第21話

〈チェコ共和国 ウースティー・ナド・ラベム州 ジャテツ

                     ――陸軍第4即応旅団司令部〉


「アメリカ軍兵士には事実上の治外法権が適用されると聞く! かの国の兵士がどのような非道を行おうと、我々は犯罪人が名誉除隊となるところを手を拱いて見ているほかないということだ!」


 狭い執務室の中で若手の士官が吼える。


 チェコ共和国北西部に位置するウースティー・ナド・ラベム州。中でも有力な街の一つであるジャテツには、チェコ陸軍主力の第4即応旅団司令部が置かれている。その名の通り、祖国に一朝事あらば真っ先に敵へと斬り込む陸軍の先鋒だ。


 そんな切り込み隊の参謀副長ダニエル・ヴァレンシュタイン中佐の執務室は、司令部庁舎の一角に慎ましく存在した。


 階級こそ中佐という高級将校の入り口だが、旅団長や参謀長の待遇と比べるとあらゆる点で見劣りする中間職である。当然、与えられる部屋も決して広くない。五、六名の士官が雁首がんくびを揃えるとソファに座れない者が出てくるほどだ。


 とはいえそこは軍人。誰が指示せずとも先任の者から順に着席し、最も若い者は文句の一つも言わずに簡易の椅子に収まっていた。先ほどから盛んに発言をしているのは、中尉の階級章を着用した若手士官の一人である。


「我々にはもはや一刻の猶予も残されていない! 国防省に再考を促すよう、旅団長や陸軍参謀本部に働きかけを行わなければ――」


「それは時間の無駄というものだろう。今や国防省も参謀本部もアメリカの出先機関に成り下がった。近頃の安全保障戦略はかの国の言いなりだ」


 今度は別の将校が反駁した。この部屋に集まる者の中では一番の年嵩で、下士官からの叩き上げ。今は少佐の階級章を身に着けている男だ。


「上級司令部は対外有償軍事援助FMSに吊られてアメリカに尻尾を振っている。我々が直接動かなければ、我が国の主権を守り抜くことはできない」


 初老の将校はそこで言葉を切って、猛禽のように鋭い視線をヴァレンシュタインに投げた。他の者もそれに従うように最先任の中佐を窺う。彼に決断を迫っているのは明白だった。


 参謀副長は紫煙を吐き、ほぼフィルターだけになった煙草を灰皿に押し付ける。


 士官たちが求めているのは武力を用いた蹶起だろう。すなわち軍事クーデターということだ。古今東西、主権を取り戻すための“革命”において暴力は普遍の原理。軍事力を傘に介入を強めるアメリカへの意思表示としては、最も相応しい手段かもしれない。


 しかしながら、参謀という自身の役職はそれを否定していた。保身のためではなく、単純に現場の兵卒を統制しきれないのではないかという懸念のためだ。


 国家の暴力装置である軍隊には、国というものの無謬性を信奉する者が少なからずいる。そうでなければ一国における最大の強制力は統率できないのだ。特に組織の末端ではそれが顕著で、いかに上官からの指示であろうと反発する者が多く出るのは目に見えたことだった。上級司令部から原隊復帰を求められれば、彼らは大人しく従うに違いない。


 二本目の煙草を取り出しつつ、ヴァレンシュタインは口を開く。


「少佐の言う通りだ、ラジンスキー中尉。私は旅団参謀部を通じて再三にわたり追考を促したが、いずれも謝絶された。我々は主流派から外れている。この部屋にいる者より他に、志を同じくする将校は存在しないと考えていい」


 ラジンスキーと呼ばれた中尉が押し黙る。


「だが、タルナート少佐の意見にも全面的には賛同しかねる。我々は正規軍なのだ。いかに主権のためとはいえ、国民の信用を失うことは国軍の存在意義を根底から揺るがす大事となりかねない。行動は水面下で慎重に行うべきだ」


