第15話

 留守番をモーガンに任せて最初に向かったのは、通りを挟んで向かいにあるブティックだった。


 いくらか水滴の付いた傘をスタンドに突っ込み、木彫りの装飾が施されたドアを押し開ける。


 程よく暖房の効いた店内には、いかにも小金持ちの淑女相手の商売だという風格が漂っている。壁際に置かれた飾り棚には上品なセレモニースーツを纏ったマネキンが並び、それらに取り囲まれるように置かれたガラスケースには優婉なジュエリーが収められていた。


 金属といえばジャケットやブレザーが吊るされたハンガーラック程度しか見当たらない。木材とガラスがふんだんに用いられたスタイルは、ラムダ銃砲店の内装を更に洗練したような印象だった。


 サラが訪ねた人物はその店の最奥、接客用のソファとテーブル、そして姿見が置かれたフィッティングスペースにいた。


 目を見張るような額の値札が付いた生地を、ガラス戸の棚に仕舞っている女性。つややかな金髪のウルフカットがブラックのスーツに映え、小柄でありながらも凛とした品位を醸している。横顔だけでも分かるほどの麗人だ……喋らなければの話だが。


 来客に気が付くと、彼女は流れるような仕草で一礼した。


「ようこそおいでくださいました……って、なんだサラじゃん。どしたの、こんな平日の真っ昼間から」


「またフルオーダーを頼まれてくれないかと思ってな、イレーナ。今から大丈夫か?」


 イレーナ――フルネームをイレーナ・ペトロフスコヴァ。町の服飾品店の三代目であると同時に、彼女もまたグローリアの構成員の一人である。


 とはいっても彼女の役割は自ら手を汚すことではなく、殺し屋たちにその時々に合った衣装を用立てることだ。サラが現場に出るときに決まって着ているスーツもまた、彼女があつらえたものだった。


「そりゃまたお忙しいこって。とりあえず座んなよ、コーヒー淹れるから」


 サラに来客用のソファを勧め、彼女は隅に置かれた什器に向き合う。


 淹れる、といってもこの女がグローリアの会員に出すのはいつもインスタントだ。曰く「殺し屋に味の違いなんて分からないから」らしい。見た目だけならグローリアの“掃除屋”シュネーにも引けを取らない美形なのだが、イレーナは性格にやや難を抱えている。


 普段通り適当にマグカップに注いだコーヒーをサラの前に置き、彼女は机の反対側の一人掛けソファに腰を下ろした。


「それで、今日はスーツの新調ってことで間違いないのね」


「ああ。少し仕事でゴタついてな。前のは一着ダメにして、もう片方も補修がいる」


「もー、しっかりしてよ。エルメネジルド・ゼニアの生地なんてうちみたいな弱小テーラーじゃ滅多に手に入らないんだから」


「そうなのか? いくらハイブランドといっても、たかが布だろう」


「あのねぇ、ゼニアって言ったら配給先はエルメスにシャネルにアルマーニよ? 既製品のスーツならまだ何とかなるけど、生地そのものは馬鹿みたいに高いの! 女帝ストラップ・クイーン様のためならと思って奮発して仕立てたのに、それを二着いっぺんにダメにするなんて……」


 悲痛な声と共にイレーナが頭を抱える。どうやら知らないうちにとんでもなく大きいものを背負わされ、そして失っていたようだ。


 それにしてもここまでオーバーにリアクションをされるとどうにも忍びなくなってくる。このままでは精神衛生的にあまり良い影響は受けないだろうから、サラは早々に話を先に進めた。


「とにかく、そういうわけだからまたいくつか用立ててくれ。今度は……そうだな、頑丈で動きやすい物がいい」


「頑丈で動きやすい、ねえ……。その心は?」


「面倒な奴らを相手にしてるんだ。少しばかり無理な仕事をすることになるが、防弾がジレだけだと心許ない」


「心許ないって……あれだってケブラーで裏打ちしてあるからそれなりに頑丈なんだけど。そもそも防弾性を持たせたスーツは万が一に備えた護身用具であって、撃ち合いに堪えるような代物じゃないってこと忘れてない?」


