通学電車

おひとりキャラバン隊

通学電車

「間もなく、上野~、上野でございます。お出口、左側の扉が開きます」


 電車が駅のホームに入っていく。地下鉄の暗いトンネルの壁しか見えなかった車窓しゃそうに、駅の明かりが差し込まれてくる。


 私は西条さいじょうかなめ。12歳。

 私立S学園に通う小学6年生。


 毎日、都内の稲荷町いなりちょうという駅から地下鉄で3駅分だけ乗って末広町すえひろちょうという駅で降りる。

 末広町の駅からはスクールバスに乗って学校に通っている。


 今日もいつも通りに地下鉄の車両に乗って通学してるんだけど、今日はちょっと運がいい。


 だって、いつも平日は混雑こんざつしてて座席に座れないのに、今日はたまたま空いてて座席に座れたからね。それに、10月になってだいぶん朝が涼しくなってきたおかげで、いつもは汗臭かったり香水臭かったりする電車の中が、なんだか清々すがすがしい気もするし。


 で、いつもドっと人が乗って来るのがこの「上野駅」なんだけど、何故なぜだか今日は駅の人も少ないみたい。いったい何があったのかな?


 ま、大人の事情なんてどうでもいいけどね。


 そんな事を考えてるうちに、電車は上野駅のホームにピタリと停車していて、プシューっと音をたてて扉が開いた。


 乗客の半分が上野で降りて行き、入れ替わるようにホームの客が電車に乗り込む。


 私の向かいの席には、同じ年くらいの男の子が座っていて、教科書か何かを読んでいるみたい。

 学校帽のツバのせいで表情はよく見えないけど、チラっと見えた伏せた目元は、まつ毛が長くて、まるで女の子みたいだ。


 いいなぁ、私もあれくらいまつ毛が長ければ、少しはかわいくなれるのになぁ。

 髪の毛だって、いつもお母さんがカットするから、なんだか日本人形みたいになっちゃってるし。


 クラスの女子の中には、もう美容院とかに連れてってもらってる子もいるのに、うちのお母さんは、

「高校性になるまではダメ」

 ってうるさいんだよね~。

 あ~あ、このまま私は日本人形みたいに箱入り娘のまま、何も知らずに社会に出されて、親の言いなりの人生しか送れないのかも知れないなぁ・・・


 そんな事を考えているうちに、駅のホームの人が電車に乗り込み終わったみたいで、みんな早く発車しないかと待っているみたいだ。


 10秒くらいすると、駅のブザーが鳴って、発車を知らせるベルが鳴る。


「間もなく、扉が閉まりま~す」


 その時、ホームの奥から小太りのサラリーマンらしきおじさんが

「乗りま~す!乗りま~す!」

 と声を上げながら、ふうふう息を荒げて電車の扉に向かって走ってきた。


「駆け込み乗車はご遠慮えんりょください~」


 という放送が聞こえていないはずは無いのに、おじさんは止まろうとしない。


 プシュー、と音がして扉が閉まるのと、おじさんが電車に乗り込むのとがものすごいタイミングで重なった。


 バタン!


 と音がしたかと思うと、おじさんが持ってたカバンが車内に落ちていて、当のおじさんは、ちょうど体半分で扉にはさまっていた。


 ええ!?


 私は、おじさんが漫画まんがみたいに体半分が扉に挟まれたのを見て吹き出しそうになった。


 ダメダメ! 笑っちゃダメ!


 なんとか笑いをこらえているのに、扉はおじさんを挟んだままなかなか開かず、

「ちょちょちょ、挟まってましゅ!挟まってましゅ!」

 と必死にもがくおじさんを見て、もう私の笑い袋のが切れそう!


 やっと、

「いったん、扉が開きま~す」

 と車掌さんの声がして、プシューっと扉が開いたかと思ったら、またすぐに扉が閉まって、その間におじさんも車内に入れたと思ったんだけど、片足がまた扉に挟まってて、

「あにょにょ! 挟まってましゅ! 挟まってましゅ!」


 もうダメ! 笑い袋から声がれちゃう!


 扉はまたすぐに開いて、おじさんは何とか車内に入れた。


 おじさんは車内のカバンをひろって立ち上がり、カバンから取り出したタオルで汗だくの顔をゴシゴシ拭いたかと思うと、吊り革をにぎって何事も無かったかのように、


「ふう、暑い」


 ってこっちを見て言うなぁぁ!


 なんで2回も挟まったの? 

 なんで汗だくなの?

