無意味な力
ひなみ おおがい
僕の名前はあきら。僕には少しだけ普通の人とは違う能力がある。それは全てを記憶する能力だ。一度この五感で感じたものは全て記憶する、そんな能力だ。この能力を聞いて皆自分も欲しいとか思うのだろうか。でも、一つだけ忠告しておく。もし仮に朝起きて僕のこの能力を与えてやろうかと神かなんかに聞かれたとき首を縦に振ることだけはやめておいた方がいい。僕みたいになりたくなかったらね。
今日は弟の運動会の日だ。弟は徒競走に自信があるらしい。「俺、一番になるから絶対見にきてね。兄ちゃん。」弟は言った。そんなことを言われて行かないわけにはいかない。故に今僕は小学校の運動場にいる。順調にプログラムが進んでいく。徒競走も何人か走り、ついに弟の番が回ってきた。僕はそれまでしていたゲームを一旦やめて弟を見ようと思った。一番を取るんだという強い意志が表情から感じ取れた。スタートの合図のピストルが鳴り響く。実際に弟は速かった。序盤から終盤までずっと独走状態だった。弟がゴールテープをきるまで残りわずかとなったその時、僕の頭には嫌な記憶がよぎった。いやよぎったと言うよりももっと色鮮やかに、まるで今その状況に立ち合わせているかのような感じに思い出された。
僕は小学校の運動場にいた。だが、それはさっきまでとは違う運動場で何よりさっきとは違う視点だった。僕は走者の中の一人だったのだ。スタートの合図のピストルが鳴り響いて僕の意志とは関係なしに僕は走っていく。誰も前にはいない。さっきまで見ていた弟と同じ完全な独走状態だった。ゴールテープまで後わずかとなったその時、若干後ろに抵抗を感じたのと同時に急に風景が変わった。少し前まで見ていたゴールテープはもうどこにもなく、それどころか何もなかったはずの道に急に壁が現れたようだった。壁が近づいてぶつかる直前僕は悟った。「これは地面だ。僕は転けたんだ。」顔を上げると皆ゴールしていた。すごく悔しかった。何よりも一緒に走ったみんなが心配してくれている中で、一人だけ遠くから僕を嘲笑するような目で見る男がいた。その男を見て僕は思った。(こいつが僕の服を引っ張ったのか。)そう思った矢先に周りの子が僕に状況を伝えてくれた。「あきらくんがずっと前を走っていたのだけれど、そうたくんがその後すごい勢いで追いついて、その後二人がすごい近づいたと思ったら、あきらくんが転んじゃったんだ。」その言葉を聞いて僕の疑念は確信に変わったそれだけでなく僕の頭にはもっと最悪な可能性まで浮かんだ(こいつ、最初は手を抜いて僕に独走させて一気に追い上げて服を引っ張ることで僕に大衆の面前で恥をかかせようとしたんだ。)それが真実かどうかは分かりようもなかった。だが、頭にそんな考えが浮かんだことで、僕はますます苛立ってきた。
気づいたら弟はゴールしていた。いや、それもそのはず。むしろ弟がゴールテープを切った瞬間を見れたほうがおかしいくらいだ。僕の中でさっきの記憶の世界での出来事は数秒で済む出来事ではなかっただろう。だが、僕が戻ってこれた現実世界はおそらく1秒にも満たない時間しか経過していない。(あぁ、またこれか。)そう思って僕はまださっきの記憶の怒りと恥ずかしさと悔しさを鮮明に抱えたままつよく拳を握りしめた。そう、僕が先程皆に能力を勧めなかった理由、それはこのような感じで「条件」を満たされたら、自分の意思に関わらず必ず過去の記憶がまるでその場に今居合わせているかのように感情まではっきりと思い出される。その「条件」は断定はできないが今までの経験から僕の記憶を連想させるような状況だと僕は思っている。今回のように自分が昔体験した場面を再び見ることで発生する場合もあるし、視覚だけでなく嗅覚や聴覚、触覚など5感全てが発動条件に関係している。この現象を僕はプラトンの言葉を借りて『想起(アナムネーシス)』と呼んでいる。想起は大体30秒から1分ぐらいのことが多いが、長いときは10分程度の記憶のこともある。だが、現実世界で経過している時間はいつも1秒にも満たない程度の時間だ。そして、一番この能力の嫌な点は何度も言うようでくどいが自分のその当時抱いた感情も同時にはっきりと思い出され、その後の現実世界での僕にも干渉してくることだ。
すべてのプログラムが終わり、弟が僕の元へ来た。「兄ちゃん。一番取れたよ!」弟はそう言って笑っていた。僕にはまだ自分の記憶の遺恨が残ったままだった。だが、弟は何も悪くない。せっかく頑張って一番をとった弟の気持ちを台無しにしたくないその一心で僕は自分自身に(弟が僕のような目に合わなかっただけでもよかったじゃないか)と言い聞かせながら、「よかったな。兄ちゃんは取れると思ってたよ。」そう弟に言い、微笑みかけた。おそらくその時の顔は引き攣っていたのだろう。弟の表情からなんとなく察した。「うん、ありがとう。わざわざ見に来てくれて。迷惑だったよね。本当は忙しいはずなのに、来てなんて言ってごめんなさい。」そんな弟の言葉を否定したかった。(迷惑なものか!一位を取ると宣言して実際に一位をとった弟の勇姿を見てそんな感情を抱くわけがない!)そう心の中で思った。だが口には出せなかった。今の僕の表情で言ったところで弟が気を悪くするだけだと思ったからだ。何も言ってやれなかった。あぁ、何度目だろうか。僕がこんな能力を手放したいと思ったのは、こんな他人も自分も傷つけることしかできない力を持っていない自分を想像するのは。
無意味な力 ひなみ おおがい @Hinami-Oogai
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