「だからこうして職人に頼みに来たんだろう。に十分なものを作ってくれと」


「あんたはいつも無茶なことばっかり……」


 イレーナは両手で顔を覆って天を仰ぐ。


「人が丹精込めて作ってるものを一体何だと思って……」だの「殺し屋ってのはつくづく血も涙もない奴らよね」だのと恨み言が次々に飛んでくるが、それをいちいち斟酌してやれるほどサラの器も広くはない。


 確かに彼女とその同業者はオーダーメイドの商品を作っているあたり、既製品を仕入れて売るサラとは感覚が違うのかもしれない。しかし同じものを永く使い続けられると商売が立ち行かないということくらい、一応は彼女と同じ自営業のサラも知るところだ。


 当然ながら商魂逞しいイレーナもそのことは熟知しているはずで、その証拠に散々言いたい放題喚いた彼女はすぐ何事もなかったように顔を上げた。


「あーすっきり。やっぱたまにはこうして発散しないとやってらんないよね。それじゃ、ちゃっちゃとフィッティングを済ませてしまいましょう」


 少しばかり情緒が心配になるような切り替えの早さだ。彼女はおもむろに椅子を立ち、サラに姿見の前に立つよう促した。


「えーっと、前の型紙で作った仮縫いは……あった。見たところ体形が大きく変わったりはしてないみたいだから、一応これ着てみて」


 店舗空間と直通のバックヤードから、仮縫い状態のジャケットが持ち出される。一年ほど前にこの店でスーツを誂えたときのものだ。袖を通してみると、今でもサイズはぴったりに感じられた。


「うん、まあそんなもんよね。これ以上育ってたらメンズライクスーツは厳しかったし、アラサーさまさまだわ」


「……さすがに不躾すぎるんじゃないか。一応客だぞこっちは」


「不躾でもお金は出してくれるんでしょ? それに、まともな客の前ではずっと猫被ってなきゃいけないんだから。たまには私を休ませなさいよ」


 肩幅、袖幅、股下などを手早く測りながら彼女は愚痴る。

 別に成長期でもないのだからサイズが変わらないことは気にならないが、アラサーという単語だけは不思議と心にのしかかってきた。


 そんなサラの心情など気にも留めず、金髪のテーラーはフィッティングを進めていく。


「スタイルはブリティッシュ、ボタンは二つ、パンツはテーパード。前はこれで作ったけど、他に何か注文は?」


「特にはないな。ただ、できれば生地も同じものにしてほしい」


「ゼニアね。まあ……何とかするわ。で、最後に裏地なんだけど」


 彼女はそこで言葉を切って、ガラス戸の棚に収めていた生地を漁りはじめる。


 黒、灰、紺、といったフォーマルな色から、ピンストライプやグレンチェックの柄物まで。様々な布が地層のように積み重なっているが、色柄以外にどう違うのかなどサラには分かるはずもない。


 イレーナはそんな中から一つを引っ張り出した。スーツ用の布地としてはやや厚く、黒くて艶のあるものだ。


「ちょうど試したいところだったし、この際だから下ろしてしまおうかな。じゃじゃーん、新素材ナノファイバーマットぉ」


 几帳面に折りたたまれた生地を開いた彼女は、それを誇らしげにはためかせる。


 よく注視するとそれは布地ではなく、カーボンクロスのように扁平な繊維を規則正しく編み込んだ素材だった。少なくとも普通のオーダースーツに使うような布でないことは明白だ。


「……なんだそれは」


「端的に言うなら、ケブラーのナノファイバーとカーボンナノチューブを組み合わせた次世代の軽量アーマーってとこかな。これを裏地に縫い込めば拳銃弾くらいは防げるようになる……はず」


