第2話

 ママに恋人がいることは誰にも言っていない。ズッ友! と落書きをしたプリクラに写る親友のミナコちゃんにも、実は小学生の頃から片想いをしている幼馴染のショウくんにも。もちろんお父さんには口が裂けても言えない。

 お父さんはともかく、親友や幼馴染にママの秘密を言えない理由は自分でもわからなかった。お昼のテレビ番組でやっているようなウワキやフリンじゃないんだから、別に言っても変ではなかった。だけど、言えない。わたしは誰かにママの秘密を話すことで、自分以外の誰かにママを否定されることがこわいのだ。ママはわたしのことをちゃんと考えてくれる。恋人を家にあげたりしないし、毎食ご飯も作ってくれる。洗濯も掃除もしてくれる。ママはずっとわたしのママなのだ。


 そう思っていたら、ゴールデンウィークの今日、ママは家に恋人を連れてきた。そろそろわたしに会わせても大丈夫だと思ったらしい。恋人が来るわりには、出てきたご飯はいつもと変わらないものばかりだった。恋人を連れてきた以外はいつものママだった。

「はじめまして」

 ママの恋人はわたしにペコリと挨拶をすると、正座をした。緊張しているらしい。ママのことをちらちらと見ながら、わたしの機嫌をうかがうようにたまに喋りかけてきた。学校は楽しいか、今学校で流行っているものはなに、好きなご飯はなに。あまりにつまらない質問のレパートリーに呆れて、たまにわたしからも質問した。ママの恋人はわたしから質問をすると、やっと心を開いてくれた! という安心した笑顔で「僕は伊達巻きが好きだよ、おせちの」と教えてくれた。別に心はちっとも開いていないのに。

 わたしは明日ミナコちゃんと遊ぶから美容院に行ってきたというのに、家族以外で初めて切りたての髪を見せるのがママの恋人になってしまった。ママの恋人も美容院に行ってきたようだった。後ろがさっぱりと短く刈り上げられている。毛量のある黒髪は太くて、針金みたいに真っすぐで、男の人だと思った。わたしもママも細くて柔らかい髪だから。

 清潔感のある男がいいの、と先週の夜に酔ったママが言っていたことを思い出す。確かにお父さんも、ママの恋人も清潔感のある男だ。髪は短く、髭はきれいに剃られていて、服も白や黒のシンプルな色ばかり。こういう人がタイプなのか、と思いながらコップに注がれた麦茶をぐいっと飲み干した。

「この人ってママの、友達なの?」

 ふと、ちゃんと訊いてみたくなった。ママの口からは教えてもらっていないのだ。わたしの想像かもしれないし、はっきりさせないといつまでもモヤモヤするだけだった。ママの恋人はわたしから目をそらして床を見つめ、ママはしっかりとわたしを見つめてくれた。

「あのね、この人は、ママの」

「恋人です」

 息を吸う音がした。ママの恋人の声はあのときの一言とは違って、震えているようだった。ママを大事にできるのかな。わたしは息を吐いた。

「ママ」

 わたしはママに訊いたのだ。ママの恋人を、ママの声をさえぎってまで伝えるような人に訊いていない。

「だから、その、そういうことなの」

「わたしはママの口からちゃんと」

「言ったでしょう? いま」

 恋は盲目だ。きっとママはもうこのにめろめろなのだ。わたしが言っても何も変わらないことは、訊く前から全部ちゃんと分かっている。だから聞きたくなかったし、せめてママの口からちゃんと言ってほしかったのに。

「そっか……おめでとう、なのかな?」

 苦笑いしてそう答えると、わたしの目の前にいる二人は嬉しそうに微笑みあっていた。

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