第2回 「授けの泉」
ナキに連れられ、俺は街の宿屋へ入った。俺達以外に客はいなかった。
テーブルに座ってしばらくすると、温かい料理が運ばれて来た。夢中で頬張った。人生の中で一番じゃないかと思うくらい、美味かった。
腹が満たされて来ると、鈍っていた思考が蘇ってきた。すると、この謎の状況に不安がどっと押し寄せて来た。ナキは料理を頼まなかったようで、俺が無作法に食べまくる様子を眺めていた。白い装束はいつの間にか脱いでいた。肩までの青みがかった白髪に色白の肌をしている。目鼻立ちはこじんまりとしており、幼い印象を与える。中でも大きな金色の瞳が一際異彩を放っている。見た目だけなら10代前半くらいか? フリルや花の装飾が至る所に施された
会話の糸口をどうしようか考えていると、ナキはおもむろに口を開いた。
「貸しですね」
「にゃ、何が?」
しまった。頬張りすぎて、うまく喋れなかった。
「あなたが今、夢中で頬張っているこの状況ですよ。私の見立てでは、あなたはあのままだったら一晩ともたなかったでしょうね。感謝するといいですよ」
ナキは大袈裟に足を組んでふんぞり返った。
「あぁ、ありがとう。本当に感謝してるよ」
ありがたくはあるが、ナキの真意は掴めない。助けられたのが飯屋の主人だったなら、こうも気が気ではないだろうが。
食事を終えて、コーヒーが運ばれて来た。今度はナキの分もあった。ナキは「これも貸しです」と言ってコーヒーを
しばらくの無言の後、今度は俺から切り出した。
「教えて欲しいんだけど、どうして俺を助けてくれたんだ?」
ナキは思惑を
「それはあなたに見込みがあるからですよ。と言うのも、私はある任務を遂行するためにこの街に来ました。その任務の実行にはあなたのような人が必要なのです」
「俺のような?
「何が出来るかは重要ではありません。それはあなたの出自、まぁ、平たく言うとハイシにいるような人ではないこと、"この世界の生まれではないこと"が条件です」
「え……」
そう言うと、ナキは俺に向かって右手の人差し指をぴんと伸ばし、差し向けた。
「あなた……異世界人でしょう?」
俺は呆気に取られた。なんとなく異世界から来たということは隠しておいた方がいい気がしていた。俺が読んだことのある小説でも、素性はみんな隠していた。多分、ややこしくなるからだと思う。それなのに、あっさり見破られてしまった。
「その反応、まさか隠し通せるとでも思っていたのですか? 無理でしょう。まずその
ナキはやれやれといった調子で話す。少しムキになってしまいそうだ。
「それで、そんな生き方がヘタな異世界人に一体、何の用なのさ」
「先程言ったように私の任務を手伝って欲しいのです」
「もちろん、飯を奢られた分の働きはするよ。ただ、人殺しの依頼なんて物騒なのはゴメンだけどな」
そう言ったら、ナキは目を見開いた。俺も同じく目を見開いた。
「まさか……、人殺し?」
「……いえ、そうではありません。しかし、近いと言えばそうかも……」
マジかよ。いや、いや、もう少しだけ聞いてみるか。
「それってどんな任務なんだ? そもそも誰からの依頼?」
「ある人間を方法を問わず、討伐することです。私が所属している組織が独自に動いてるので、依頼人は特にはいません。ただ、その人物がいなくなることを望んでいる人は多くいます」
うーん……。その組織なりの大義があってやってるってことか? それでも物騒ではあるな。異世界に来て、いきなりそんな後ろ暗いこと、俺はしたくないな。となると、取るべきは……
「すまんが、断る。ご飯代はまた今度払う! ハイシにいればまた会えるよな!」
やばい奴だ。早く逃げたほうがいい。空腹と寒さに負けたのがいけなかった。足早に宿屋の扉へ急いだ。
ドアノブに手をかけようとすると、ナキがその手を掴んだ。俺より動き出しが遅かったはずなのに、いつの間に? 掴む力も強い。それに、手は暖かい部屋にいるはずなのにひどく冷たい。
ナキはその
「奢られた分の働きはすると言ったのは嘘なのですか?」
「そのつもりだったけど、話は別だ。人を殺したことなんてないし、したくもない。金なら少し待たせてしまうけど、必ず返す」