「訊いといて悪いが理工系は専門外だ。それにさっき『試したい』と言ったな。本当に信用できるのか?」


「カタログスペック上はね。ケブラーの性能は知っての通りだし、カーボンナノチューブの強度は鋼鉄の20倍、条件次第ではダイヤモンドにも匹敵するとか。あとは衝撃吸収性もだいぶ向上してるって話だけど……ま、気になるなら試してみれば?」


 こともなげにイレーナは言い、小さめに裁断されたサンプルをマネキンの一つにピン止めする。そのまま換気扇のスイッチを操作した後で、彼女は目配せしてきた。


 サラは立ち上がりざまにショルダーホルスターのP226を抜き、引き金を引く。続けざまに3回、そして4回。


 4発の9x19㎜弾は狙いを過たず黒い新素材に牙を剥く――が、ついぞ穴を穿つことはなかった。ほとんど同じ場所に着弾したにも関わらず、4発すべてが防がれたのだ。


「これが次世代アーマーの力ってわけよ。どう、気に入った?」


 イレーナは得意げに胸を張りつつ、ひしゃげた弾丸が突き立ったままのサンプルをサラに手渡す。堅固なはずのボディアーマーは、しかし普通の布のようにひらりと形を変えた。文明の利器。そんな言葉がこの上なく似合う代物だ。


「必要十分だな」


「ん、それじゃあ裏地は“実戦用”ってことで。なるはやで作るけど、ざっと見積もって2週間が納期かな。どれだけ急いでも10日はかかると思う」


「分かった、それで頼む。話は付けてあるから代金は首領ボスに請求してくれ」


「はいはい了解りょーかい。毎度ありー」


 仮縫い一式をイレーナに返し、サラはその場を後にする。


 店の中はやはり随所に飾られた宝飾品が目についた。

 パーティションで区切られたフィッティングスペースからの短い動線ですら、視界には必ずキラキラとした耀きが映り込んでくる。


 どれも大粒の宝石が散りばめられ、紛い物は一つも無い。


 普通の女性であればここで目移りの一つくらいするのだろう。しかしサラは足を止めなかった。


 もちろん世の中には豪奢な宝石で心を満たす者がいることは知っているし、それを虚飾だと断じるつもりはない。しかしそれは地位と財力に恵まれた貴婦人の嗜みであって、殺し屋に許されるような贅沢ではないはずだ。


「またのお越しを~」という店主の気の抜けた声を背中に聞きながら、再び雨空の下に出る。すぐ目の前には我が家が聳えているものの、まだ帰ることはできない。


 会わなければならない人物はもう一人残っている。


   §


 イレーナの店を出たサラはそのまま旧市街の中心、プシェミスル・オタカルⅡ世広場へと足を運んだ。


 チェスケー・ブジェヨヴィツェ随一の観光地とはいえ生憎の天気であり、おまけに観光シーズンからも待降節アドヴェント――11月末からクリスマスイブまで行われるキリスト教の歳時――の時季からも外れているためか、行き交う人は多くない。


 サラもサラでこの広場に用があるわけではなかったため、足を止めることもせずに通過する。今日の目的地は、そこから100メートルほど北西にある別の広場だった。


 いかにも長い歴史を感じさせる修道院を目指して歩くと、目的の場所はすぐに見えてくる。狭隘な旧市街の中で幾分か開けた土地。ピアリスティック広場    Piaristické náměstí   と呼ばれる場所だ。


 ドミニコ会修道院や聖母マリア奉献教会など、この街を成立初期から見守ってきた歴史的建造物に囲まれる憩いの場ではあるが、今日はここも閑散としていた。


 普段なら地元住民や観光客で賑わう市場の露店は、長引く雨を嫌ってか軒並み引き払われている。


 随分寂しい光景ではあるが、幸いなことに目当ての店は雨天でも商売を続けていた。色鮮やかな天幕で雨をしのぐ店先には瓶詰めの蜂蜜や果実漬け、琥珀色の蜂蜜酒等々。一見すれば地元の養蜂家が自家製の品を商っているだけの、何の変哲もない露店だった。