 数人の喫煙者が集まったせいか薄く煙った執務室に、重い沈黙が下りる。


 着座している士官は皆しかつめ顔で、「であればどうするのか」という問いが言葉に出ずともひしひしと伝わってくる。


 ここ数年、ヴァレンシュタインもそのことで頭を悩ませてきた。


 国内へのアメリカ軍進駐計画は、東欧での戦役が終わるどころか始まる前から計画されていたことだ。しかし一部の将校は、この計画に強硬な反対論を唱え続けた。その主張の根底には、アメリカとチェコの間で結ばれた地位協定の瑕疵がある。


「アメリカ軍人および軍属による公務中の犯罪については、地位協定上、アメリカが第一次裁判権を有する」――そんな端的な事実を規定する条文。米国はこれを拡大解釈して職務外での犯罪を有耶無耶にしようとするのではないか、という懸念が情報通の間で吹き荒れた。


 当局の間では異国の軍隊を駐留させることによる治安の悪化は確実視されており、そんな中でこの条文だ。介入を行っては事態を泥沼化させるアメリカを蛇蝎の如く嫌う者たちには、決して受け入れられない内容だった。


 そして始まった、越権行為としての譴責をも顧みない必死の工作。しかし、それももはや風前の灯火と成り果てた。高級将校はアメリカ軍進駐に対する容認派で占められ、それ以外は排外主義的であるとして次々と左遷・除隊の憂き目に遭っている。


 強硬派として現状最も軍中枢に近いヴァレンシュタインにしても一旅団の参謀副長で、中央までは声が届かない。要するに、負け戦は必至の様相なのだ。


「繰り返すが、軍内部に味方は少ない。我々の良き相談役であったアルマゾフ准将は除隊を強いられた。元々我が旅団の隷下にあった第43空挺大隊の独立も、将校の発言力を削ぐための中央の策略によるものだ」


 その通り、と狭い部屋に詰め込まれた士官たちが声を上げる。同志の数は減り、圧倒的な劣勢に立たされてなお士気は挫けていない。つくづく軍人とはこうあるべきだ。


「しかし、幸い外部には我々の主張に耳を傾ける者も多くいる。今後は内部工作ではなく、外部と通じた水面下での行動に切り替える必要があるだろう」


「外部……で、ありますか?」


「外部だ、ラジンスキー中尉。アルマゾフ准将をはじめ我々が懇意にしていた士官が立ち上げた民間軍事会社PMSCsがある。何らかの実力行使が必要であれば、その力を借りる。正規部隊に蹶起を呼びかけるよりも監視の目につきにくいはずだ」


 ヴァレンシュタインはそこで言葉を切り、集まった面々を一通り見回す。いずれも確固たる信念を持つ者だ。軍上層部の日和見主義者とは訳が違う。たとえ少数派に追い込まれようと、祖国の主権と国民の幸福に殉じる覚悟のある者たち。


 そういう人間が部下として、同志として共に戦ってくれることを、彼は常々誇りに思っていた。


「アメリカ軍部隊の到着は12月25日、ストラホフ大競技場における共同演説と同日だ。我々にクリスマス休戦は無縁であると心得られたい。諸君が接触すべき外部の人間については追って伝達する。以上だ」


 解散、という参謀副長の指示と共に士官たちは各々散ってゆく。最後の一人が退出するのを見送りつつ、彼は自分のデスクに目を落とした。そこにはいくつかの資料が散らばっている。


 新興民間軍事会社、ブラック・シープス。さしずめ軍を放逐された除け者black sheepたちの拠り所といったところか。退役に追い込まれたアルマゾフ准将の意地が透けて見える屋号だ。


 無論、言路洞開をもって事態を解決できるならそれに越したことはない。しかし、今の情勢では彼らに頼るほかないだろう。黒い羊の集団が白い羊の群れを先導する光景を想像しようとするが、どうにもイメージが湧いてこなかった。それがあまりにメルヘンチックな光景だからだろうか。


 この頭も随分凝り固まってしまったものだ。


 ようやく換気扇が効き始めた狭い部屋の中心で、ヴァレンシュタインは静かに自嘲した。


   §

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る