「返すとは! 危うく野垂れ死しそうだったのに信用できません。それにここを出てどうするのですか? 確かに難しい任務ですが、私達にはあなたの寝食を保証する用意があります。もちろん任務中もその後も」
「うぅ……」
寒空を耐えるか、明らかに危険な任務を取るか。どちらをとっても最善とは思えない。
俺は迷っていた。
「その人物を打倒した暁にはこの街が救われるはずです」
「……なんだって?」
“この街が救われる” その言葉に俺は何故だか惹かれた。この一日で心の奥底に沈殿した吹き溜まりに光明が差したような気がした。俺の内心を読み取ったのか、ナキは掴んでいた手を離した。
「あなたは何故、このハイシの街がこんな、……荒れているのか知りたくはありませんか?」
翌朝、俺とナキは馬車に揺られていた。結局、俺はナキの誘いに乗ることにした。彼女についていけば何か変わるかもしれない。俺は自分で生き抜くよりも誰かに寄りかかることを選んだ。
ナキは小窓から見える景色を眺めている。
「そういえばまだ、名前を聞いてませんでしたね」
ナキは視線を外に向けたままぶっきらぼうに言った。
「オミヒトだ。
「では、オミヒトと呼びます。オミヒト、昨日の晩、宿屋で言ったことを覚えていますか?」
「……すまん。多すぎて分かんない」
「フッ。それもそうですね。ハイシが荒れている理由です」
「あぁ、覚えてる」
「荒れているといってもハイシは見た目上は普通です。しかし、ギルドはあの状況です。私の調べでは、ここ十年間、新たに冒険者の登録をできた者は一人としていません」
「そんなにか!? だからあの職員はあんな態度だったのか」
「現状、ギルドに出入りするのは改められた審査を合格した者だけです。それも極少数。あの審査内容を聞いて、どう思いましたか?」
「そんなの無理だって思ったな」
「そう。無理なんです。あの審査に合格できるのは恐らく、ハイシとその周辺を探しても、精々片手で数えられる程度でしょう。あれではギルドの全うすべき義務を果たせていません」
「義務? 魔物退治とかか?」
ナキはようやく目線をこちらに向けた。ひどく悲しそうな表情をしていた。
「ギルドには
ギルドは本来、厳しい審査も高額な登録料も必要ありません。誰かの依頼を受けてそれを達成する。そうすれば日当をもらえます。ギルドとは様々な理由で行き場を無くした人たちが集う、最後の砦でもあるのです。たとえ職を失っても、ギルドがあるから大丈夫。家がなくても、親がいなくても冒険者であれば明日の飯にもありつける。
それが本来のギルドの在り方なのです。しかし……」
そこでナキは一度言葉を区切った。俺は路地の遺体を思い出していた。彼らもギルドが機能していれば、まだ生きていたのかもしれない。そんな可能性があったと思うと、どうにもやりきれない。そして、ナキに助けられなければ俺もああなっていただろう。
「ギルドが機能しなければ街は静かに、しかし確実に壊れていきます。現に、ハイシは十年前に比べて、犯罪も増え、飢餓によって亡くなる人が増えました。治安維持の兵士も増員し、冒険者の質も良くなりましたが、犯罪と飢餓は減る兆しはありません。
その全ての原因を作った人物は、――テンヤという男です」
『テンヤ』そいつが、俺が文句を言いたかった奴の名前か。
「それが打倒する奴なのか?」
「ええ。そしてそのテンヤは、あなたと同じ……別の世界からやってきた異世界人なのです」
ナキは再び視線を外に向けた。俺は何か言葉を言おうと思ったが、一体何を言ったらいいのかまるで分からなかった。ただ、『同じ異世界人』という響きに少なからず、批判が込められていることだけは分かった。
深い森の街道を抜けて、馬車は歩みを止めた。
馬車を降りてみると、そこはとても人が住んでるような場所には見えなかった。鬱蒼とした森。獣道が一本あるのみだった。行き先を聞かずにここまできたが、一体何があるのか。
「ここからは馬車では行けません。歩いていきましょう」
「この先には何があるんだ?」
「授けの泉です。古来より、強い魔力を宿すと言われる神秘の泉です。この泉では、強い力を得られる、または願いを叶えられるとされています。この場所を知るのは私達の組織だけです」
「授けねぇ。願掛けでもするのか?」
ナキは呆れたようにため息をついた。
