第18話 家裁判決
家庭裁判所での口頭弁論から二ヶ月が過ぎた七月、刈谷からの待ち望んでいたメールが届いた。高等裁判所から連絡があり、二月に申立てた即時抗告の審問が間もなく開かれることになったとのしらせである。
これで家裁による著しく偏った判断だけで麻奈美の将来が運命づけられるという、納得できない終り方だけは避けられることになるのではないか。達也が頼みと考えてきた高裁の場で、双方が主張を述べたうえで裁判官の公正な判断を仰ぐというシーンが、ようやく実現できると大いに期待した。
ところが期日の直前になって、相手方は突如として監護者指定申立ての取り下げを高裁に通告してきた。確かに、八月中旬には麻奈美の親権者をどちらにするかの家裁判決もでることになっているので、いまさら監護者を決めることにはほとんど意味がない。
それにしても、この監護者指定の争いのためだけに費やしてきた一年半もの歳月と精神的労苦は一体何だったのか、と達也には腹立たしい思いしか残らなかった。
もしかして家裁の下す判決の結論は既定のことなので、その前に開かれる高裁での審問はむしろ妨げとなるため、申立を取り下げることを高木裁判官と金谷弁護士の間で打合せ済みだったのではないか。そんな猜疑心が頭から離れなかった。
そして家裁判決言い渡しの日を迎えた。結果が見えている以上、もはや単なる儀式の意味合いしか持たないが、達也はどんな判決であるにしろ裁判上の大きな節目には違いないと考え、一人、法廷に赴いた。
離婚などの民事訴訟においては、判決文が直ちに代理人宛に送付されることになっているためほとんどの場合、言い渡しの場に代理人が出廷することはないらしい。達也がドアを開けて法廷の中に入ると他に人の気配はない。どうやらたった一人で判決を聴くことになるようである。
やがて定刻となり、高木裁判官と書記官が着席し、原告席に達也が座ると判決文が読み上げられた。
「主文。
一、原告と被告とを離婚する。
二、原告と被告の間の長女麻奈美の親権者を被告と定める
ようやく聞き取れるような低い声であったが、間違いはなかった。やはり、家裁の判決は予想していた通りのものだ。続けて、
「三、原告は、被告に対し、本判決確定の日が属する月から、長女麻奈美が満二〇歳に達する日の属する月まで、毎月末日限り、月額三万五千円を支払え。
四、原告は、被告に対し、金五七九万円を支払え。
五、原告は、被告に対し、金百五〇万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払い済みまで、年五分の割合による金員を支払え。
判決理由は省略します。」
と締めくくり、着席から五分も経たないうちに閉廷した。
覚悟していたこととはいえ、親権は母親という結論ありきの判決である。親権付与についてはもちろんのこと、経済観念の欠落したエリカが、あたかも監護養育能力には問題がないかのように見せかけるため意図的に水増しされた養育費、財産分与、慰謝料の支払い等の認定についても、到底、受け入れられる内容ではなかった。
自宅に戻った達也は刈谷にメールを送る。
「先ほど予想通りの家裁判決が出ましたが、控訴の方針に変わりはありません。これから先の控訴手続きについては、先生にお任せしたいと思います。」
翌日、花沢弁護士から判決文が郵送されてきた。開封するのももどかしく、取りだして読み進むうちに、あまりにも公正さを欠いた家裁の事実認定に対して、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
「被告が借金を重ねたのは、原告が必要な生活費を渡さなかったことに責任がある。」
と、エリカの多重債務を不問にしているばかりか、達也にその責任を転嫁している。
事実は、一年前の抗告審で高裁が認定した通り、一切の生活費は達也自身のみの支出によって賄われていたのであって、エリカが収入の中から支払っていたのは自分の身の回り品の購入と携帯電話代、交通費くらいであった。エリカに対して渡さなければならない生活費など、ほかには存在しなかったはずである。
