てる。その時、ナキとの修行で杖の打撃を防げなかったことが脳裏に浮かんだ。まずい!
「っうわぁぁ!」
俺は夢中で猿の腹めがけて短剣を突き立てた。嫌な感触と共に剣先は、ずぶりと刺さり、ドス黒い血が流れ出す。返り血は緑光で俺にはかからなかった。
「ギャオォ!?」
猿は地面に落ち、動かなくなった。……やった! 魔物を倒せた!
「ウォーン!」
狼が突如として鳴き出した。まるで遠吠えのようだ。……まさか!
その鳴き声に釣られて、魔物がうじゃうじゃと集まり、あっという間に俺の周りを取り囲んだ。
大小様々の魔物が唸り、今にも俺を襲おうとしている。心臓の鼓動がにわかに速くなっている。この数で一斉に向かってこられたら、防御を突き抜かれるかも……。口の中がひどく乾く、さっきから冷や汗が止まらない。剣を持つ手の震えが収まらない。……こんなとこ来るんじゃなかったな。
「オミヒト! 伏せて下さい!」
その声に、俺はすぐさま反応して身を屈めた。
森の方から凄まじい速度で何か粒のようなものが飛んできた。
「「「ギャアア!!」」」
視界に倒れた魔物が映り込む。非常に細かく鋭い氷の
「無事ですか!?」
森からナキが現れた。ナキの周りにはさっきよりも大きな氷の礫が絶えず飛んでいる。そんな芸当も出来るのか。ナキは俺と魔物の間に割って入るように立ち塞がった。
「あぁ。なんとか。父親達は?」
「彼らならもう大丈夫です。事情を伝えて、この場から離れてもらいました。それよりもこの数、厄介ですね。ヴォイドとナイルは?」
俺は言葉に詰まる。
「その……帰った。テンヤが来るって言って。あいつら偵察のつもりで来たらしい」
「馬鹿な! 全くふざけていますね」
「ホント、そうだよ」
ナキが来て心強いが、この数。ナキでも手に余るようだ。
「どうする? 俺も一匹ずつしか対処出来ないぜ」
「氷で牽制しつつ、まずは村から引き離しましょう。オミヒトは私に近づく魔物を払って下さい」
「分かった!」
ナキはにじり寄ってくる魔物を氷の礫を打ち出し、制止しつつ、ゆっくりと移動を始めた。俺はナキの背後に周り、周囲を警戒する。少しずつだが村の外へと向かっている。ほとんどの魔物が俺達に釘付けになっている。
「このまま村の外れに誘導し、一箇所に集めましょう。そこを私の氷で一網打尽にします!」
「あぁ!」
いける、いけるぞ。この作戦なら村の被害を抑えつつ魔物を倒せる!
「……ッ!?」
ナキが突然、周囲を見回した。
「どうした?」
「何か、来ます。強大な魔力を感じる……!? オミヒト! 私のそばに!!」
そう言うや否や、ナキは俺の手を掴み引き摺るように地面へ引っ張った。
「痛っ! 何だって言うんだ!?」
俺の驚きの声にも応えず、ナキは杖を地面に向けた。その先から、みるみるうちに分厚い氷の壁が生えてきた。ドーム状に形成された氷は、俺達をすっぽりと覆った。氷の壁以外何も見えなくなる。
「あなたの魔力なら大丈夫かもしれませんが念のためです」
「何が、何が来るんだ?」
「これは恐らく……テンヤの魔力です。しかしこの速度、あり得ません。こんなに速く移動できる訳がない……。そんな……もう来ます!」
その瞬間、地面が揺れるほどの轟音が響いた。次いで衝撃。氷の壁に一瞬で方々へ亀裂が入り、崩れ去る。何が起きてる!? 俺は吹き飛ばされないよう必死に地面にしがみつき、うずくまった。
……パチパチと爆ぜる音が聞こえる。変な臭いもする。……クサい。
「あ、あぁ」
ナキが気の抜けた声を出す。恐る恐る頭を上げる。周囲は——見るも無惨な焼け野原になっていた。木々や家屋、魔物だったものが燃え盛っている。何かが飛来した中心部は、衝撃で何もかも吹き飛ばされ更地と化している。
「マジかよ……」
俺は焼けた大地を呆然と歩き、中心部へ向かう。そこには、矢がたった一本刺さっていた。そっと触れる。緑光のおかげだろうか熱くない。不思議なことに、火がこれほどあるにも関わらずこの矢は燃えてない。
「……魔力が込められる細工が施された、特注品です」
いつの間にか横に立っていたナキが、青ざめた顔で言った。拳を硬く握っている。俺も状況を飲み込んできた。
「まさか、テンヤが?」
「どこかから射ったのでしょう。テンヤしかこんな真似は出来ません」
“テンヤが来る” その意味はこういうことだったのか……。魔物も完全に一掃。もうこの周りに生きてるものは俺達以外にいない。依頼は完了された。だが、これはあまりにも……
「ひどすぎます……」
ナキが俺の胸中を代弁するかのように呟いた。
なおも燃え続ける村を前に、俺はテンヤが射った矢を強く握りしめることしか出来なかった。
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