 その店先で足を止め、木工品の籠の中から小瓶を一つ取り上げる。ひときわ透明度が高く滑らかなアカシア蜂蜜。そんな客の姿を認めた店の主は、長いこと退屈していたのかここぞとばかりに声をかけてきた。


「こんな雨の中買い物かい。若者は活力があっていいもんだ」


 そろそろ老境に差し掛かろうかという男。鬢髪こそ色が抜け始めているが、初老である割に体躯は衰えていない。


 養蜂家とはいえ体が資本の農家ゆえだろう、と普通の人間ならそう飲み下すだろうが――サラのような事情通であれば、また違う理解をするところだ。


「近々仕事で遠出することになったものでね。早めに『買い物』を済ませておきたいんだ」


「精が出るなァ、嬢ちゃんは。必要なものがあれば何でも言ってくれ、安くしとくからよ」


「そうか? ……なら早速だが、“雀蜂の蜂蜜漬け”を買いたい。ホーリークローバーの蜜に、オオスズメバチを二匹」


 サラがそう口にした途端、男の目線がすっと鋭く変わった。しかしそれも一瞬のこと、養蜂家はすぐに元の調子を取り戻す。


「……悪いな嬢ちゃん。一応それも作ってはいるんだが、ちょうど切らしちまったみたいだ。伝票は付けとくから『倉庫ソルニーツェ』の方で受け取ってくれるか?」


 言いつつ彼は太い指でペンを走らせ、長方形の紙切れを差し出してきた。伝票という割に但書も金額も記されておらず、ただ署名と何やら印が押されているだけのものだ。


 それを受け取ってサラはすぐに踵を返す。


 男の言う「倉庫」は広場の反対側にある白亜の建物のことだ。教会や修道院と同じようにかなりの歴史を誇り、建造は1531年のことであるという。


 元がそう大きい土地でないこともあり、広場を横切るにはさして時間もかからない。後期ゴシック様式の倉庫の入り口で先ほどの伝票を示すと、巨漢の用心棒バウンサーは何も言わずにサラを通した。


 庫内は石積みの壁に樺材の床と梁という、装飾よりも実用性が重視された造りだった。古い建物としては良くも悪くも個性に乏しいスタイルだが、特筆すべきなのはその狭さだ。


 倉庫の中は外観から想像できるほど広くはない。外側からは分かりにくいが内部は5階建ての構造になっており、天井が低いこともあって圧迫感に拍車がかかっているのだろう。


 ここは大昔には交易品の塩の貯蔵庫として使われていた建物らしい。それが「製塩所ソルニーツェ」という愛称の由来にもなっているという話だが、その面影は既になく――木製の架台に積まれているのは山のような武器弾薬だ。


 階段を上ってみるがどのフロアも同じような殺風景で、目につくのはアサルトライフルにスナイパーライフルに軽機関銃といった銃火器の類ばかりだった。最上階まで上ってきてようやく、洒落たインテリアが目に入る。


 急な勾配の付いた屋根のせいで下の階よりも狭苦しく感じたが、空間の中央にはそんなことなど気にも留めていないかのように重厚な机が鎮座していた。


 少しだけ足音を強めにして近づくと、そこで書き物をしていた人物が顔を上げる。一目で分かるほど恰幅の良い女性。目元には皺が目立ち始めているが活力は失っておらず、五十代前半の働き盛りという雰囲気だった。


