短編:ストランダーズ・ガール
-N-
ストランダーズ・ガール
ブーツで踏んだ、生々しい泥のぬかるみを足裏に覚える。記念すべき842万6362歩目だ。ガスマスクをつけた私は、淡々と繰り返されていく呼吸の空々しさを目元に感じながら、この先の旅路はどうなっていくのだろうと思いを浮かべた。そして、かつて旧世界においては一等地のビル街だった、今では自然に飲み込まれて還りゆくコンクリート・アンド・ジャングルに、また一歩、痕跡を刻んでいく。
私。あるいは私たち。
ストランダーズ・ガールは、残された人類存続のために「配達」をしている、女子高制服姿の運び屋をする少女だ。私たちは人間の体液を糧とし、その糧を得るべく、オブジェクトであふれかえる
この仕事は旧世界が死んで、必然的に新世界が生まれたときより課せられたものだ。人間が仕事で対価を得ていたように、私たちも残された文明で共存するにあたって、そうしなければならなくなり、やがて生きると同等の使命となった。
この世界で、私たちは、生きている。私は、生きていく。
ストランダーズ・ガール
私は見晴らしの良い場所を求めて、高架線を出っ張る木の幹にアンカーガンを撃ち込んだ。二、三度引いて安全を確かめて、二つのグローブハンドでロープを握り、登る。
そうしてたどり着いた線路の上の電車レールはもう、使い物にならないほど湾曲してしまったか、新緑の下敷きになってしまったようだった。
かつて、ここは何人の人間が往来していたのだろう。
線路の反対側まで行き、
配達は、読み方通りの
それでも。自然たちは大きなビルまでは飲み切れていなかった。昔の面影がそのまま残った広告や店看板もある。そういったものを目印にして、点と点を結び合わせながら、人間たちがすみかとする
景色と地図とを照らし合わせて、考えていた。もう時折、銃撃音と獣の叫ぶ声がしていた。音の出方から察するに予定していた運送ルート上で、テリトリーの支配権を巡り人間とオブジェクトとの戦闘が行われているようだった。
この戦火の中を直進するのはあまりに危険だ。たいてい外で活動している人間は銃器を携えているし、それもオブジェクトとの戦闘をしている人間などというのは重装火器の武装をしている。オブジェクトはそもそも人知の及びの付かないモノも多い。関わって荷物を損失でもしてしまえば――
右回りのルートだった配送プロセスを変更することにした。大きくそれてしまうが左回りに。メトロ同盟を介して地下を通り、別の場所から新たに目的地へとアプローチする。
メトロ同盟は緩衝地帯的な人間コミュニティだ。人間とも、私たちストランダーズ・ガールとも距離を保ったままにあって、メトロの名の通り、地下鉄網をすみかとする。彼らへの行き先は、この旧路線にそって行けばたどり着く。そうと決まれば出発だ。
バックパックにタブレットをしまい込んで背負い、その上からマルチキャリアーを背負った。
制服のチェックスカートが、よい風通しにたなびいた。
地下鉄網への入り口は、自然にもそうそう食い破られることのないような鉄製の大扉で閉じられていて、銃を持った男が二人、守衛に当たっていた。私は両の手を開き、頭の上に掲げながら、彼らの前に出た。
「止まれ。ストランダーズ・ガールか」
「ええ、そうよ。ID照会はいる?」
「いやいい。それと手は下げていいぞ。あいにくだが、現在ここは閉鎖中だ」
珍しい。メトロ同盟が訪問者を拒絶するとは。
「なにか問題でも」
「ああ、少しな。――オブジェクトと断罪の弾痕教会との
先程の銃声はやはりそうだったのか。
断罪の弾痕教会はカルトの信奉者で構成される人間コミュニティの一つだ。私たちを含むオブジェクトの存在を許さず、発見次第、殲滅しようとする。コミュニティに所属する全員が戦闘に長けているため、私たちストランダーズ・ガールも、教会のテリトリーを侵すルート採択はしない。
「配達のため。メトロを使わせてもらうのが最適だと判断したの」
「それならなおさらたちが悪い」
男のうちの一人は青空を仰いで息を漏らす。
「オブジェクトが出たのさ」
「どういった類の」
「嘆き悲しむ女さ」
――オブジェクト。
それはこの世界が滅んだ原因でもあり、私たちが外でこうして活動していられる出来事を生んだ存在、そして私たちだ。
オブジェクトは大抵、私たちや人間に対して非常に暴力的な存在で、科学でも解明すらできない能力や現象を引き起こすと知られる。元々はそれらを一般市民には公開しない、されないよう『財団』と呼ばれる組織が封じ込めていたが、何らかの理由で財団は崩壊し、それに伴って解き放たれたオブジェクトたちが世界を滅ぼした。