「あなたに力を授けるために来たのですよ」
力? 俺にそんなものあったのか。いや、あるはずない。昨日寝る前に、色々自分なりに試してみたが何も出なかった。他の異世界人はどうなのか知らないが、この世界の魔法は後付けなのかもしれない。
足場の悪い獣道を歩く。想像していたよりずっと道は長く、息が段々と上がってくる。ナキは俺よりも森を歩きづらそうな格好をしているのに少しも息が上がっていない。
「……さっきの話の続きですが」
ナキが唐突に切り出した。俺があんまりにもキツそうだったから話でもして紛らわせようとしているのかもしれない。
「テンヤは強大な魔力を持っています。誰も敵わないと思うほど。その力を皆、恐れています。ですが、それに対抗する手段はあります。それがあなたなのです」
「ハァ、ハァ……つまり、俺が魔力を手に入れたらテンヤに対抗出来るかもしれないってことか。でもそれって……ハァ、結構な賭けじゃないか? 俺にそんな力あるとは思えない」
ナキはペースが変わらない足取りのまま答えた。
「それなら、別の道を探すまでです。ですが、心配は要らないと思いますよ。あなたは異世界人なのですから」
テンヤがどんな奴なのかまだ分からない。だが、俺が魔力を授かったとして、本当に勝てるんだろうか? ハイシのルールを変え、人々を縛るほどの力を持った奴に。
長かった道のりを経て、ようやく獣道を抜けた。開けた場所には、岩を切り出したような異様な形をした洞窟があった。俺は第一印象を何となく呟く。
「なんか……とってつけたみたいだな」
周囲数メートルは土が剥き出しで、草木は枯れている。その中心に、洞窟の入り口が鎮座している。三メートルはあるだろう大きな入り口が存在感を放っている。
「この泉を見つけたときには既にこのような形でした。周囲には手入れもしていないのに草木は生えません。不思議ですが、そういうものです。魔力には我々の想像もつかない力があるとされています」
ナキが松明を持ち、先導する。洞窟に入ると、穴は地下へつづいていた。てっきり地上にあるものだと思っていたから意外だ。
泉は、『泉』というよりは地底湖のようだった。異様なのは外観だけではなく、水の色もだった。暗くても分かるくらい、水がドス黒い。有害物質でも入っているんじゃないかと疑ってしまうほどだ。泉の側には石碑があり、文字が彫られている。
「ナキ、これなんて書いてあるんだ。暗くてよく見えない」
「”望む光に魔の囁き” です。意味は判然としませんが、ある種の警句と考えられています」
「ふーん」
ナキは見慣れているのか、特に心配する様子もなく水に触れた。
「この泉からは魔力を感じます。とても強く、濃い魔力を。しかし異世界人のそれとは違い、
ナキは泉を指差した。
「さぁ、ここへ入って下さい。そして祈って下さい。内容はまぁ……おまかせします」
「えぇ……? 随分と大雑把だな。大事なことなのに大丈夫なのか?」
ナキはあっけらかんとして言った。
「授けの泉が祈りに答えたことはありません。伝承通りであれば、祈りにふさわしい力を授けるはずなんですけど。恐らくこうすれば答えるであろう仮説はあるのですが」
「仮説? それって……。まぁいいや。分かった」
なんとなく察しがついた。俺でなくてはいけない理由。無能力で、世間知らずな俺でも異世界人であるだけでいい。つまり、異世界人だと力を授かることができるってことなんだろう。
靴を脱ぎ、泉に足を踏み入れる。水温はそれほど冷たくなかった。とりあえず祈りを捧げるっぽく両手を組み、胸の前に掲げ、目を閉じた。
祈る内容かぁ、なんでもいいとは言ってたけど。
「ナキ、みんなどんなことを祈ってるんだ?」
「さぁ、分かりません。何故そんなことを聞くのですか?」
「参考が欲しいだけだよ。なんでもいいって困るんだよ」
人に料理を振る舞う時みたいにな。ナキは「うーん」と唸り、額に人差し指を当てながら上を向いた。
「そうですねぇ、授けをもらえないかの実験を組織内でした時には、彼らが祈ったのは恐らく、非常に強い「恨み」や「怒り」でしょうね」
「まじかよ。ここって丑の刻参りスポットなのか?」
ナキが小首を傾げた。あ、そうか丑の刻参りなんて伝わるわけがない。
