第22話
“百塔の街”プラハ。
ロマネスク以降の瀟洒な建物が数多く残された文化の都。
ヴルタヴァ川の屈曲点を挟んで両岸に広がるこの街は、神聖ローマ帝国とチェコスロヴァキアの首都を経て、今はチェコ共和国の首都としてボヘミアの歴史を見守り続けている。
第二次世界大戦による破壊を奇跡的に免れた街中には、石や煉瓦積みの建物がいくつも立ち並ぶ。住居のみならず橋も道路も教会も城も、ありとあらゆる物が石造り。そんな石と石と石からなる街の川岸で、サラ・サブノックは忌々しげに舌を打った。
「ねぇねぇお姉さん、いま一人?」
いかにも柄の悪そうな男が三人、壁に背を預けたサラを取り囲んでいる。いわゆるナンパというものだろう。
雑踏の中で一瞬でも連れと離れてしまったが運の尽き、この手の人間はこういうときだけは人間離れした瞬発力を発揮するものだ。今日に限ってブラックのMA-1にスキニージーンズというカジュアルな服装だったことも災いしたのかもしれない。
「やっぱ観光っしょ? どっから来たの、アメリカとか? ここからちょっと行ったとこにさぁ、俺らの行きつけのビアホールがあるんだよねー。よかったら本場のバドワイザー試してみない?」
さっきから下手な英語で喋り続けているのは、プラチナブロンドと喉元の入れ墨――東洋の
ブロンド男が正面に立って女の姿を隠し、逃げ出そうとすれば左右の二人が腕を掴んで制止する。恐らくそういうやり口だろう。健全な交友関係の入り口としてのナンパでないことは、どう見ても明らかだった。
「ねぇ、少しくらい返事してくれてもよくない? 俺お姉さんみたいなキレイな人タイプだからさー、無視されると傷つくわー」
猫撫で声に僅かばかりの苛立ちが滲む。それでもサラは何も答えなかった。目線を上げることもなく手元のガイドブックのページを手繰る。
束の間の沈黙が挟まった後、ブロンドは痺れを切らしたように他二人を顎で指図した。ヒップホップとオールバックのニヤつきが下品さを増し、二人の手が先を競うようにサラの身体に迫ってくる。
手首への拘束に備えるものの、二つの手はそこを素通りしてフライトジャケットの裾を掴んだ。男たちの手がまるで辱めるかのように少しずつジャケットをはだけてゆく。その下はありふれたハイゲージニット。
さすがにここまで露骨だと意図も察せられる。別に貞操に拘りがあるわけではないが、こうも明け透けに肉体関係を迫られるのはやはり不快だ。黙っていればそのうち消えるだろうと思っていたものの、どうやら当てが外れたらしい。
身じろぎ一つしない女に無言の許容の感じ取ったのか、今度はブロンド男がサラの胸元に手を伸ばす。
その指先が豊かな膨らみに触れる――
――直前で、5本の指のうち3本があらぬ方向にねじ曲がった。
「
悲鳴が上がる前に顎を押さえ、ブーツの踵で足の甲を砕く。それで終わり。ブロンド男は抵抗することもなくその場に蹲る。調子に乗っていた割には情けない幕引きだった。
ついでにジャケットを掴んでいる二人にも少し痛い目を見てもらう。
格付けはもはや明確だ。彼らには逃げる機会を与えてもよかったのだが、少しばかり辱められたことに変わりはない。目には目を……というのは誤用か。
右側のヒップホップにタックルを食らわせて間合いを作り、それを使って左側のオールバックを狙う。
それなりに鍛えているようだが、この程度では無いも同じだ。胸の中央、胸骨の辺りに当身を入れてノックアウト。そして返す刀――もとい拳でヒップホップにも引導を渡す。こちらはシンプルに鳩尾に拳を叩き込むだけで再起不能のようだった。
崩れ落ちる三人の隙間をするりと通り抜ける。男三人がかりで女の一人すら落とせないとは、随分と不器用なナンパ師らしい。当面は自力で歩くにも不自由するであろうブロンドを尻目に見て、サラはふと思い立った。
「次から本場を主張したいなら“ブドヴァイゼル”と言うべきだ。あれはバドワイザーのような紛い物とは違う」
三人は揃って何事か呻くものの、もはや聞き取れる声量ではなかった。今度は男たちに一瞥もくれることなく、待たせている連れの方へと足を向ける。ちょうど街路樹の陰になる場所で、女と少年が待っていた。
