第5話 「紅花のレシピ」

「麦ちゃん!ラテアート上手い!上手い!」

ここは喫茶ニシキノ。麦と緑は間の休憩時間を使って、ラテアートの練習をしていた。


学校は当然行かず、自室で午後からのアルバイトが始まる時刻まで暇を潰す生活もそれ程悪くない。

本来ならば反省するために設けられた期間である筈だが、心の中ではゴールデンウィークが早めにやってきたのだという軽いノリで過ごしていることは理事長に内緒だ。


ラテアートとはカフェラテの表面(キャンバス)に絵を描いたものである。

描き方はミルクをエスプレッソに注ぎながら描く技法の「フリーポア」と

スプーンを使って描く技法「エッチング」

の二種類が存在している。


直感的に前者の方が難しいと思う麦であったが、初心者は基本的な「フリーポア」から始めるらしい。


「上手く描けたのは緑さんのお陰ですよ!折角の休憩時間を使わせてしまいすいません!」

「気にしなくていいのよ」


麦の手にあるのは自分が描いたハート型のラテアート。歪な形ではあるが、誰が見てもハートと言うだろう。


「麦ぃ〜この料理味見してみてよ」

すると、後ろから違う声が聞こえてきた。

聞く人によると小生意気に聞こえるハスキーボイスを使いながら、調理担当者紅花がスプーンを片手にこちらに歩み寄ってくる。


「さっきさぁ〜オムライス作ったんだけど、中々上手くいったから僕を褒めてもらいたくって」

本当にオムライスか?と言わんばかりの固形をスプーンの皿の上に乗せながらやってくる赤髪少女に麦は足を一歩二歩後退させた。


以前、言われるがまま紅花が手がけた料理を口にしたのだが、味はまさに爆弾。

味覚が狂ってしまいそうな強烈な腕前を持つ紅花の手料理に温厚な緑も「わ、私達エスプレッソ沢山飲んだから遠慮するわ」と珍しく嘘を並べている。


「え〜でも、麦の胃袋ならこんぐらい余裕だろぉ?食べてみろよー」

ぐいぐいスプーンを押し付けてくる紅花からは逃げられないと、素直に諦めた麦は「…わ、分かったよ」と口を開く。

卵の黄色。ケチャップの赤色。この二色が特徴なはずのオムライスなのに、スプーンの上に乗ってるそれはヘドロのような緑色をしていた。


「はい、あーん」

と、同時に提供者である紅花も可愛らしくお口をあけ、食事を促進させる。


他人に食べさせてもらったことは何年ぶりだろう。と別の事を脳に考えさせ、味覚を無にしようとするが、


「んん!?」


脳は舌を通じ「不味い」の三文字を下し、口が…いや、全身が紅花特製オムライスを拒絶する。

そして、食事中の方には申し訳ないが、口から大量のゲロをぶちまけた。


「うぅ…おぇー…おろろろろろろろら」



なんやなかんや騒がしい一日を乗り越え、迎えた閉店時刻の二十一時。六人は左方向の麦・檸檬とそれ以外が辿る反対方向に別れ、解散していった。


真っ暗に包まれる店内…さらにはシャッターでその体まで隠される喫茶「ニシキノ」に寂しさを覚えながら、


「じゃあね〜麦た…じゃなかった麦!と檸檬!真っ直ぐ帰んのよ」


「はーい」


思わず、美少女好きという性癖が飛び出してしまいそうになり、分かりやすく口を抑える。


彼女の性癖を知っている緑は困り眉を作り、反して全く知らない紅花はきょとんと首を傾げた。



「い、いい忙しかったね」

「…うん」


二人の間に気まずい空気が流れ始める。

喧嘩したわけではないのだが、檸檬も麦を停学に追い込んだ人物の一人であることは間違いないのでそれなりの罪悪感を感じているのだろう。


「ご、ごめん。北条さん」


刹那、言葉をぽつりと零いた檸檬。


「え?な、何が?」という声が風の中に混じり、雑音の一つとなる。


罪悪感を想いが自然と口をついてきたのだろう。口から言葉だけでなく、瞳から涙が溢れていた。


「だ、大丈夫だよ!檸檬ちゃん!檸檬ちゃんが告げ口したんじゃないし…

久しぶりに見た他人の(しかも、ある程度大人になった年頃の)涙を目にした麦は戸惑いを顔に浮かべて檸檬を肯定させる。


麦の停学処分の原因である檸檬のストーカー疑惑。それを校長(こうこう)に告げたのは檸檬…ではなく、彼女の父親…萌木(もえぎ)柑橘(かんきつ)だ。

理事長の権力を振るい、麦を二週間の停学に追い込んだのは彼である。


「で、でも、停学だなんて、あなたの成績に傷がつく…」


そりゃそうだ。停学経験のある生徒は高校内で評判が悪い。

二週間はあっという間だろうが、停学明け、学校に行くのが怖くて仕方がない。

他校の紅花まで知っていたので、恐らく同学年の生徒は全員知っていると言っても過言ではないだろう。


恐怖心は少なからず持っている麦だったが、自分にも言い聞かせるように「私は大丈夫だよ」と発する。続けて、


「いいの…私はそもそも高校あんま楽しくなかったから」


寂しげな笑顔を浮かべ、声に運ばれ空気を揺らす言葉は切ない色を含んでいた。

明るく元気!如何にも主人公らしい性格の持ち主に見えるため、学校が楽しくないという感想は意外である。

正直、喫茶店バイトのように誰とでも仲良くできる様子は伺えない。しかし、体育の時間も音楽の時間も一生懸命取り組む姿勢をした。だが、楽しんでいると言う考え方はどうやら間違っていたらしい。