「おや、これまた久しいお客さんだ。よく来たねサラ嬢、グローリアの“弾薬庫”に何か用かい?」


 力強い声で女性は言う。

 彼女はマルツェラ・クヴェルコヴァー。グローリアの流通網の拠点、通称“弾薬庫”の南ボヘミア支部長を務める人物だ。


「いつ来てもあまり趣味が良いとは言えないな、ここは。史跡を買い叩いて何をするのかと思ったが……もう少しマシな使い方はなかったのか?」


「何言ってるんだい、金に困った行政が売りに出したのを『買ってやった』んでしょうが。アタシたち“弾薬庫”の人間が元のかたちのままで管理してるんだから、むしろ感謝されるべきさね」


 と、マルツェラは快活に笑った。

 彼女の言う“弾薬庫”は、追跡可能性を極限まで抑えた幽霊銃ゴースト・ガンの流通を司る集団だ。主な業務は世界中からこの手の武器を仕入れ、ラムダ銃砲店のような小売店に卸すこと。


 このような集団は各地に点在していて、そのうちチェコ共和国南部を統括しているのがこの「倉庫ソルニーツェ」だった。


 確かこの建物は塩の貯蔵庫になる前は武器庫として使われた時代もあるらしい。そういう意味ではあながち間違った使い方ではないのかもしれないが、行政は犯罪組織の根城になるとは思いもしなかっただろうに。


 不幸中の幸いなのはグローリアがそこらのならず者と毛色の違う組織だということだが……何にせよ、そういうことを考えるのは別の誰かの仕事だ。

 サラは自分の仕事に話を戻す。


「いくつか仕入れたいものがある。今回は少しばかり急ぎだ」


「仕事なんだろう、養蜂家うちの人から聞いてるよ。アンタが好きそうな物をいくつか見繕っといたから、一通り見ていきな」


「ご親切に。今日はあれこれ目移りしないで済みそうだな」


「相変わらずだねぇサラ嬢。普通アンタくらいの歳の娘は、銃なんかより別のものに目移りするもんだけど」


 机の傍に積まれた大小一つずつのガンケースを手に取るサラに、マルツェラはそう語りかけた。彼女とは会う度にこうだ。お節介は五十女のさがなのかもしれないが、いい加減にうんざりしてくる。


「服も化粧品も人並みには揃えてるよ。今日は急ぎだったから選ぶ暇がなかっただけで……とにかく、いつも言ってるが余計なお世話だ」


「そうかいそうかい、そりゃ悪かったね。まあ行き遅れたと思ったら相談なさいな。いい男の一人くらい紹介してやるからさ」


「…………」


 彼女の言葉を意識からシャットアウトして、サラはケースを開く。


 納められていたのは散弾銃と拳銃がそれぞれ一挺。まず散弾銃を手に取ると、ようやくお節介の舌鋒を収めたマルツェラが口を挟んできた。


「べネリM4、イタリア銃の傑作だ。そいつは18.5インチモデルがベースのエージェンシー・アームズ製コンプリートガンに、うちのガンスミスが手を加えた個体だね。ボルトキャリアはDLCコート、マガジンチューブは延長されて3インチマグナムを最大9発まで装填できる」


 流暢な解説を聞きながら可動部をチェックする。

 ダイアモンドライクカーボンDLC――ダイヤモンドとグラファイトの性質を併せ持つ炭素を主成分とした物質――によってコーティングされたボルトは一切の引っ掛かりを排しており、元来の完成度の高い設計も相まって給弾不良とは無縁の存在に思えた。


 特徴的なマガジンチューブは八角形の形状を持つものに変更され、ハンドガードもブラックカラーのM-LOCに換装されている。更にチタンセラミックコートを施されたのか銃身と機関部は銀灰色に染められており、機能美の塊のような確かな存在感を放っていた。