もっともエリカが考えている生活費とは、口にこそ出さないが、本国の親族たちへの仕送りを含めたものであることは明らかであるが、それを正当な主張と認めるのであれば話は別である。
もしそうだとすれば、婚姻を隠れ蓑にした外国人の実質的な出稼ぎに対して日本の司法がお墨付きを与えることになり、悪しき前例を残すことにはならないか。
フィリピン妻と日本人夫間における離婚原因のほとんどが、本国への仕送りという、彼の国から嫁いできた妻に共通した行動様式から生じる金銭的トラブルではないかと考えられる。彼女らにとっての家族とは嫁いだ国の夫家族ではなく、あくまでも血のつながった親兄弟なのだ。
貧しい国の親族たちに仕送りをする行為は責められるべきではないとの考えが家裁判断の根底にあるようだが、それは性善説に依ったきれいごとに過ぎない。達也がエリカとの結婚生活の中で見てきたものは、援助の概念をはるかに超えた、親族達によるたかりの構図そのものであった。
そうとでも考えなければ、夫婦が協力して養育すべき我が子が誕生してからも本国から求められるがまま仕送りを続け、その結果、自らは返済不能に陥るほどの借金を背負い、ついには家庭を崩壊させるまでに至った事実に対する説明がつかない。
こんなことが不問にされるのであれば、夫婦間の真の相互理解に基づいた国際結婚など望むべくもあるまい。いったいこれは、どこの国の裁判の話なのか。
次に判決文が、
「原告が日記に記したようなフィリピン人への蔑視の表現や偏見が、婚姻関係を破綻させた主な原因である。」
としているのも、真実を歪曲した事実認定の象徴である。
その日記に記した表現とは、家裁調停の場での約束にもかかわらず借金を重ねるエリカに対して愛想を尽かし、
「妻は、平気で嘘をつき金に汚いことでは定説となっているフィリピン人以外の何者でもなかった。」
と、やり場のない怒りを日記の中で吐露した部分であるが、これは長い間、一緒に暮らしてきた配偶者でしか実感のできない偽らざる心情であって、結婚当初から妻に対する偏見や蔑視があったわけではない。
ただ、その表現が含まれた日記を何の手も加えないまま、裁判所に証拠資料として提出したのはまずかった、と刈谷弁護士が以前につぶやいていたのはその通りであろう。
本音を言えば、フィリピン人を単なる援助の対象としかみなさない世間の考え方こそが偏見ではないのか、と達也は思っている。
達也は日本で水商売の経験しかなかったエリカに対して、結婚後は英語講師の職に就くことや、自宅を英会話教室として開放するなど、経済的に自立するための支援を間断なく行ってきた。そのうえで日本人同士の夫婦と同様の、対等なパートナーシップを築くことを望み、その実現のために積極的に協力してきたつもりである。
それが裏切られたことに対する失望感が達也に日記を書かせたものであり、そのことだけを取り上げて婚姻関係を破綻させた主な原因としているのは、あまりにも一方的かつ、恣意的な論点のすり替えとしか受け止めることができなかった。
いや、今となっては離婚理由など達也にとってどうでもよいことである。家庭内の争いになることを避けて静観してきた結果、エリカに借金の暴走を許してしまった達也にも夫として責任の一端はあるのだろう。
だが、偏った認定が麻奈美の親権争いに関しても、となれば到底納得することはできない。
その核心の親権者の指定については、抗告審で高裁が指摘したエリカの監護養育体制への懸念を真っ向から否定するかのように、以下のように断じている。
「ア 被告が多額の債務を生じさせるなど、金銭感覚に問題があると主張する点について、被告が浪費していたとは認められないうえ、被告が原告に対して生活費を渡さなかったことにも問題があったこと、被告の債務は財産分与で清算されることから、このことが結論を左右することはない。」
黒を白と言いくるめるかのごとき論法である。
「イ 被告が長女麻奈美の予防接種を受けさせなかったため、おたふく風邪を発病するなど、健康管理を怠っていたと主張する点について、原告が母子手帳の管理を被告任せにしていたことから長女麻奈美の健康管理において被告を過度に不利に扱うべきではない。」