 なんでスーツがびしょびしょなの? 


 もうダメ! ほら見てよ、周りの人達も肩をふるわせながら笑いをこらえて、何とかごまかす為にスマホに何か書いてるフリしてる!

 私はスマホとか持ってないし、他に何かごまかせそうなもの、えーと、えーと!


 何とか笑いをこらえる為に、何かないかとキョロキョロして向かいの少年の方をふと見ると、少年は真面目な顔でじーっとこちらを見ていた。


 え? え? 何?

 じっとこっちを見てる?

 やだ! 恥ずかしい!

 私ずっと笑いをこらえてたから、変顔へんがおになってたりしてなかった?


 やだ、どーしよう!

 さっきまで本を読んでた男の子!

 よく見れば、ちょっとカッコイイ顔立ちの男の子!

 まっすぐな視線でじっとこっちを見てる!

 凛々りりしい眉、長いまつ毛!

 整った顔立ちにすらっとした鼻!

 口元も一文字に結ばれて、少女漫画の主人公でもおかしくないよ!


 心臓がバクバク鳴り出して、胸が苦しくなってきた。


 どうしよう!

 なんか変な汗が出てきた気がする!

 私も男の子の視線に吸い寄せられたみたいに、目が離せないよぉ!


 なんだか頭の中がしびれたみたいに、うまく考えがまとまらない。


 私、どうしちゃったの!?

 もしかして、これが一目ぼれってやつなの??

 私の初恋って、こんな突然始まるの!?

 っていうか、さっきのおじさん、ズボンのチャック開いてるし!

 もう!

 邪魔だから、おじさんどっかに行ってよ!

 今の私は、男の子の顔から眼を離したく無いんだからぁ!


「次は、上野御徒町うえのおかちまち~。上野御徒町でございます」


 車内放送が聞こえたと思ったら、男の子は一瞬目をつむり、ひざの上のバッグを持って立ち上がった。


 あ、降りちゃうんだ・・・


 胸の奥がチクリと傷んだ。

 小さな胸の奥がハチに刺されたみたいな痛み。


 すると男の子は、おもむろに私の方に寄ってきて、ポケットからハンカチを取り出して私に差し出した。


 え?


 そして少し屈んでその綺麗な顔を私の顔のすぐ横まで寄せてきて、聞こえるか聞こえないかくらいの小声でこう言った。


「鼻でてるよ。これあげるから、拭いた方がいいよ」


 !!!!!!!!!!!!


 プシュー。


 電車が止まり、扉が開くと同時に、男の子は振り向きもせずに降りていった。


 私はもう顔から火が出そうなほど恥ずかしくてたまらなかった。

 きっと耳まで真っ赤になっているに違いない。


 恥ずかしさで頭の中がぐちゃぐちゃになって、なんだかわからないけど、涙まで出てきてしまって、男の子に貰ったハンカチをビショビショにする勢いで涙と鼻水を拭いた。


 しばらくグズグスしていたけど、電車が動き出してから、何度も深呼吸をして、やっと少し落ち着いた。


 名前も知らない男の子だけど、なんて優しい人だろう。


 あ~あ、名前くらい聞いておきたかったな・・・

 どこの学校に通ってるのかなぁ・・・

 どこに住んでるのかなぁ・・・

 好きな子とかいるのかなぁ・・・

 好きな子いたら嫌だなぁ・・・


「はっ」


 そこまでして私は気づいてしまった。


 やっぱり、これって「初恋」なんだ、と。


「間もなく末広町~。末広町に止まります」


 いつも通り、電車が末広町の駅に着く。

 さっきのおじさんはまだ額の汗を拭いながらふうふうと大きな息をしている。


 他の乗客は、スマホを見ながら、まだクスクスと肩を震わせて笑うのを我慢している。


 ほんの数分の出来事だったけど、すごく濃密のうみつな時間だった。


「またあの男の子に会いたいなぁ・・・」


 そう、きっと会えるはず。

 だって、近所の小学校に通ってるはずだもん。

 今日と同じ時間の電車に乗れば、きっとまた会えるはず。

 ハンカチだって、洗って返すんだ。


 ゆっくりと電車が止まり、プシューっと音がして扉が開く。


 私も席を立ち、いつもより少し軽い足取りで電車を降りた。


 そう、きっかけが恥ずかし過ぎて、友達にも誰にも今日の事は言えないけど、これは私の初恋で、それは今始まったばかりなんだ。


 西条かなめ、12歳。


 今、私は恋をしてます。

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