第11話

 世界有数の犯罪ネットワークであるグローリアにも表社会での顔がある。法を破る者への需要が生まれるのは常に社会の表側であり、その需要をかき集めるためには裏側を牛耳るだけでは足りないのだ。


 金融、貿易、不動産取引等々――その業種は総合商社もかくやというほどに多彩だが、中でも首魁たるレーヴァンのお気に入りはホテル事業らしい。世界中の大都市に展開した一流ホテルをグローリアの支部とし、殺し屋たちがそこを一時の拠点とする。宿泊業は隠れ蓑として何かと便利なのだとか。


 東欧ベラルーシの第二都市、ホメリの一等地に建つシルヴァースター・パレス・ベルロシアもその一つである。普段は殺し屋たちが束の間の安息を得られる楽園。あからさまに不機嫌な雰囲気を纏っているのは、長く美しい銀髪の女、サラ・サブノックただ一人だった。


「どうやらブリャンスクの『鷲』はおとぎ話じゃないようだ。あの子供、そこらの兵士とは比べ物にならない腕だった」


「そうらしいな。どっちかといえばこいつは鷲というより狂犬っつー感じだが」


 モーガンから送られてきた録画を見ながらレーヴァンが言う。いつも通りの皺一つない白スーツとは対照的に、その眉間には深い皺が寄っていた。


「ま、うちの腕自慢共を片っ端から殺して回るような連中だしな。もとから鳥よりも犬か狼に近い奴らだろうとは思ってたんだが。それにしてもサラ、お前は少年ショタに好かれるフェロモンでも出してんのか?」


「冗談じゃない。あんな奴に付きまとわれたら命がいくつあっても足りん」


 ロックグラスを口元に寄せながら答える。


 彼のせいで愛車が一台犠牲になっているのだ。その上――あくまで容姿から推測すればだが――年端もいかない子供だというのだから余計にたちが悪い。これで後腐れが残らないように手っ取り早く処理する方法は封じられてしまった。


 一つ舌打ちしてグラスを傾ける。明るく澄んだ黄金色の液体が舌に触れ、喉を灼いた。円熟した花のような香りと、甘みと苦みの中に確かなスパイスを感じる味わい。ハイランドパーク18年、ヴァイキング・プライド。自棄酒に供するには少し贅沢な代物だ。


 そんなサラを見て軽く眉間を揉みながら、レーヴァンが口を開いた。


「そうかい。あんたがそういうならとんでもねぇ凄腕なんだろうさ。とりあえずその憂さ晴らしは酒以外のものでやってもらうとして、目下の課題は……」


「事態の揉み消しか?」


「その通り。ブリャンスクの関係国は軒並みグローリアが押さえてるから情報が流れても大したことはないが、肝心のブリャンスク本国には記録が残る。潜り込ませた工作員も今は当てにならんし、はてさてどうしたことやら」


 彼女は芝居じみた所作で肩をすくめる。言外に何かを伝えたいのかもしれないが、それを汲み取れるほどサラはこの女のことを理解しているわけではかった。


「悪いが私は消えてやれないぞ。生憎とお前らに義理立てする理由が見当たらん」


「それくらい分かってるよ。そもそも後始末はウチの仕事だ。それにお前以外に『鷲』の連中と正面切って戦えるような奴を知らんからな」


 盛大に息を吐いて、今度はレーヴァンがグラスを呷る。銘柄は同じだがサラとは違ってストレートだ。43度のウイスキーを一気に受け入れるその肝臓のタフネスには敬服するが、長生きはできそうにない飲み方だった。


(それにしても「鷲」とはな……。大層な渾名を付けたものだ)


 チェイサーを含みつつ、アルコールが入ってもやがかかり始めた頭を回す。


 なぜ鷹でも隼でもなく鷲なのか。そもそも彼らは何者なのか。

 その真相の、少なくとも一端を掴んだのであろう工作員は消されてしまった。モーガンにも方々探りを入れさせているし、もちろんレーヴァンも手を尽くしていることだろう。しかし外から探りを入れるしかない以上、成果が出るのはもう少し先になりそうだった。