レーヴァンとモーガンの二人組。並んでいると歳の離れた姉弟に見えなくもない。女はニタニタと下卑た視線を少年とサラの間で行き来させていた。そして少年の方はといえば、何やら顔を真っ赤にして怒っているようだ。
「なー見ただろ少年。こういうことになるから女の手は離しちゃいけないんだ」
「ええ見ましたとも。今日はホテルに戻るまで絶対離しません」
そう言うモーガンは、ようやく解放されたサラの手を自分の手で拘束する。下心など微塵も感じさせないしなやかな手指。身を任せるならこういう指の持ち主がいい――などと考えてしまう自分が恐ろしいやら情けないやら。軽く力を入れてその手を振り解こうとするが、少年は意地でも拘束を解かないつもりのようだ。
困った。これで10歳は年下で血縁ではない少年と手をつなぐ変態の出来上がりだ。
「こうして見ると中々ヤバい絵面だな。いらんことで警察とのコネを使う羽目になりそうだ」
「黙れ。元はと言えば急に呼びつけたお前のせいだろう」
「あたしは別に悪くないだろ? 例の一大イベントまで一週間を切ったってのに南ボヘミアに引き籠ってる、怠け者の警備担当者を現場に呼び出しただけだ」
返す言葉が見当たらず、サラは軽く鼻を鳴らした。
11月の末にレーヴァンと話してから3週間が経とうとしていた。アメリカ大統領の到着まであと数日。この女に電話口で急かされて、サラはようやく重い腰を上げたというわけだ。
「まあ相手が相手だからな。あんたが気後れするのも分からんわけじゃあないんだが」
相変わらずの不愉快な微笑を顔に貼り付けて、レーヴァンはサラの目を覗き込む。言葉には出さないが腹に一物を持っているときの表情だ。この女のこういう
「相手が相手、って……どういうことですか?」
女二人の様子にただならぬものを感じたのだろう。モーガンは軽くサラの腕を引き、上目遣いで尋ねた。
彼の子供のような――いや実際に子供なのだが――仕草は遍く大人の心を鷲掴みにする。何でも教えてやりたくなってしまうのが人情ではあるが、今回の彼は別に仕事に来たわけではない。冷静になって考えればこの少年が知る必要はないことだ。
「なんだ知らないのか少年。君のサムワンスペシャルは昔――」
「黙れ。今から南ボヘミアに帰られたくなかったら余計なことを言うな」
「お前正気かよ。んなことやらかしたら引退もパーだぞ」
「そうだろうな。ついでに警備担当が直前になって失踪すればお前らの面子も丸潰れだ」
「……痛いところを突いてきやがるな。まあいい、このことは女の秘密だ。あんまり詮索するんじゃないぞ少年」
「は、はぁ……」
モーガンはいまいち釈然としない様子で頷く。まあ、彼がどうしても知りたいというのであればそのうち話してやろうか……などと考えていると、レーヴァンは不意に携帯端末を取り出した。
「続きは歩きながらにするか。街歩きにもそれなりに時間がかかる」
言いつつ彼女は歩きスマホを始める。あまりに不用心な姿に眉をひそめながら、サラはモーガンの手を引いてその背中を追った。
「無理矢理呼び出しておいて言うのもなんだが、新しい情報はそう多くない。ただ、とりあえず御一行の旅程だけは事前に渡しといた資料の通りで確定した。覚えてるか?」
「大統領は24日にプラハ国際空港へ専用機で到着、車列はD7高速道路を経由して旧市街に入る。当日は大使館近辺のホテルに宿泊して、25日は大統領夫妻と長女で別行動。ストラホフ大競技場での演説が終わり次第、速やかに空港に戻って出国。弾丸ツアーだな」
「ああ。あんたが警備に加わるのは二日目だけだ。初日は空港から移動するだけだから、そう人手もいらんらしい」
左手を流れるヴルタヴァ川を横目で窺う。街を東西に二分する川にはいくつもの橋が架かっていた。中でも一際の存在感を放つのがカレル橋。カトリックの聖人像が列をなす、プラハでも指折りの観光スポットだ。
橋の上は遠目から見てもかなり混雑しているのが分かる。なぜだか知らないが、わざわざプラハまでやってきた観光客は皆ここに来たがるらしい。旅行を楽しめる人間というのは色々と予習してから来るのだろう。事実、前提知識を欠いたサラの目には単に古い砂岩のアーチ橋としか映らなかった。
