夢の異世界、彷徨く魔

千湖

第1回 「幻想は抱けない」

 木組の建造物が立ち並び、石畳が敷かれた、まるで非日常的な街並み。その一角、冷ややかな路地を差していた陽もいよいよ姿を消した頃、俺は途方に暮れていた。

 なんでこんなことに。一体、どうしたらいいんだ……。


 〜数時間前〜


 「休憩はいりまーす」

 いつもの調子でインカムを入れて、従業員通用口の重い扉を開けた。瞬間、むせかえる様な日差しが襲ってきた。

「あっつ……」

 足早に自販機でコーラを買い、日陰のベンチに腰掛けた。

 休憩時間になると、いつも同じ所で同じ行動をする。理由は、休憩中に他人に関わる必要がないからだ。わざわざクーラーもない外で一服する奴はいない。だから暑くても寒くても外に出る。

 コーラを一気にあおる。冷えた炭酸が喉をつたっていく感覚で暑さが多少まぎれた。

 ただ、このルーティンには難点があって、それは考え事をしてしまうことだ。考える内容は大抵よからぬことだ。将来とか、人生設計とか、老後とか、死とか。

 考えないといけないが考えたくない話題。うだうだ悩んで、結局は決まって、やけっぱちな台詞を独り呟く。


 今日もそんな休憩で終わるはずだった。


 時間が来たので、重い腰を上げ、忌々しい俺のバイト先、スーパーマーケット「スーパーレックス」の扉を開けた。……確かにそのはずだった。

 しかし、俺の目の前に広がった景色は、見慣れたスーパーレックスの通路ではなかった。

「は?」

 俺は……背の高い鬱蒼うっそうとした木々が立ち並ぶ森にいた。

 反射的に後ろを振り返ったが、既に扉はなく、緑一面だった。

「どうなってんだ?」

 己の身に降りかかっている現象を、俺は『神隠し』だとか、『瞬間移動』とか、あるいは『異世界転移』とか、荒唐無稽こうとうむけいな言葉でしか理解できなかった。

「うっ……! 痛ぇ……」

 途端、酷い頭痛に襲われた。気分も悪くなってきた。立っていられなくなる。俺はうずくまって気分が落ち着くのを待った。


 まだ体調は悪いが、なんとか動けるようにはなった。俺は相変わらず自体をうまく飲み込めないまま、とりあえず森を歩いた。よくよく考えると、こういう場合、下手に動かない方が良かったのかもしれない。しかし、不幸中の幸いか、俺は開けた場所へ出た。だが、道は俺が知る様なアスファルトではなく、舗装もされていないあぜ道だった。

 ここは日本なのか? 頭にそんな疑念が浮かんだ。

 その矢先、つんざく様な轟音が周囲に鳴り響いた。思わず耳を塞いだ。その音はまるで獣の鳴き声のようだった。しかもこれまでの人生で聞いたこともないような恐ろしい響きだった。

 音の方向は空から。上を見ると、頭上に大きな影が現れた。

「なっ……!?」

 トカゲの様なごつごつした鱗に、コウモリを思わせるしなやかな翼膜、鋭い爪を備えた太い後ろ足、軽く十メートルは超えるだろう巨大な生物が、空を飛んでいた。それはファンタジーのドラゴンそのものだった。

 呆気にとられる俺に目をくれることもなく、ドラゴンは金属を強く擦り合わせたような奇怪な鳴き声を発し、悠然と飛んでいく。

 その時、ドラゴンの真下から轟音が響いた。直後、巨大な爆炎が発生し、ドラゴンを瞬く間に包み込んだ。

 なんだ? 何が起きてるんだ?

 爆炎はまるで統制が取れているかの様に燃え広がらず、地上から雲の高さにまで届くほどの火柱を作っていた。バチバチと爆ぜる音がする。

 数刻の後、巨大な火柱からドラゴンが抜け出てきた。しかし、その体はボロボロで翼は焦げ付いていた。ドラゴンは苦しそうに鳴くと、ほうほうの体で山の方へと飛び去っていった。

 