「あー、その、恨みつらみをぶちまける場所なのか?」
「いえ、そういうわけでは。ただ組織の性質上、そうなるだろうというだけです」
祈る内容が揃いも揃ってそんなだろうって、ナキの組織は一体何をしてるんだ。やっぱり危ない奴らの集まりなんだろうか。というか、全然参考にならないじゃないか。
内容を考えあぐねていると、突然、ナキが声を張り上げた。
「オミヒト! 足元!」
目を開けて足元を見る。なんと、ドス黒い水が俺の体を足から登ってきていた。意思があるかのようにうねっている
「なんだよこれ! うわぁ!!!」
反射的に水を払い除けようとしたが、するりと俺の手を抜けていく。水はあっという間に俺の全身を包み込んだ。視界が真っ暗に閉ざされる。
まずい、息が……できない? 溺れる! 頭が混乱している。
……泉での出来事はここまでしか覚えてない。
……誰かから頬をぺしぺしと叩かれている。目を開くと、叩いていたのはナキだった。俺が起きると、意外そうに目を見開いた。
「あ、起きたのですね。死んでなくて良かったです」
俺は宿屋に運ばれたようだ。無機質な白い壁が囲む部屋の質素なベッドに寝かせられていた。ゆっくり起き上がると、関節の節々に違和感があった。泉での黒い水を思い出す。寒気がして急いで体を確かめる。
「どうにもなってませんよ。見た目はね」
ナキは含みのある言い方をした。俺は恐る恐る聞いた。
「あの後、どうなったんだ?」
「あなたに黒い水が取り付いたのは覚えてますか?」
俺は頷いた。
「全身に黒い水が行き渡ると、暴れていたあなたは倒れました。頭を強く打ったんでしょう。ここまで運ぶ途中も全く目覚めませんでした。不思議なことに、あなたに取り付いたはずの黒い水はすっかり消え失せました。おまけにあなたの体は濡れてもいない」
確かに俺は濡れていなかった。魔力を持つ特別な水だったってことか。
「つまりさ、あの泉の、そのなんだ……。魔力が俺の中に入ったってことか?」
「状況からみて間違い無いでしょう。ともかくこれで、無事にあなたに魔力が宿りました。テンヤ討伐の大きな一歩ですね」
祝杯でもあげたい気分ですよ。そうだ
魔力が宿ったわりには、体に妙な違和感があるだけでなにもない。しかも、その違和感も話を聞いてるうちに治ってきた。
「そもそも、魔力が宿ったって、何ができるようになったんだ?」
ギルドの職員が言ったみたいな、手から火とか水とか出せるのか?
俺はおもむろに右手を突き出して、力を込めてみた。
やっぱり何も起こらない。それとも掛け声とか必要なのか?
「はぁっ!!」
そう言った瞬間にドアが開いて、ナキが戻ってきた。手には葡萄酒とグラスを持っている。
「何をしてるんですか?」
「あぁ、いや……」
俺は顔が赤くなったのを隠すために、極々自然な動作でそっぽを向いた。……待てよ、まさかナキを呼び出す魔法? ……そんなワケないか。
ナキは俺の行動をさして気にする様子もなく、葡萄酒を空けた。そしてグラスを俺に渡した。
「乾杯しましょう。オミヒトに魔力が宿ったのを祝して」
ナキと俺は軽くグラスを合わせた。葡萄酒は、渋みが強くてあんまり好みではなかったが、「魔力祝い」という非日常のイベントの酒、ということであんまり悪い気はしなかった。
「これから、やることがまだまだありますよ。まずは服を用意しましょう。その格好では目立ちますからね。それに私達の長に会ってもらいます。後、魔法を呼び起こすための訓練、あぁそれからテンヤの詳しい情報や動向もあなたに教えなくては」
先は長いな。ま、奢られた借りの働きはしっかりこなさないとな。出来ればテンヤとは話し合いで解決したいところだけど。
「そういえば、ナキの組織って名前とかあるのか?」
「ありますよ。ただ、外で大っぴらに言えるような名前ではありません。くれぐれも外では「組織」などといって誤魔化すようにお願いします」
ナキは注意するようにと言いながらも、ゆったりと葡萄酒を味わっていた。酔ってるんだろうか? 顔は普段通りだけど。俺は残り僅かになった葡萄酒に口をつけた。
「私達の組織の名は、『
俺は、葡萄酒を吹き出した。
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