母子手帳は母親が妊娠時から記録をつけ、管理すべきものではないのか。外国人のために英訳版も配布されており、達也から渡されてエリカもそれを読んでいたはずだ。
「ウ 被告の日本語能力が長女麻奈美を養育していくうえで、不十分であるとの主張について、調査官調査や本人尋問において日本語で答えていること、ホテルや英会話教室での就労も不自由な点がないことから、日常会話程度の日本語能力を有していると認められ、長女麻奈美の監護養育の支障になっているとは認められない。」
これから義務教育を受けようとする子どもの監護者が、日常会話程度の日本語能力しかなく、読み書きが不自由なのでは、学校からの重要な連絡文書を理解できないなど、教育面で子どもがスタート時からハンディを背負うことになるのは自明のことではないのか。
「エ 原告は被告に対して五〇〇万円以上の財産分与をしなければならないうえ、慰謝料も支払わなければならないなど、これらの支払いのため自宅不動産を処分する可能性がある一方、被告は自ら得る毎月の給料、児童扶養手当、原告から支払われる養育費等によって生活を維持することが可能であるから、原告は優位ではなく、むしろ被告と変わらないといえる。」
判決が示した財産分与には、取得時期、また購入時の資金面からみても共有財産になどなり得ない自宅不動産も含まれている。もちろん、住宅ローンの支払いに関してエリカは一切の貢献などしていない。
離婚成立後の生計維持能力に関しては、達也が繰り返し主張してきたように、エリカは金銭管理能力を著しく欠いていることが問題なのである。したがって、いかなる種類の収入があろうとも子どもを養って生活を維持することなど不可能であり、それが可能であるなどとした認定は机上の空論に過ぎない。
だが判決では、現実を直視しようとはせずに、親権者をエリとすることを前提にして仮説を立て、その仮説を基に原告に優位性はないことを認定し、その認定に基づいて被告に親権を付与する根拠とするかのような、驚くべきロジックを展開している。
次に養育費については、こう述べている。
「原告の収入について、原告は定年退職して、現在、厚生年金を受給しているものの、定年退職時に嘱託従業員として稼働することができたにもかかわらず、あえてそれを選択しなかったことから、原告には潜在的稼働能力があるとして、原告の収入を推計するのが相当である。」
定年退職後の第二の人生をどのような生き方をするのかは、個人の人生観に委ねられるべき事柄ではないのか。それを家裁ごときに決めてもらうような筋合いのものではない。達也は大声で怒鳴りたい衝動に駆られた。
達也はこみ上げてくる怒りを抑えながら、さらに読み進む。極めつけは、六年前の離婚調停で被告が借金を反省し、今後は夫婦協力して円満な家庭を築いていくことを約束する、とした家庭裁判所での和解調書条項について、
「フィリピン人に対する偏見や、被告が支出した生活費などを負担しないという、原告の間違った考えに基づいてなされたものであり、尊重するに値しない。」
驚くことに家裁自ら、調停制度の意義を否定するかのような認定である。これでは、幼い長女のために何とか離婚を回避できないものかと妥協点を探り、懸命に二人の説得にあたった、あの時の家裁調停員の労苦が報われまい。
高木がこれほどまでに一方的な判決理由を書いたのは、かつて、提案してきた和解案を拒んだことに対する制裁ではないのか。
前年の家裁による和解勧告の打合せの席で、達也が頑として和解には応じないとの強い意志を伝えると、面子をつぶされた格好となった高木が、
「和解に応じなければ、裁判所からもっと厳しい判決が出ますよ。」
と、繰り返し脅しをかけてきた記憶がよみがえってきたのである。
しかも、その後に達也側は、看護者指定の家裁審判を強く批判する内容の申立理由書をつけて高裁への即時抗告も行っている。そのことに対する懲罰的意味合いが、この判決文に凝縮されている。達也にはそうとしか受け止めることができなかった。
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