第3話  借金癖の兆候 

 エリカが達也のもとに嫁いできて一年半が過ぎた二〇〇二年秋、マニラにいる兄ベニーから母親が急死したとの訃報が入った。母親のアパートに近くに住むベニーはカローラの中古車を所有しマニラ市内でタクシーの運転手をしている。達也が結婚式のためにマニラに滞在したときは、半ば貸し切りの状態で市内の移動に運転を引き受けてもらうなど大変世話になり面識もある。

 死因は心臓発作のようであった。緊急医療態勢が貧弱なうえ日本のような国民皆保険制度もないフィリピンでは、急病であっても直ちに救急車を呼べるわけではない。ベニーが駆けつけた時はすでに手遅れの状態だったという。

 知らせはバンクーバーに住む姉のベティのもとにも届き、エリカとは国際電話で話をしたようであるがベティはその日の深夜便ですぐマニラに向かうという。このベティも結婚式で達也に会っていて、英語でコミュニケーションのできるこの二人が達也のことをよく知り、兄弟姉妹の中でもエリカが最も頼りにしている存在である。

 一日遅れで仙台に住む長姉のイメルダと一緒にマニラに飛んだエリカは、母親の告別式をはさんで二週間ほど滞在した後、仙台に戻ってきた。出発前の悲嘆にくれた様子は癒え、ようやく平常心を取り戻したように窺われた。今回のようなことでもなければ会えないカナダの姉やほかの兄姉達と、母親の死という悲しみを分かち合うことができたことで、心の整理がついたのであろう。


 マニラへの帰省から一ヶ月ほど過ぎた頃、エリカはお金を助けてほしいとクレジットカード会社からの二通の催促状を達也に差し出した。合わせて二〇万円ほどの請求額になっている。その訳を訊ねると、手持ちの現金だけではフィリピン滞在中にお金が足りなくなるのではと一緒に行ったイメルダから言われ、渡航前の空港でカードを使って借り入れしたものだという。達也は渡航費のほかに夫として相応の弔慰金を渡してエリカをフィリピンに送りだしたのであったし、葬儀費用はカナダのベティやほかの兄姉たちも分担すると思っていたのでお金が足りなくなることなどはないだろうと考えていた。

 しかしマニラに滞在していたときの様子を聞いてみると、葬儀を挟んだ前後一週間、母親のアパートには多くの親戚縁者たちが泊り込みで集まり、連日飲み食いが続いていたという。豊かな国日本に嫁いだエリカが帰ってきたということで親族たちにたかられ、大盤振る舞いをしてきたのではないか、そんな気がしてきた。

 それにしてもカードで金を借りるとは思ってもみなかった。達也は、この借金を自分で返済できると思ったのかと厳しくエリカを叱責したが、反省している様子であったし、返済期限も迫っていたのでしかたなく立て替えて弁済してやることにした。

そしてカードにハサミを入れて使えないようにしたうえで、達也が立て替えたお金は働いて得る給料の中から毎月返済することを約束させたのであるが、後々まで達也を悩ませることになるエリカの借金癖はこの頃から芽生えていったものと思われる。

 カード会社は例え外国人であろうと、身元保証さえしっかりしていれば簡単な審査でカードを発行する。配偶者である達也の自宅は持ち家であるし、身分証明となる健康保険証も長年勤務する会社から発行されたものである。たとえ達也がハサミを入れてカードを廃棄しても、また新たなカードを作ることなどエリカにとっていとも容易いことであった。


 今までのように母親に送金する必要はなくなったはずであるが、その後マニラに住む姉のアイリンから頻繁にエアーメールが届くのを目にするようになる。達也は不安になりその姉への送金を続けているのかと問いただしたところ、どうしても援助して欲しいと乞われたときにはそうしているが、たまにであるという。アイリンには達也もマニラに行ったときに会っているが、職にも就かず母親の家で怠惰な生活を送っているようであった。エリカとは二~三歳しか齢が違わない姉に仕送りをしているのだとしたら、この先、生涯に渡って援助し続けなければならないではないか。

 達也は、安易に金銭援助を続けることは本人の他力依存を増長し、結局は自立を妨げることになるのだから定期的な仕送りは止めるべきだと忠告したがエリカは、

 「解っているから。」

と答えるだけで達也の言わんとしていることを理解しているようには見えなかった。

 本国への送金のためなのかどうか、その後もエリカは常にお金にひっ迫しているようであった。携帯電話料金の未払い通知を頻繁に目にするようになり、九十歳を過ぎた達也の母マサ子から、三千円とか五千円といった小銭を寸借したりもしているという。自身の小遣いとしては充分すぎる収入を得て、そのうえ生活費の負担はまったくないのであるからお金が不足することなど考えられないのだが、と達也は訝るしかなかった。

 母親の死から一年後、エリカは再びマニラに帰りたいと言い出す。一周忌の供養のためだという。そして帰省のための渡航費を達也に求めてきた。

 「解った。その代わり、帰ってきたら来月からは毎月三万円を生活費として分担してくれないか」

と提案してみる。エリカが母親の死後も本国への送金を続けるのは、それまで生活費をすべて達也に依存し、自らは家計に対してまったく責任がなかったためではないかと考えたからである。

 一〇日間ほど滞在してマニラから戻ったエリカは達也から催促されてしぶしぶ、結婚してから初めて生活費として三万円を差し出した。しかしそれは最初で最後、たった一度だけの家計への協力であった。その翌月からはもう、お金が足りないからと生活費を分担することはなかったのである。


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