とにかく、大統領一行がこの観光名所を見ることはない。アメリカ大統領夫妻はプラハ城でチェコ首相および大統領と会談し、郊外のスタジアムで演説をして帰る。長女は旧市街の観光スポットをいくつか巡る予定だが、この橋は旅程から割愛されていた。
ではなぜ今こんなところにいるのかというと、それはレーヴァンの気まぐれである。
「まあ、あたしに言わせりゃカレル橋を見ないで帰るのはモグリだぜ。警備の都合もあるんだろうが、ここを素通りはプラハの民衆に失礼ってもんだ」
「……彼女は博物館が好きだったはずだ。だから国立博物館の見学にできる限り時間を使いたかったんだろう」
「そりゃ奇特な娘っ子だ。あの橋近辺だって野外博物館みたいなもんなんだが……まあいい。その博物館も一日じゃ回り切れないような規模だしな」
話しながらカレル橋方面へと歩いていると、やがて雑踏の密度が上がってきた。今度は二人から離れないよう、モーガンの腕を少し強めに引き寄せる。少年の体温がほんのりと伝わってくる距離。自分の心臓が早鐘を打ち始めるのを感じる。
サラが勝手に緊張していると、その隣で元凶である少年が声を上げた。
「あの、一つ質問いいですか?」
「何なりと、少年」
「モリス大統領が演説する予定のストラホフ大競技場なんですけど、それってどんなところなんです? ガイドブックにはあんまり詳しく載ってなくって」
「ああ……。ストラホフ大競技場つーのは郊外にあるスタジアムことだ。収容人数は25万人で世界最大と言われてる。もとは
「それ、演説に使って大丈夫なんですか? また事件が起こったりするんじゃ……」
「さあな。当日はあの辺だけで千人近い警察官を使うって話だから、まあ大丈夫なんじゃないか? 夜中に女子供が一人で近寄るのはやめた方がいいだろうけどな」
へぇ……、とモーガンは曖昧に頷く。はぐらかされるのはこれで二度目か。あまり納得してはいないようだが、そう長々と説明してもいられない。
ちょうどカレル橋の
顔全体が少しだけ熱を帯びるのを感じた。年嵩の自分でさえこうなのだから、モーガンはきっと俯いて前も見られないだろう――そう思って様子を窺ってみるものの、少年は涼しい顔で尖塔を見上げている。
これでは自分だけ変に意識しているようではないか。思春期の娘でもあるまいに。頭で理解してはいるのだが、それでも自分ではどうしようもない。
お熱いねぇ、とレーヴァンの茶化す声が聞こえる。もう返す言葉もなかった。
今日の自分はどうにもおかしい。何がおかしいかというと、感情が妙に過敏になっている。あのナンパ師に男性性を強烈に意識させられたからだろうか。それとも少年と手を繋いでいるせいか。どちらでもいい。こういう日は一にも二にも休むことだ。
「そんじゃ、仕事前の街歩きはこれで終いだな。あとは好きにやっててくれ」
ようやく歩きスマホをやめたレーヴァンが振り返る。その背後にはバロック様式を取り入れた荘厳な建物。シルヴァースター・パレス・プラハ。プラハにおけるグローリアの拠点であり、同時にフロント企業シルヴァースター・パレスの旗艦でもある。
カレル橋から徒歩2分という好立地。年間を通して満室続きの一流ホテル。その宿泊客が悉く犯罪者だと知っている者が、この街には一体何人いるのだろうか。
レーヴァンの姿がそんな魔窟へと消えてゆく。一応は支配人という肩書を持っている彼女は、ベルボーイたちに恭しく出迎えられていた。
「どうします? 僕たちも戻りますか?」
「……そうしよう」
サラは絞り出すように答える。だが、ここまで来ても少年は拘束を解かないつもりのようだ。サラの左手はまだ固く握りしめられている。
この調子で同業者たちの間を擦り抜けることを考えると暗澹たる気分になった。それなりに顔と名前は知れているのだ。ついでにショタコン疑惑も。こんな姿を晒して、後でどんな噂を立てられるかは想像に難くない。
「なあ、モーガン? そろそろ離してくれないか……?」