「それで、これからどうするんだ。情報が手に入るまで様子見か?」


「んな悠長なことしてる場合かよ、これはグローリアの戦争なんだ。清廉なクソ野郎共でポストが埋まる前にコネを作らないと揉み消しもできん。指先のことも気にはなるが、カシラをぶっ潰すほうが効果的でもあるしな」


「熟慮はビジネスの基本だろう。行動を急ぐと足元を掬われるぞ」


「自分の店の帳簿ちょろまかしてる店長殿には言われたくないな。時には果断も大切なのさ」


 ぐうの音も出せないサラが沈黙すると、レーヴァンはにんまりと口角を釣り上げた。お手本のようなしたり顔。ここがラウンジでなければ頬の一つでも張ってやりたいところだ。


「別に足元見てるわけじゃないし、それなりに貯め込んでるのも知ってる。だが金はいくらあっても困らないはずだ。お前は店のために金が欲しい、一方の私は邪魔な奴に消えてもらいたい。ギブ・アンド・テイク。すべての基本だろ?」


「そこの鞄を奪い取って売り払った方がよほど金になると思うんだがな。モーガンに言わせれば1億5000万ドルは下らないという話だが」


 足元に落とした視線の先には牛革の鞄が置かれている。セルゲイ・スピリドノヴィチ・グリエフ技師から奪い取った、可変サイクルエンジンとやらの設計資料が収められた鞄だ。激しい格闘の中で傷付けられ、恐らく中身も多少やられているにもかかわらず、レーヴァンは満足げにそれを受け取っていた。


「やめとけやめとけ、こいつは素人の手に負える物じゃない。あたしみたいなその道のプロが扱わないと買い叩かれるのがオチだ」


 もっと相応しい仕事はこっちにある、と言って彼女は愛用のロンシャンに手を突っ込む。舌の根の乾かぬ内に次から次。さして珍しくもない、いつもの流れだ。グローリアと国家間のパワーバランスに少しでも掠った仕事なら尚更に。


「次は誰なんだ」とサラが問うと、レーヴァンはお決まりの茶封筒をバーカウンターに滑らせた。今時珍しい黒檀の一枚板を滑ってきたそれは、グラスに軽く衝突して止まる。結露の雫が厚紙に小さな染みを作った。


 サラはその中から写真を引っ張り出す。国旗を背景に白い歯を見せて笑う典型的な高級官僚のポートレート。映る男は髪にこそ白いものが混じり始めているが、顔そのものは若々しい。肩幅も広くがっしりとしていて、40代なのか50代なのか見た目だけでは判断がつかないような風貌だった。


「アルテム・セルゲーエヴィチ・サヴァチェーエフ。肩書きはブリャンスク民主共和国内務省警察総局長官、要するに警察の偉いさんだ。そして恐らく『鷲』どもの飼い主でもある」


「耳寄りな話だな。連中に関する情報は一切ないとばかり思っていたんだが」


「あくまで推測さ。元々あのガキとは別件の仕事だったんだが、奴さんの職責と能力を考えると私兵なんかを抱えててもおかしくはない」


「一官僚が私兵とは、曲がりなりにも欧米寄りにしては信じられん。それに、あの腕で傭兵というのも眉唾だな。正規軍やら諜報機関の特殊作戦部隊の可能性も……」


「後詰を用意しないなんて判断を正規軍がするか? おまけに諜報機関も治安当局も未完成なんだ。どこぞの豪傑が雇い入れたか、あるいは育て上げた私兵とでも考えたほうが辻褄が合うってもんだろ」