「北条さ…「麦って呼んで」

声をかき消すように言葉を重ねた。


絶妙な空気が流れているように見えるが、二人は気まずさの「き」の字も感じていない。

春先に咲く満月の月光が二人の顔を照らしていた。


「あ、ありがとう」

「えへへ…同じクラスなんだし、仲良くしようよ」

御礼を口にする檸檬。

誰も悪くない一件で謝罪と感謝が生まれるのは変な話だが、どういたしましての代わりに麦は軽く微笑んだ。続けて、


春にしては寒すぎる風が肌を舐めた時、小さく…だが、はっきりとこう告げる。


「だから、友達になってね」


誰にでも言ってそうな一文だが、発話前震える唇とそれが表す意味を檸檬は知っていた。


「うん。喜んで…麦ちゃん」


麦わら帽子少年と「2」に纏わるおかまの顔が浮かんでしまうが、名を呼ばれた麦は口の端に笑みを刻む。


二人の友情が生まれた瞬間を満月は優しく見守っていた。



「んじゃねー店長ぉー、緑さん」


「か、可愛いーすね。麦たんもれもたそも」


「れ、れもたそ…?」

突然、放たれた言葉に緑ははてなマークを浮かべた。ただでさえ檸檬(れもん)という珍しい名前に『たそ』の文字をつけたあだ名だと即座に推測する。


「昔の思い出をちゃんと覚えいて、約束を今でも守る一途なところ可愛くないですかー♡」


「…モモちゃん」

「なんですか?」


「本当は忘れてなんかいないんでしょ」


歩みを止め、紡がれた言葉。

時折見せる緑の真剣な眼差しにモモは言葉を「…」で埋め尽くす。今の彼女に嘘は通用しないと知っていたため、素直に返事を返した。


「はい」


モモに双子の姉は存在しない。

杏(あんず)という名の従姉妹は存在するが、顔も似ていないし、歳もまだ二歳だ。


「どうして嘘言ったの?本当のことを言ってあげたら喜ぶんじゃない?」


「だって…あれは…


その後、紡がれた言葉に緑は固唾を飲んだ。


翌日


今宵もあの人物のハスキーの声が喫茶店に響く。

「なぁ〜麦ぃ〜今日は紅花様っ!特製パフェを作ったから味見してくれない~?」


自分の作った毒物にも手料理で相手を苦しめたいのか、紅花は不気味なまでの満開の笑みで話しかける。

傍にいた同じく料理係の穂乃香も彼女の行動にわかりやすく顔を引きずっていた。


「あっ!分かりました!」

しかし、つい昨日紅花の手料理で嫌な思いをしたばっかりなはずなのに、承諾をしてみせた。

「あ、お、おぅ…ちゃんとしろよな!」

素直な返事を返され、歯切れの悪い言葉を口にする紅花。

じゃあ、これ。と手に持っていたこの世のものとは思えない色のパフェを麦に渡した。


「じゃあ、遠慮なくいただきまーす」

排泄物・有害ガスと肩を並べていいほど異様な匂いのする今回のパフェだったが、何一つ嫌な顔することなく銀のスプーンで口に運んでいく。


「ど、どう?おいし「ん〜おいひいぃー」


「え、え…!?」

若干気味の声を挙げたのは穂乃香だ。

パフェだと言うのにタコの足・カレー粉・作り方を間違えた生クリームなど、異様なレシピを目にしていたのだろう。

「だ、大丈夫…?」と小声でだが、心配してくれた。


「全然おいしいよ!穂乃香ちゃんも食べる?」

「いや、私はいい」

「ちょっ!どういうことだよ…!不味いってのかっ!?」

「…」を使うことなくはっきりと述べた否定に紅花は鋭いツッコミを入れる。


「これ、最後まで食べていい?」

「ん?そんなにおいしかったのか?…しょうがないなぁ~食べてもいいよ」

「ありがとう!」


前向きな麦に違和感を感じたのか、傍にいたお手伝いの穂乃香に耳打ちする。


