第3話 地獄

 如月透の事故死は瞬く間に全国的に報道された。


 一見異常とも捉えられかねない女子学生への飛び蹴りだが、状況から命を投げ打って彼女を救うために行った行動であることは誰の目から見ても明らかであったので、透を責めるものは誰一人として現れなかった。

 何よりその蹴り飛ばされた少女本人が自身の危険な行動と、それにより自分の身代わりとなって青年が亡くなったという事実に対して激しく悔いていることが明らかになっている。彼女は軽い脳震盪と肩に骨折を負ったが命に別状はないようである。


 そもそも透を轢いたトラックのドライバーは基準値の6倍のアルコールが検知されたれっきとした飲酒運転であり、ブレーキ痕がなかったこと、クラクション等も鳴らさなかったこと、想定される速度は80キロを超えていたことなどから、この事故の悪者が誰なのかは論じる必要すらない。


 こうして、学業が非常に優秀で、将来を期待されていた青年が、女子中学生を救うために命を落としてしまった痛ましい事故から7年……




 ◆◆◆◆◆



「透…お前の言っていたことは何もかも本当だった…」


 全てが事実だったことを噛み締めながら、智也は丘に広がる荒野で小銃での攻防を繰り広げていた。


 智也の銃口の先にいるのは、透が語っていた向こう側の世界、異世界とされる所からきたであろう兵士達、


 …その10倍近くの数に上る、智也と同じ軍服を纏った軍人たち。


 智也は、同じ日本人から銃を向けられていた。

 飛び交う銃弾の数は、向かい風の方が遥かに強く、智也たちの分隊は次から次へと撃ち抜かれ事切れていく。


 その中においても智也は倒れない。

 どういう訳か銃弾に当たらないのだ。


 かと言って、智也ひとり生き残ったところで状況は何も変わらない。

 分隊というものは数割が削られたら機能しなくなるからである。


 智也たちの軍は、ほぼ使い捨ての特攻に等しい運用でしかその場凌ぎの結果を残せないまでの圧倒的窮地であった。


 智也は何度も何度も何度も、自分だけが不自然に生き残り周りが死んでいく様を見せつけられていた。



 塹壕で静かに弾倉を入れ替えていると、智也の懐から携帯の着信が鳴る。



 ー機種変更前の、既に電波と繋がっていないはずの、電池の完全に切れているはずの7年前の携帯端末。



 智也はすぐに着信に応じる。





『智也、そっちの様子はどうだ!?』

「今のところ大丈夫だよ。……俺は」


 それは、既に死亡しているはずの透の声であった。


 透の言う通り、透はまさしく今智也が対峙している勢力…異世界への転移を果たし、かつ当時の携帯端末を起点としテレパシーによる通話を行っていた。


 今の日本の実情なども、透は把握している。


『今回もお前以外全滅したか…』

「ほんと、何もかもお前の言う通りになってて怖いよ。ノストラダムスもお前には嫉妬で狂いそうだな」

『言う通りというか、俺の想定していた最悪のシナリオの範疇に留まってくれてる、って感じだけどな…』


 智也はしみじみと自分の左腕に巻かれた、あの時の事故で透が着けていた形見の時計を見つめる。


「まさかお前の遺留品であるこの時計にそこまでの力があるとは…」


 時計の針はあの頃から一切動かず透の死亡時刻を指し示したままであり、表面のガラスは日に日にひび割れが激しくなっていく。


『実情俺は生きているといえば生きてるけど、という最大級の不幸が事実として存在するからな。そういったものの遺留品は呪いのアイテム扱いされるのが常だが俺はこの通り健在だからそれには当てはまらない。ならば世界のバランスを取る作用の方が強く働くって寸法よ』

「つまり、お前が事故死した不幸のエネルギー量分、俺の致死に相当する出来事が相殺される、と…」

『ほんの万が一のお守り程度の置き土産だったんだが、ここまで大立ち回りされるとは思ってもみなかったな…保険って大事だわうん』


 一応、透が不自然な方法で異世界へ介入するということもあり、その影響でこうなる可能性は0ではない、というほとんど石橋を叩いて壊すレベルの懸念はあったものの、それが的中してしまったことに透も落胆している。


 …あの時女子中学生が横入りせず時間通りだったなら、


 …あの時かけた醤油が1滴足りていたならば、


 傍から聞いたらどうかしてるとしか思えない後悔が過ぎった。


 だから、


『なあ智也、お前が今つけている時計、まだ割れてないか?』

「え?うん、だいぶひび割れてるけど」

『そうか…良かった。どうにか間に合ったな』

「…ん?どういうこと?」

『一応確認しておこう。今生き残りはお前1人か?』

「ああ、そうだよ。他はみんな…」

『よし、今からそっち帰る』

「えっ?!!?!」


 透と頻繁に連絡を取れているとはいえ、この一言はとんでもなく衝撃的であった。

 なぜなら…


「おま…本当なのか!?あの子が割り込んできた影響で農業スキルの習得どころじゃなかったんだろう?!今帰ってきて大丈夫なの?それもこの地獄みたいになってる日本に!??それにそもそも帰って来れるの?!!」

『農業云々言ってられねえよもう。地獄だからこそ帰るんだ。戦争が始まって1年、やっと準備できたんだ』

「準備…?」


 智也の脳裏に浮かぶのは、透がかつて1年近くかけて行っていたというあの人生の乱数調整…


「また醤油1滴足りなかったとか言い出さないだろうね」

『馬鹿野郎もうそんな手は使わねえよ。正々堂々開門してやるよ』


 開門…?


 そういえば透は、向こうで農業も農業スキル習得もなに1つ手に着いていないと言っていた。

 しかし何をしていたかはいつもはぐらかされていた。透が隠しているというより、単に農業が滞っている様を報告するのが恥ずかしくてたまらない、という感情が見て取れたので智也もそれについてそこまで言及してこなかったが…



『いいか智也、これから5分間、何があっても絶対そこを動くなよ。あと全力で目と耳を塞いでおけ!それでも防ぎきれない衝撃が来ると思うけど我慢してくれ!いいな!塹壕から出たら死ぬからな!!!』

「透?!それってどういう」


 プツン


 着信が途絶え、画面が完全に真っ黒になるスマートフォン。





 透…お前は一体……



 智也は何やら底知れぬ不安を抱きながらも、すぐさまその場で丸くなり目と瞑り耳を塞いだ。






 刹那、丘に黒い雷が降り注いた。

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