「そのガンスミスはよくこんな物を作ろうと思ったな。仮に売れても利益は出ないだろう」


「さてね、それが職人気質ってやつなんでしょ。それに、いくら値が張っても物が良ければ買い手は付く。アンタみたいに道具にこだわる奴が大勢いるからね」


「つまるところ、暗殺者はいい金蔓ってことか」


「アタシらにとっては何でもそうさ。食い繋ぐための商売なんだから、きっちり儲けさせてもらってるのよ。それで、拳銃の方は見なくていいのかい?」


 彼女に促されてサラはガンケースに視線を戻す。

 こちらはシグ・ザウエルP320。普段から愛用しているセカンダリと同じモデルだが、ここにあるものは随分手が加えられているようだ。


「ウィルソン・コンバット製のフルカスタマイズ、WCP320だ。一流の工房が組み上げたものだから、性能はお墨付きだよ」


 そんな真新しい拳銃を手に取り、スライドを引く。


 こちらもレシーバーにはDLCコートが施されているようで、動作は精密かつ滑らかだ。フルサイズよりも一回り小柄でサブコンパクトに近いサイズ感だが、精巧なチェッカリングのお陰かトラクションは引けを取らない。


「ふん……まあいい、今回は黙って金蔓になってやろう」


「お眼鏡にかなったみたいで良かったよ。今日は車じゃないんだろう? あとで若い衆にアンタの店まで届けさせるから、今日はこのまま帰んな」


 豪放に言って、マルツェラはまた書き物を始める。角度的に詳しい内容までは見えないが、どうやら納品書と有高帳と睨めっこをしているようだった。


 もしかすると割と忙しい時間に来てしまったのかもしれない。そもそも今日は休日ではないのだ。平日の昼間、それも雨天の下をほっつき歩いているサラの方がおかしいともいえる。


 そんな彼女を再び邪魔をするのは悪い気がして、サラは声をかけるのを躊躇っていたが……しかし、肝心の支払いが済んでいない。


 一応この仕事の必要経費はレーヴァンが負担するという言質は取っているが、その旨を伝えなければ請求はサラ宛に来るだろう。あとから立替えさせてもいいが二度手間だ。


 話しかけてもいいものか逡巡していると、そんな気配を感じ取ったのか“弾薬庫”の主は手を止めることなく口を開いた。


「ああそれと、代金は首領に直接請求していいんだってね。あの嬢ちゃんと仲良くしてるみたいじゃないか、サラ嬢」


「ああ……まあ、それもそろそろお終いかもしれないが。いい加減に身の振り方を考える頃合だ」


「足を洗うってことかい? そりゃ寂しくなるね」


「せいせいするの間違いじゃないのか。この世界は他人の成功が妬ましくて仕方がない奴の集まりだろう。……そういうことが似合わない人間もいるというだけの話だ」


「それはアンタ自身? それとも、アンタんとこの少年のことかな?」


 サラは緩慢に目を伏せる。単なるお節介焼きかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。自分より二十年以上長く生きている女の懐の深さを確かに感じた。


「分かるよ、アタシだって子持ちの母親なんだから。子供のためなら自分の生き方だって変えられる……それが母性ってやつさ。血の繋がりがあろうがなかろうが、きっと変わらないもんさね」


「私はあいつの母親じゃない。ただ自分で迷ったから辞める、それだけの話だ」


「ふふ、そうかい。じゃあ何にしたって五体満足で帰ってくることだね。アンタが怪我でもしたらその子が悲しむんだろう?」


「っ……」


 サラは思わず踵を返し、大股でその場から去ろうとしていた。

 片時も目を合わせてはいないのに、心の内を隅々まで見透かされているような感覚だった。これ以上は御免だ。自分でも気付いていない心裡まで丸裸にされるのは。


 どうしてレーヴァンといいこの女といい、グローリアの人間は寄ってたかって心に波風を立てに来るのか。


「楽しい狩りを。ミス・ストラップクイーン」


 背中に投げ掛けられる言葉には生暖かい気遣いが滲んでいる。

 何か皮肉の一つでも返してやろうと足を止めてみるが、散らかった思考の糸は上手いことまとまらない。


 結局何も返せないまま、サラは白亜の倉庫から逃げ出すしかなかった。


   §

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る