第4話   長女の誕生


 エリカが二度目の帰省をしてから明らかに変わったことといえば二人の間に子どもが欲しいと、日々、口にするようになったことである。達也は母親が亡くなってからも本国の姉に送金し続けているらしいエリカに対して、

 「これから子ども一人を育てるには二〇年以上に渡る養育費が必要であり、俺の年齢的なことを考えればお前から家計への協力なしに子どもをつくることなど無理な話だ。」

と拒みつづけてきた。数年後には達也が定年を迎え、収入が激減することが目に見えていたことから、子ども設けることの経済的リスクを理解してもらおうとしたのである。

 だがそれまで達也が婚姻生活の掟としてかたくなに守り続けてきたこのルールも、自身の心の中でしだいに揺らいでいくのを感じるようになっていた。今エリカにとって肉親と呼べるのは遠く海を隔てて暮らす兄姉達だけであり、夫婦とはいっても達也は外国人の夫である。けれども、自分の分身となる子どもができればエリカも変わるのではないだろうか。

 何よりも我が子ができれば日本という外国で暮らす自分の将来にも希望が持てるだろうし、家族のためにとの気概も生まれてくるはずである。いやいや、それは甘い考えかもしれない。子どもができたら養育費も協力するとの約束が反故にされるようなことになれば達也の年金だけでは充分な教育を受けさせることもできず、結局、生まれてくる子どもを可哀そうな目に合わせることにはならないか。

 しかしこのときも達也は国際結婚に踏み切ったときと同様に、半ば賭けのような思考回路に陥っていた。例え裏切られるようなことになったとしても、子ども一人くらいであれば自分の手で育てることだってできるのではないか。

 「子どもができたら、私も頑張るから。」

とエリカも強く約束している。その言葉を信じてみようと思った。

 そう考えるようになって二ヶ月目頃から、エリカの生理がとまった。そして、当時エリカが勤めていたホテルの同僚が、市販されている簡易妊娠検査薬を買い与えて試したところ陽性が出た。同僚はトイレの中であるにもかかわらず、その場で抱き合って祝福してくれたという。

 話を聞かされた達也は、すぐに病院での検査を受けさせた。やはり間違いではなかった。超音波検査の写真には胎児の姿がはっきりと映っていて、妊娠三ヶ月と診断された。五ヶ月目の頃には女児のようであることも担当医から告げられた。エリカの腹も日に日に大きくなってきたのだが、英会話の仕事は出産直前まで続けていた。


 二〇〇四年九月某日の未明、前日の夜から陣痛が始まり妊娠以来のかかりつけとなっていた病院に入院していたエリカは、無事、二七〇〇グラムの女児を出産した。

達也が望んでいた女の子であることは、妊娠中の超音波検査で事前に解っていたので、命名も既に決めていた。

 麻奈美、由来や意味は特別に考えずに、姓名判断上の字画と読みの音感が良かったことからそれほど迷わずにすんなりと決まった名前である。五四歳にして初めて自分の分身となる赤子を授かった達也は、喜びのあまり誰彼となく電話やメールで吉報を知らせた。

 勤め先の近くだったので仕事帰りには毎日欠かさず病院に寄り、我が子の顔を飽きもせずに眺める。長女の誕生をこれほど喜ぶ自分自身が意外でもあり可笑しかったが、それは人間として当たり前なことだと周囲の人たちは祝福してくれた。

 麻奈美が生まれて当然のことながら生活が一変した。会社の帰りにはドラッグストアに立ち寄って粉ミルクや紙おむつを買うのが達也の日課となる。

 最初は病院の勧めもあって母乳で育てようとしたのだが、乳児検診の際に体重が不足しているとの指導を受け粉ミルクに切り替えた途端みるみる血色がよくなり体重も増えた。日本製粉ミルクの品質の高さは高価であるにも拘らず、香港や中国などでも富裕層を中心に飛ぶように売れていることからも実証済みである。夜と朝の時間、麻奈美に与えるミルクの調合は達也の役目となったが、それは喜んで引き受けた。粉ミルクを与える時間と分量は、できるだけ正確でなければならない。そのような緻密な作業は、何事にも大雑把なエリカよりも達也の方が向いている。