同時に、世界の安全装置であった財団亡きあと、人間の血や汗をもすする私たち、ストランダーズ・ガールも、白の収容室から世へ、放たれた。
「嘆き悲しむ女がメトロに?」
「ああ。この先だ」
男たちは肯定し、一人は親指立てて鉄扉を叩いた。
「だから俺たちも参ってるんだ。中でも外でもオブジェクトがいちゃあ、いつまでたってもホームに帰れないし……オブジェクトはなんであれ、怖い」
さて。人間にはこのオブジェクトに対抗する手段がない。
嘆き悲しむ女は不特定の暗所に出没して、名前通りの声と
対抗手段としてこのオブジェクトは無力化、つまり殺すことができるが、嘆き悲しむ女の呪詛を認識した人間は殺されるまで追いかけ回され、その間は死なない。財団はこのオブジェクトに対して、超防音装備なるものを使って鎮圧していたそうだが、防音装備もままならない今の人間が処理対応をするとなると、二次災害が起きてしまいかねず、非常に危険だ。
「私も怖い? 私もオブジェクトよ」
「アンタたちは分からない。俺たちメトロ人間も、あんたらが持ってきてくれた薬で助かったことがある。誰しもだ。それに若者のはけ口になってくれる。よっぽど断罪の弾痕教会の方が恐ろしいな」
「それは光栄ね。さて――」
しかし私たちストランダーズ・ガールは、オブジェクトだ。
「取引をしましょう。嘆き悲しむ女を殺すわ。メトロの往来権利を頂戴」
ブラック・ライフル――AR-15システムを搭載した、財団標準装備のシャープシューターライフルだ――を構えた私の目の前が、暗くなる。いや、先細りに真っ黒になっていくトンネルが現れたと言うべきか。ともかく、開けてもらった鉄扉の先は底抜けにどんよりとしていた。無線を使ってメトロ司令部へ取り次いでくれた男二人に礼を言うと、その扉の中へと入った。
「閉めて頂戴」
「グッドラック。ストランダーズ・ガール」
扉が閉まると同時に、私は銃に取り付けられたるフラッシュライトの明かりを入れて、光のささない世界を切り裂いた。そして私は、ブーツを鳴らし始めた。
メトロへの入り口となるここは、自然とも隣接しているからやはりというべきか、自然に食われはじめていた。レールは原型をとどめていたが、壁や天井へ明かりをともしてみると、木の根がヒビのように走っており、一部では染みこんだ雨水がぽたぽたと流れている。メトロ同盟のこうした管理の行き届かない場所では時期遠からず、自然の力によって封鎖されることとなる。メトロ同盟だけの問題にあらず、私たちやメトロを利用する他コミュニティの通行路にも悪影響が出かねないと懸念されている。
途中に、放置された電車車両があった。メトロ同盟ではこういう残骸を駅まで引っ張ってきて、これを利用して居住スペースを作る。だが、この列車は先端がまるで正面衝突にでもあったかのようにぺしゃんこに潰れてしまっていて、鉄スクラップにするほかない有様だった。事実、車両の中を覗いてみると、座席(寝具に使う)や自動ドア(バリケードや簡易防弾盾に使われる)といった使われようのあるものは根こそぎ取られていたから、この電車車両は放置することとしたのだろう。
「…………ぉぉ」
しんとしたトンネルの中に、嘆き悲しむ女の声が交じりはじめた。
さらに歩みを進めると、放置された規模の小さい駅構内へたどり着いた。路線から上がって構内を照らす。外へと上がる階段は瓦礫で埋まっており、そこから木の根が虫食いのように生えはじめていた。
「……にくい……かゆい……さみしい」
女は、その構内に置かれたベンチにて、うずくまるようにして、いた。ライトを照らす、私を見る。焦点の合わない目。ケタケタと、外れた顎で笑っている。
なるほど、確かに嘆き悲しむ女だ。
「……あああ……あうあ……しにたい」
「悪く思わないでよ」
私はブラック・ライフルを構えて、頭に狙いを定めて、トリガーを引いた。
ずばんと暗闇を切る音と同時に、嘆き悲しむ女の頭がはじけとんだ。その瞬間、人間の女のこの世のものとは思えないほどの叫び声と共に、彼女の姿が消えたのであった。
大音量をかき消すイヤーマフをも貫通した叫び声は、私にしばしの、目まいをもたらすくらいの耳鳴りを引き起こした。くらくらする頭をどうにかして、それでもと暗闇のメトロを一人歩き続ける。すると向こうから眩い人工灯が確認できた。