 目の前で起きた信じられない光景。俺は日本ではないどこか、いや、地球ではない異世界に来たんだと否が応でも分かった。

「マジで異世界なのかよ……」

 異世界なんて本で読んでことあるくらいだぞ。

 心臓の鼓動が速くなってる。それは高揚か恐怖かよく分からなかった。とにかくその場から一刻も早く離れたくて、ドラゴンが飛んでいった方向とは逆の方へ走った。


 どのくらい走っただろうか。後ろから砂利を踏みつける音が近づいてきた。

 先刻の出来事で音に敏感になっていた俺はすぐさま振り返った。俺の後ろにいたのは荷台を引いた馬車だった。それも漫画や映画で見るようなレトロな。

 手綱を引いているのは茶色の外套がいとうを着た初老の男だった。俺を見かけるとそのまま通り過ぎず、馬車を止めた。

「どこか、行くんか?」

「えぇ、人のいるところに……」

 男は笑った。多分、俺があまりにも切実そうな顔をしていたからだろう。

 そうして俺は馬車に助けられた。

「随分な格好しとるが、どこから来たんだ?」

「日本です。スーパーレックスってとこです」

「……知らんなぁ」

 やっぱりここは異世界なんだろう。男は俺の格好も話す言葉も慣れないようだ。しかし、何故かは分からないが言葉は通じるようで、一安心だ。

 馬車の車輪から伝わる振動は、そんなことに構ってる余裕はなかったからなのか、あまり不快には感じなかった。


 馬車に揺られて一時間くらいだろうか。男に促されて馬車から降りた。周囲には人の喧騒がある。

 どうやら無事に街へと到着した。

「ここが、『ハイシ』。街道をつなぐ、商いと冒険の街だ」

 男は何故か自慢げに鼻を鳴らした。

 街には人がたくさん行き交っている。ようやく文明を見れてひとまずホッとした。しかし、文明といっても現代とは程遠い街並みではあるが。

 道中、いくつか質問をした。怪しまれないように聞くのはかなり骨が折れた。そのせいでこの世界のことは上手く聞き出せなかった。しかし、収穫もあった。

 ハイシは主要な街道から外れてはいるものの、周辺の村々の物資をつなぐ拠点としてそれなりに栄えている。付近には巨大な山林があり、そこに豊かな自然が広がっている。俺が目撃したドラゴン(男によると、特徴からドラゴンではなくドラゴンよりも位が下がるワイバーンらしい)のような魔物も森にはいるらしく、魔物の狩猟や、住民の困りごと解決、土地の発見と開拓など便利屋として冒険者が重宝されている。街には多くの冒険者を統率し、管理するギルドもあるそうだ。魔物が生息する森に近い街はギルドが盛んになるらしい。

 男が馬車から降りると、何人かの住民が集まってきた。手紙や荷物を受け渡している。

「……あの、ありがとうございました」

「おう、俺も話し相手ができて退屈しなかったよ。礼はいらねぇからもう行きな」

 そう言うと、男は受け渡しに戻った。

 俺は深く一礼をしてから、その場を去った。


 教えてもらったギルドに向けて歩く。俺の今の状況といえば、例えるなら流れ者だ。家も金もない。だが、ギルドはそういう流れ者の受け皿になっているらしい。まあ生活保護もなさそうなこの世界では、雇い口があるだけありがたい。

 日本に戻ることができるかも分からないこの状況では、何よりここでの生活基盤を確保するのが重要だろう。頭の整理はその後でも良いだろう。


 ギルドは酒場も兼ねており、中に入ると、カウンターやテーブル、依頼が貼り出してある掲示板があった。二階建てになっており、一階が酒場、二階がギルドと分けられている。もっと人でごった返していると思ったが、せいぜい数人いる程度で拍子抜けした。彼らは入り口にいる俺を物珍しそうに見てくる。皆、ギラギラとしたオーラを放っており、その視線は体に突き刺さるようだ。

 俺はたまらず、足早に二階へ駆け上がり、受付っぽいブースへ逃げ込んだ。

 受付には人はおらず、椅子は空いていた。階段を上がる音を聞きつけたのか、奥からギルドの職員と思われる中年の男が出てきた。男は少し眉を吊り上げた。

「何か御用ですか?」

「えーと……冒険者の登録をしたいんですけど……」

 職員は、「あぁ」と気の抜けた返事をすると、椅子に座るよう促した。予想していた応対と違い、少し不安になってきた。

「ハイシは初めてですが?」

「えぇ。遠いところから来ました」

「なるほど……。今まで他のギルドで登録は?」

「ありません。初めてです」

 事務的な会話をしていたが、職員は書類なんかを書く素振りもなく、ずっと神妙な面持ちだ。

「あの、ここに来れば、お金がなくても食い扶持を凌げると聞いたんですが」

「誰から?」

「えーと、馬車引きの……手紙とかを運んでる……」

 しまった。名前を聞くのを忘れていた。

「あぁ、馬車引きの。そうか、そうか。だったら知らないのか……」

 職員は一人で納得していた。どうやら男が教えてくれたギルドとこのギルドではルールが違うようだ。途端に不安が増してくる。

 職員は咳払いして居住まいを正した。

「あのですね、このハイシの冒険者ギルドは、冒険者として登録する場合、登録料に銅貨十枚、そして、が必要なのです」

 金が必要なのか。いやそれよりも、引っかかったのは……

「類稀な才能? それってなんですか?」

 職員は渋い顔をした。

「それはですね……例えば大木を切り倒す怪力、あるいは剣術であったり、遥か遠くのモノを射抜く弓術であったり、さらにあったら良いのが…………火や水なんかを生み出す『魔法』とかですねぇ」

