第23話   親権者変更申立て調停

 二〇二一年九月、達也は九年ぶりとなる仙台家庭裁判所に足を運んだ。親権者変更に必要な申請書一式は事前に入手しすでに記入済みである。

 窓口で応対した係員に提出し待合室で十五分ほど待たされた後、申請書の控えを受け取った。

「間違いなく申請を受理いたしました。二~三週間ほどで双方に調停期日の案内が郵送されますので、それまでしばらくお待ちください。」

 エリカはどのような反応を示すだろうか。

 麻奈美にはLINEで家裁への親権者変更申請のことは伝えてあるが、このことでまた責められるようなことがないのか最も気がかりな点である。そんな不安が脳裏から離れなかったので、エリカ宛の親書を書くことにした。


前略

 麻奈美の高校卒業後の進路について、本人とどのような話し合いをしていますか。

将来、本人が希望する看護師として働くためには専門学校か大学に進学する必要がありますが、問題はそのために必要な学費です。

 入学金だけでも数十万円単位、授業料も含めると三~四年間で数百万円が必要になると思います。だが、あなたにその支払い能力があるとはとても思えません。

 私は麻奈美の夢をかなえるために、今回を機にこれまでのような間接的な支援ではなく彼女の教育に全責任を持つべきだと強く思うようになりました。

 ただし、そのためには麻奈美の親権をあなたから変更してもらう必要があります。

そのため今回、家庭裁判所に対して親権者変更の申し立てを行うに至りました。

 私たちは裁判で争って離婚し、麻奈美の親権者はあなたに決まりました。それを変更するには、やはり裁判所で手続きを行う必要があることをご理解ください。

 そのための申し立てであってあなたと再び争うことは望みませんし、今回は弁護士に依頼することもありません。

 例え親権者を変更したとしても、麻奈美が望めば今まで通りあなたと一緒の暮らしができるでしょう。私の目的は現状を変更することではなく、彼女の進学について学校側と直接面談したり、学資の手当を確実にするためです。

 この手紙と同時に裁判所から調停案内が届くと思いますが、麻奈美の将来のためにどうか親権者の変更に同意していただくようお願いします。あなたとの合意が得られれば、調停も最短で終了するのではないかと思っています。

 最後に今回の件で決して麻奈美を責めたりすることのないよう切にお願いします。 


 裁判所からの調停期日通知は二週間ほどで達也のもとに届いた。同じものがエリカにも届いているはずである。

 そして調停当日を迎えた。最初に達也が呼ばれ、部屋に入ると男女二人の調停員の他に家事調査官も同席していた。三人の中ではキーパーソン的な役周りを演じることになると思われる。

 達也が最初に聴かれたのは、離婚別居後、麻奈美との面会交流はどのように行われていたのか、また毎月送金している養育費についての質問であった。

「私たちは裁判離婚で、親権をめぐり高裁まで争いましたが最後は和解という形で終結しました。そこで取り決めた養育費の支払い、そして月二度の宿泊を伴う面会交流はその通りに履行されています。」

 麻奈美とはその数日前にも夕食を共にし、小一時間ほど一緒に過ごした。その際に本人への小遣いとともに当月分の養育費も渡してある。 

「麻奈美さんは下校後や休日にアルバイトもしているのですか?」

 麻奈美が夏休み前から始めたレストランでのアルバイトは、達也が不可解に感じていることの一つである。

 いつも通り一緒に食事に行く約束をしていたある時、

「私、部活をやめてバイトを始めることにしたから。今回は泊まりじじゃなくて食事だけにして。」

と打ち明けられたのである。

 それまで月二度の面会は一緒に食事を共にした後、そのまま達也の家に泊まり、翌日達也の運転でアパートに送るというパターンが定型化していた。

 お泊とまりと言っても年頃の娘とそれほど会話が弾むわけでもなく、麻奈美は二階の部屋でテレビを観たりスマホをいじったりとほとんど一人で気ままに過ごすことが多かった。

 ただ、自分の生まれ育った家で、普段は離れて暮らしている父親と一つ屋根の下で一緒に過ごす安心感を感じ取ってもらうだけでも、それで十分と達也は考えていた。

 そんな麻奈美が切り出した話で達也が疑問に感じたのは、入学以来あれほど打ち込んでいたバレーボールの部活を辞めてバイトを始めた理由だった。

 それを訪ねると麻奈美は、

「学校の納付金も支払いが遅れているし部費もそう。通学定期だって買うお金がないとママに言われて、私の小遣いでその都度切符を買っているの。だから、これからは自分で働いて払うことにしたから。」

「そんな大事なことを決める前に、きちんとママと相談したの?」

達也が詰問すると麻奈美は大粒の涙を流し始め、それ以上は何を聴いても答えなくなった。

 別居後の貧困状態は慢性的に続いていたようで、携帯電話やWi-Fiの利用停止は日常茶飯事、生活にとって最も重要なライフラインである電気やガスが停めらることも、一度や二度ではなかったことは麻奈美から何度も聞かされていた。寒い時期にガスの供給が停められ、お湯が使えなくて水シャワーを浴びてから登校したこともあるという。

 金銭管理能力のない母親に親権が渡れば、直ちに生活困窮に陥ることは目に見えていると達也が裁判で懸命に訴えた通りのことが、現実のものとなっていたのである。

 しかし母子関係優先という結論ありきの判決を下した家庭裁判所が、その後母子家庭となったひとり親世帯を訪問して生活状況を検証することなど一切ない。

 彼らにとってはあまたある取り扱い事案の中の一つにすぎず、その後自ら下した判決が子供の将来にとってどのような影響を与えたかについてなど関心外のことに違いない。

 達也にとって人生最大の痛恨事を思い返そうとすると、あの頃の記憶が走馬灯のように去来した。

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