「なぁ、麦ぃなんか変じゃないか?」

「?何が?」

「察し悪いなぁ…なんか良いことあったんだろうなぁー…チェッ!ムカつく」


ぷぅーと頬を膨らましながら話題の人物…麦に視線を送る紅花。

彼女の横顔を低い位置から見上げた穂乃香は何が羨ましいのだろう?とはてなマークを頭上に浮かべる。



「皆集まってー」


時は昼休みモモの号令が喫茶店のメンバーを中心に集めさせた。

麦・緑・穂乃香・紅花・檸檬の5人が集まったことを合図に口を開く。


「突然だけど、新しく二人のアルバイト候補が決まったから明後日面接を開こうと思ってるの?それに参加してほしいんだけど…檸檬、そんなに睨まないでくれる?」


「アルバイト募集していたんですか?」

何だそれ、ズルいと言わんばかりの表情でこちらを見つめてくる檸檬とまぁまぁと宥(なだ)める緑。


私はあんなに苦労して入ったのにと檸檬だけでなく、麦まで怪訝に思ったようで、じーと納得いかないような視線をこちらに送る。


「まぁ、二人共落ち着いてよ。ここの店よ食べログをこの前見てみたんだけどね…珈琲はそこそこ美味いが、料理が不味いっていう意見が多くてね」


「な、何だよぉそれぇ!僕らの料理が下手くそってことじゃないかぁー!」

「私はちゃんとレシピ通りに作ってる。悪いのは紅花様…料理は適当が大事といつも言ってる」


プライドの高い紅花に様付けするところまでは良かったが、料理の腕を全面否定してみせた。

ちょっと!どういうことなんだよぉー!とぷりぷりしながら店長に問い詰めた。


「僕の料理が不味いって認めるのかぁ?」

「違うわ。私は紅花の料理が好きだけど、このままじゃ喫茶店の評判が悪くなってお客様が減ってしまう…最悪の場合潰れてしまう可能性だってあるわ」


「まぁ、そうだけどさぁー」

苦渋の表情でモモの言葉を噛み締める。唇をとんがらして納得していないようだ。


「ごめんごめん」と困り眉を作りながら、適当な謝罪を述べるモモは続けざまに言葉を並べる。


「だから、面接するの?いいよね?麦た…麦・檸檬?」


危ない危ない。一瞬影でつけているあだ名が声に乗り込もうとしたが、迅速な判断で冷静を纏いながら二人に確認をとった。


「私は構いませんが…」

「えー面接ですか!?…私に出来るかな…」


不安そうな台詞ではあるが、明らかに楽しそうな感情が顔面から隠しきれず溢れている。


「え~いいなー!僕もやりたい!」

子供のように甘えた声で紅花に店長(モモ)は口の端で笑みを作りながら、こう言葉を発した。


「勿論、皆で決めるわ!穂乃香も手伝ってね!」


「はい」の代わりにコクリと首を縦に動かして返事を返す。一人だけお手伝いという不安定な立場であるが、忘れられていなかった安堵から自然と笑みが溢れてきたようだ。彼女も麦と同じく感情を隠しきれていない。


「で、料理が得意な人を募集したのね。集まった二人の名前はなんて言うの?」

今度は穂乃香と似た顔を持つ緑が問う。


「えっと…」と呟きながら携帯画面を確認し始めた。

今はインターネットでの募集になっているのかと時代の進歩を感じながら、五人は共に働くかもしれない人物の名前を待った。


「一人は香坂(こうさか)日向(ひなた)…そして、


ここでモモの言葉が途切れる。

どうしたの?と緑が問うと、胸の中に広がる衝撃を抑えるため平べったい胸に添えながらこう呟いた。


「花深(かふか)チノ…現役アイドルの名前だ」

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