「嫌です」
取り付く島もない。この少年は意外と頑固なところもあるんだな、とサラは今更になって気が付いた。しつこさでいうならあのナンパ師など比較にならないほどだが、不快感は皆無なのだから不思議なものだ。
覚悟を決め、モーガンに手を握られたままホテルのエントランスを目指す。
熟練のドアマンの視線がやたら生暖かく感じられたのは、恐らく気のせいではないのだろう。
§
ロイヤルスイートの窓からは美しい夜景が一望できる。
眼下に広がるのはヨーロッパ屈指の大都市、ドイツ・ベルリン。
ポツダム広場、連邦議会議事堂、そして街の顔であるブランデンブルク門。それらが一望できる絶好の立地に、このホテルは堂々と鎮座している。
第51代アメリカ大統領ジェイムズ・モリスは、カーテンの隙間からその美観を覗き見ていた。夜の間は窓から外を見るなとシークレット・サービスに釘を刺されているのだが、ヨーロッパまで来て夜景を見ずに帰るというのは実に惜しい。
とはいえ彼らの言い分もよく理解できた。部屋の照明を背にすれば、自分がここにいることは一目瞭然だ。そして狙撃というものはどれだけ警戒しても起こりうる。窓ガラスは分厚いが、防弾仕様ではない。
だからこれは折衷案とでも言うべきだろう。少しばかり不便ではあるが、お互いに許容できるギリギリのライン。
「あなたも熱心なのね。明日も朝が早いのだから、そろそろ休んだ方がいいのではなくて?」
化粧台の鏡越しに妻――キャサリンが言う。
出身はアメリカだが長くイギリスに住んでいたこともあって、彼女の英語には上品な訛りがある。アメリカ人が好む硬派で知的なイギリス英語そのものだった。
「夜景のためなら何時間でも起きていられるよ。ここから見える光の一つ一つに人々の営みがあって、どの高層ビルにもこの街の歴史が詰まっている」
「あの光は
彼女はたまにこういうことを言う。自分よりも彼女の方が大統領に向いているのではないかと、時々思うほどだ。
彼は苦笑を浮かべて窓から離れる――と同時に、部屋のドアが軽くノックされた。
「誰かな、こんな時間に」
ジェイムズが出て行って、ドアを開ける。両脇には大統領警護を担当する
「ああ、マーガレット。まだ起きていたのか」
おとないを入れた来訪者はマーガレット・モリス。他でもないジェイムズとキャサリン夫妻の長女だ。父母のどちらに似たのか、豊かな金髪と透き通るような碧眼が目を引いた。
「まだ11時前だよ? 子供じゃないんだから起きてるに決まってるじゃん」
彼女は軽く頬を膨らませる。大学に入ってから随分大人びたように見えたが、こういうところは幼い頃のまま。ことあるごとに周囲を和ませて笑顔を作り出す彼女を、ジェイムズは目に入れても痛くないほど溺愛していた。そのあまりの子煩悩っぷりがゴシップとして報道されることもしばしばだ。
無意識のうちに彼女の頭を撫でた後、それで、と彼は本題に戻る。
「何か用かな。明日の日程なら先に言っておいた通りだが」
「うん……ちょっとね、話したいことがあって。入っていい?」
珍しく彼女の声は歯切れが悪い。何か引っかかるものを感じて、ジェイムズはマーガレットを部屋に招き入れた。彼女の身辺警護に就いていた警護員は、何も言われずとも部屋の前の廊下で待機している。
「少し時間かかるかもしれないし、ジェシカは先に休んでていいよ。終わったら一人で戻るから。ホテルの中なら襲われることもないでしょ」
マーガレットがそう声をかける。しかし、ジェシカと呼ばれた特別捜査官は直立不動を崩さなかった。
「そういうわけには参りません。あなたの身の安全をお守りすることが、私の仕事ですので」
そう返す間も彼女は表情を変えない。ジェシカ・ロックウェル。シークレット・サービスの中ではまだ若手の部類だが、彼女もまた優秀な局員だ。
「そ、そっか。じゃあ手早く済ませるから、少し待っててね」
そのあまりの無表情に軽く戸惑いながらも、マーガレットは父母の部屋に足を踏み入れた。すまないね、と黒服たちに一言告げてジェイムズは扉を閉める。