 お手上げだ。俺にはどれ一つとしてない。「はぁ」という気の抜けたような相槌しかできなかった。

 職員も処置なし、というように両手を挙げた。

「あなたを見た時から、薄々分かっていたんですよね。何も持っていないだろうと。ただ、よそからやってきたということで少し期待したんですがね」

 言ってることはキツいが、その表情は諦念ていねんに満ちていた。どうやらこのルールは彼の本意ではないらしい。

「昔は違ったんですがね……。冒険者も職員も昔はもっといたのに。それもこれも……!」

 そこまで言いかけて職員は口をつぐんだ。急に周囲を確認すると、申し訳なさそうに俺に出口の方を示した。

「残念ながら、あなたはこのギルドには不適格です。さぁ、もう行ってください」

 かくして、俺の生活基盤を得る目標はいきなり頓挫した。


 入ってきた時よりギルドの扉はずっしりと重く感じた。

 それから、あてもなくハイシを歩いた。

 見かけた商店で服を買い取ってもらえないかかけ合ったが、「縫製が分からない服は買い取れない」と気味悪がられ、すげなく断られた。現代の服は物珍しくあるが、変わり物好きの富豪はこの街にはいなかった。多少なりともあった日本の硬貨も残念ながら同じ扱いだった。

 行き交う人、話をする人、どこかよそよそしかった。職員もそうだが、俺に優しくしたいが、何かが気になってできない、恐れている。そんな風に漠然と感じた。


 〜現在〜


 ハイシは日本の夏よりずっと気温が低い。薄いTシャツ とジーンズには堪える寒さが体を襲う。腹も減ってきた。あの時飲んだコーラ以来何も口にしてない。


 このまま……死ぬのか……?


 想像していた、バラ色の異世界生活とはかけ離れている状況に口元が引きつる。

 寒風が路地を駆け抜ける。思わず全身が震える。その時、路地の奥が不意に目に入った。奥には何かあった。枯葉かゴミが分からないがそれなりの大きさがある『』だ。

 食べ物かもしれない。そんな希望に誘われて、路地の奥へ進んでみる。

「うわぁ!!」

 驚きのあまり後ろに転けた。そこにあったのは……人の死体だった。風上で気づかなかったが、とてつもなく腐臭を放っている。

 しかも、死体は一つではなかった。見えるだけでも三人。一つは他よりも小柄、子供かもしれない。腐臭を嗅いだからか、それとも死体を見たからかなのか、突然、嘔吐感が襲ってきた。頭がひどく混乱している。

 なにがなんだか分からない。

 俺はたまらずうずくまって体がそうするまま、吐いた。


 吐いて気分が良くなる訳もなく、よろけながらもなんとか路地を出た。もうあんな所にはいられない。

 死体はどれもひどく痩せていた。寝食にありつけずボロボロになった末のどうしようもない袋小路。そんな風に写った。少しでも落ち着くために、目に焼き付いている死体の状態を分析して気を紛らわせていた。どこか他人事だと思わなければ、頭がおかしくなりそうだった。


 足取りは、空腹と寒さと死体を見たパニックでふらふらだ。石畳の凹凸に躓いて、つんのめって転んだ。


「うわっ」


 夜になった街は閑散かんさんとしており、中央部にも人はまばらだ。俺が転んでも、誰も気にしない。酔っ払いか何かにしか見えないのかもしれない。転んだ場所は、なんの因果かギルドの前だった。既に閉まっているのか明かりは消えている。

 なんだか視界がぼやけてきた。起き上がることもせず、俺はギルドでのやり取りを思い出した。

『昔は違った』とは。誰かがこの街を変えたのか。

 くそったれだ。出来るならそいつに文句の一つでも言ってやりたいな。

 手足の感覚がなくなってきていた。体が疲れ切っているのが分かる。走馬灯でも見たい気分だ。

「こんなことなら、もう少しちゃんと生きとくんだったなぁ」

 自分なりの最期の言葉を遺して俺はゆっくり瞳を閉じた。

 暗転する直前、俺に近づいて来る人影が見えた……気がした。


「立てますか?」


 人影は現実だった。俺は瞳を開けた。俺の目の前に立っていたのは、白い装束に身を包んだ少女だった。

 透き通るような白地に、刺繍ししゅうが所々に施された小綺麗な外套。フードを目深に被っているが、その奥には燃えるような金色の瞳がはっきりと見えた。手には錫杖しゃくじょうか? 少女の背丈ほどもある魔法使いじみた杖を持っている。こんなに冷えるというのに膝丈のスカートを履いている。


 なんとか起き上がった俺を少女は品定めするようにまじまじと見ている。そしておもむろに右手を突き出した。

「私はナキ。あなたに提案があります。私について来ませんか?」

「あの……どういうこと?」

 ナキと名乗る少女は無言だった。その出立ちからは、掴みどころのない異質な雰囲気を漂わせている。

 何故俺に? ついて行った先に何がある?

 質問したいことが湧き出て来るが、まとまらない。

「……ん」

 ナキは催促なのか右手をずいっと突き出した。俺は逡巡しゅんじゅんして、その手を恐る恐る握った。

 ナキは握手をした俺の顔と手を交互に見やると、満足そうに口元を歪めた。そして、ずいずいと俺を引っ張って歩き出した。

「ど、どこに行くんだ!」

「私が泊まっている宿屋です。ご飯を食べます。熱いスープと肉がありますよ」

 『ご飯』という甘美な響きが俺の頭を埋め尽くす。この少女は一体何者なのか、どうして俺のことを助けてくれるのか、分からないことだらけだ。

 だが、俺はギリギリの状況をとりあえず脱した。……だといいんだけど。


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