「おうい、お嬢ちゃん」
私を呼ぶ声も飛んできた。私は片手を上げて二、三度、振って見せた。
そうして両者は互いに歩み続け、相手の姿がくっきり確認できるようになって、私は銃器のフラッシュライトを消した。銃をバックパックにかける。
「叫び声がしたからやってくれたんだなと。迎えに来たんだ」
「ありがとう。どうにも一人じゃ心細くて」
「冗談を。あんたらストランダーズ・ガール以上に肝っ玉の大きい人はいねえよ」
相手が握手を求めてきた。それに応じて私も手を差し出す。
「メトロ同盟の守衛イゴールだ。この近辺の隊長をやっている」
「ストランダーズ・ガール、IDは――」
「名前で聞きたい」
「…………」
私は今まで、名前というものを持ったことがなかった。
「ない」
「そうか」
「……メトロ同盟に加入しているストランダーズ・ガールは、みんな名前があるの?」
「まあ、基本的にはそうだ。半分は娼婦みたいなものだし、それ以外は腕利きの運び屋だ。人間の中に暮らすオブジェクトは嬢ちゃんらにかぎらずみんな、源氏名か通り名か……何かしらの名前を持ってる。その方が分かりやすいからな」
イゴールのライトを頼りに、私たちはメトロの中へと進んでいく。
「配達はどこまでだ?」
「ニューシンホテルズ」
「なんだ、ここから目と鼻の先だったじゃねえか」
そこで私は、ことのあらましを説明した。オブジェクトと断罪の弾痕教会との闘争があること、それを回避するためにメトロを利用しようとしたこと、そして、嘆き悲しむ女を殺したこと。
「確かに。最近のニューシンホテルズ周りは物騒がしくなってやがるな」
「そうなの」
「ああ。前はニューシンホテルズとの取引が盛んに行われていたが、ここのところは必要最低限の連絡しか来ていないようだ。やっぱりそれはオブジェクトが活動的になっているのが関係しているんだろうな。ストランダーズ・ガールたちの行き来の流れも悪くなっている。
それでも荷物を運ぼうとしてるんだ。嬢ちゃんは偉いな」
「仕事よ。あなただって、生きるために仕事をするんでしょ。当たり前の事じゃない」
「そりゃそうだが、下手すれば命を落とす嬢ちゃんたちの日常に比べれば、俺らなんてたいしたことじゃない。外を見に行って、それ以外はメトロの耐えきれなくなった連中が暴れたときに備えて怖い顔をしてりゃあいい」
「ここがMT-07、リバティープールだ」
イゴールは最寄りの駅までの案内を買って出てくれた。そのおかげで、中継地点となる駅まで難なくたどり着くことができた。
「リバティープールはメトロの中でもちと人肌寂しいところでな。物流の繋ぎとして使われる以外には、俺らみたいな治安維持か作業員しかいないようなとこだ」
そのようだった。駅の中は車両と車両を連結する人間、ものを運ぶ人間、それを指示する人間と、物資と活気には満ちていたが、子供の笑い声や赤ん坊の泣き声、談笑といった、和やかな雰囲気はまったく存在していなかった。皆、仕事のためだけにここにいるような印象を受けた。
「ここから向こう、MT-08、グレイシャータウンまでは、メトロの交通網を使うといい。話はつけてある。駅長のスジャってヤツを頼れ。駅長室にいるはずだ」
「ありがとう」
「その代わり嬢ちゃん、次に会うまでに名前だけは決めておけよ。メトロの功労者だからな」
そう言ってイゴールは雑踏の中に消えていった。
私は名前について、いま一度考える機会を与えられた。今まで、私はただのストランダーズ・ガールとして生きてきた。漠然とそういう生き物であって、個体として生きてはいなかった。自分がストランダーズ・ガールであること、それを証明するIDを提示できれば、名前などどうでもよかったのだ。
だが、メトロ同盟や人間のコミュニティでは、名前を重視している。誰かが言っていた。名前は人と人との結びつきを強くするのだと。
打って変わって、グレイシャータウンは静かな駅だった。
だから私は何をするわけでもなく、すぐにメトロから出立した。そこまでの間車両に揺られながら、自分の名前、旅の行方、ストランダーズ・ガールという自らを考えたが、何一つとして結びつくものはなく、やがてそれらは列車の窓から流れて、メトロの闇に溶けていった。
守衛に別れを告げて、改札を出た。
世界は暗闇から、また緑へと戻る。
短編:ストランダーズ・ガール -N- @-N-
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