居室に戻ってみると、彼女は備え付けのソファに腰を下ろしていた。テーブルを挟んで向かい合うソファに父親も腰を下ろす。母親のキャサリンは相変わらず化粧台の前だが、彼女はいついかなる時でも家族の会話を聞き逃すことはない。多分、今もしっかり聞き耳を立てているのだろう。
少しばかりの逡巡の後、マーガレットはおずおずと口を開いた。
「ねぇ、ほんとにこのままで大丈夫なの? 今日の演説でも暴徒化した人たちがいたみたいだし、明日のチェコ行きは少し延期した方が……」
そのことか、と大統領は頷く。口にこそ出さなかったが、自分の娘がいつかそういうことを切り出してくるというのは、彼の中では今回の旅の決定事項だった。だから、それにどう答えるかも事前に考えている。
「できれば直前で日程を変えるのは避けたいな。それはアメリカ政府への信用に関わる。それに、暴徒化するのは一部の少し過激な人間だけだよ。穏健な市民からの信用を得られればそれだけでも収穫だ。ここで足踏みしていては、その信用にも傷がついてしまう」
「でも、この間はチェコの下院議員が暗殺されてるんでしょ? 警察は犯人を捕まえきれてないらしいし、やっぱり危険だよ」
「そうかもしれないね。けれど、かといってチェコだけを除外することはできない。あの国にも25日にはアメリカ軍が到着する。彼らだけを爪弾きにして国民感情を逆撫でするわけにはいかない。今後百年の大計が、今回の訪問に懸かっていると言っても過言じゃないんだ」
できうる限り明確な答えを心掛ける。マーガレットとて子供ではない。自分の信条や思想を持っていて、それは必ずしも親と同じものとは限らないのだ。
議論の基本は説得である。それにはどのような意義があり、それがどのような利を生み出すか。納得できる形で提示せねば、例え身内でも説き伏せることはできない。その点、今日の彼には切り札があった。いくらか個人的ではあるが、彼女がチェコを訪れることで生じる利益であることに変わりはない。
「それに、チェコの警備には民間の警備会社も参加する。みな一流のオペレーターと聞いているから、心配はいらない」
「その会社、警備会社じゃなくてPMCなんだよね? お金のために動く会社だから報酬を弾んどけば信用できるとでも言う気? ブラックウォーターは十分なお金を与えても言うこと聞かなかったでしょ?」
「確かにそうだ。だからこそ今回は契約する企業を慎重に選んだ。私たちの旧知の人間も、今はその会社――マーシャル・セキュリティCZに籍を置いているそうだ」
ジェイムズは紙のフォルダを手繰る。シークレット・サービスの上位組織、
一人の女。27歳という年齢は、ジェシカ・ロックウェルと同じくらいだろうか。
真紅の奥に
「嘘っ、サラ……!?」
マーガレットは目を剥いて父親からフォルダをひったくる。
信じられない、と言葉に出す代わりに彼女は目を擦り、自らの頬をつねった。ひとしきりそれが繰り返される。しばらくして夢ではないことが分かると、彼女はそのプロファイルを強く抱きしめ、父親の目を覗き込んだ。
「私、チェコ行くから! 絶対行くから!」
言っていることがわずか数分で反転した。
狙い通りの結果ではあるが、ここまで効果覿面というのはさすがに予測できない結果だ。何か余計なことをしてしまったかと娘から視線を逸らすと、鏡越しに妻と目が合った。やってしまったわね、とその瞳が言っている。
自分が副大統領だった頃、娘の警護を担当していた女性。娘の心をいとも容易く奪っていった女性。ある日突然娘の前から姿を消した、謎多き女性。
元シークレット・サービス特別捜査官、サラ・サブノック。
彼女の存在がジェイムズの、マーガレットに対する切り札だった。
彼は娘に視線を戻す。いつも笑顔の彼女だが、いつも通りの日常では決して見せることがないような喜色満面。その頬には一筋の涙まで伝っている。
これでは連れてゆくよりも連れて帰る方が難儀しそうだ。もっと別のことで説得するべきだったかもしれない。
大統領は少しばかり後悔するが、もはや後の祭りだった。
§
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