 こうして生活のすべてが麻奈美を中心にして回るようになり、達也も子育ての喜びを実感する日々であったが、エリカには育児だけにかまけていられない事情があった。


 エリカが再び働きに出始めたのは、産後五ヶ月目のときである。寒さも厳しい二月の仙台。雪の中を幼い麻奈美を抱いて英会話の仕事に向かうその後ろ姿は、この女にとって本国への送金のための金を稼ぐことは、我が子を育てることよりも大事なことと考えているのではないかとさえ映った。

 寒い中を連れ出される麻奈美が可哀そうになり、達也はあることをエリカに提案する。それは自宅の広い居間を教室にして、子ども達に英語を教えるというものである。まだ保育園でも預かってはもらえない、乳飲み子の麻奈美を連れて仕事に出ることの大変さを感じていたエリカは、すぐこの提案に乗った。

 生徒募集チラシの案文は達也が考え、新聞折り込みを入れたところすぐに五~六人の生徒が集まった。ほとんどが小学校低学年の児童であるが、それでも月三万円ほどの収入にはなる。エリカが教えている間、麻奈美の面倒は母親のマサ子がみてくれた。

 そのほかにも達也が休日の土、日には麻奈美の子守を夫に任せて外で教える英会話講師の仕事を引き受け、自宅での収入と合わせると五~七万円の収入を得ることができた。しかしエリカにとってこれだけの収入ではまったく足りないようであった。

 やがて通販で購入した分割払い金を始め、複数のクレジット会社からの支払い催促らしき電話が頻繁にかかってくるようになる。麻奈美が一歳の誕生日を迎える頃には幼稚園に出張して園児達に英語を教える新しい仕事に就き、自宅で行う教室の月謝も含めると月一〇万円を超える収入を得るようになっていたにもかかわらず、である。

 フィリピンの母親が亡くなってからもやはり本国への送金を続けているのだろうか。達也が詰問してもエリカは否定するばかりであったが、それならどうしてこれほどまでにお金に困窮するのか、闇は深まるばかりであった。そもそも達也が夫婦の間に子どもを設けることに同意したのは数年後には自身が年金生活者となる先々を考えて、エリカが養育費の分担に全面的に協力すると約束したからではなかったか。

 それが麻奈美のミルク代や紙おむつの購入もすべて夫に任せ、養育費の協力どころか逆に借金を増やしていることに対して達也は不信感を募らせた。

 借金をしているだけならともかく、これほど頻繁に催促通知やら電話が届くということは、きちんと返済できずにことごとく延滞していることを意味している。それらが雪だるま式に増えていくことを、達也は最も恐れていた。達也が強い口調で問い詰めても、エリカは決まって反論する。

 「お金を送って何が悪いの?あなたに迷惑をかけている訳ではあるまいし。」


 エリカは夫婦間の協力関係さえ、ないがしろにしている。まるで、

 「子どもができればこっちのもの、これからはあなたの指図は受けず、私の好きなようにさせてもらいます。」

とでも主張しているかのように聞こえた。

 達也は裏切られた思いで一杯であった。この頃から達也は、妻の借金や麻奈美の養育を巡る家庭内の出来事、そして夫婦間の大事な約束事についても嘘が多く、そのことに対してまったく反省がないエリカの日々の言動について、パソコンで日記をつけるようになる。

 フィリピン妻に共通しているといわれている日本人との真の結婚目的、すなわち婚姻を隠れ蓑にした事実上の出稼ぎ。この本質の部分について夫婦間の相互理解を曖昧にしたまま踏み切ったこの結婚は、最初から間違いだったのではないか。

 対等な協力関係こそが夫婦生活の基本であるべき。この達也が抱く結婚観とは相いれないエリカとは、いずれ離縁することになるかもしれないと肌で感じるようになってきた。そうなれば当然、麻奈美の親権を巡って紛争になることは避けられないだろうからその時のために記録を残しておこうという、何ともネガティブ思考の動機からである。

 その日記には妻としてのエリカの言動に対する日頃の不満や怒りが、ストレートに表現されていた。

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