 自信に満ちた声で言われると、状況証拠と推測ばかりでもそれなりに説得力を持つのだから不思議だ。この女はそうやって大勢の人間を欺いてきたのだろう。

 見習うべきとは思わないが、自分には一生かけても身に付けられそうにない話術だと、サラは認めざるを得なかった。


 いずれにせよ、この鷲たちを黙らせなければサラは枕を高くして眠ることができない。ついでにグローリアも地盤を固めることができないというだろう。


 レーヴァンの言う「清廉なクソ野郎共」の一角をサヴァチェーエフとやらが占めているということは、聞かずとも理解できた。この男の首を挿げ替えることができれば、グローリアの侵食を撥ね除ける者はいなくなるということだ。


「薄々察してるだろうが今回の依頼人はグローリアだ。報酬はいつも通り10万米ドル、他に必要経費があれば特別にあたしが出してやろう」


「身に余る温情だな、搾れるだけ搾り取ってやる。期限はいつまでだ?」


「政府筋がマスコミにリークした情報じゃ、年明け頃に大規模な人事を控えてるって話だ。サヴァチェーエフを引きずり降ろした後は人事案の修正もさせにゃならんから、待てても2か月ってとこだな」


 十分だ、とサラは首肯する。そもそもNOと言ったところでおとなしく引き下がる女ではないのだから、そうする以外にないのだが。


 つくづくこの女に気に入られると碌なことがない。過去にも同じように気に入られた先達がいたようだが、長く生き延びることができた者はほんの僅か――あるいは一人としていないということを風の噂で聞いたことがあった。縁起でもない話だ。


 だが、今回のような契約をさせられるとそんな噂が立つのも仕方がないように思えた。編成も実力も判然としない捕食者たちの巣に直接乗り込めというのだ。生半可な腕の者には死刑宣告に等しい。もちろんそんな人間に斡旋されることはないのだろうが、それにしても過酷な、悪く言えば杜撰で短絡的な依頼だった。


 そんなサラの仏頂面を覗き込んで、レーヴァンは言う。


「なぁサラ、ずっと思ってたんだが、なんだって毎回10万米ドルなんだ? 今回のは1,000万まで出せる用意があるし、今までの仕事も他の奴なら数百万は取ってるぞ」


 今更聞くか、と口を衝いて出そうになった言葉を飲み込む。「大した理由があるわけでもないんだが……」と考えるふりをしつつ、氷が融けてだいぶ薄まったウイスキーを喉に流し込んだ。その間もレーヴァンはじっと耳を傾けている。小さく溜め息を一つ。何か言わなければ帰してはくれなさそうな雰囲気だった。


「私は別に一攫千金を狙ってるわけじゃない。そのうち引退でもした後に、一人二人養っていけるだけの金が手元にあればそれでいい。そもそも、命に優先順位はあっても金銭的な価値は計れないだろう」


 好きでこの稼業を続けてるわけでもないからな、とも付け加える。


 色々と迷走した挙句殺し屋稼業に身をやつす前には公僕だったこともあるのだ。自分は正義の味方であると信じて疑わなかったあの頃の青臭さが、今となっては苦々しくも愛おしい。そういう真っ当な人生に未練が無いというば嘘になる。

 要するに、サラは未だ社会の裏側に染まりきれていないというだけの話だった。


「謙虚っつーかなんつーか……まあ、お前がそれでいいってんなら何も言わないが……。ただ、今回はちっとばかし色を付けさせてもらうぞ。不当に安い報酬だと他の奴らに示しがつかん」


 これ以上薄くなる前にとロックグラスを空けたサラの前に、何やらキーホルダーのような物が差し出される。黒を基調に銀色の装飾が入ったそれには、水色と白のチェッカーが印象的なロゴがあしらわれていた。見紛うことなくBMWのスマートキーだ。


「何のつもりだ?」


「報酬金の埋め合わせには程遠いが、お前が気に入りそうなのを一台用立てておいた。安心しろ、ディーラーは『こっち側』の人間だし、ここ運ばせるまで部外者の手には触れてない。工場の奴は流石に見逃してもらいたいけどな」


「いらん。お前から受け取る車なんて御免だ。車種もディーラーも自分で選ぶ」


「そう悲しいこと言うなよ。それにお前、ここで受け取らないでどうやって家まで帰る気だ? この状況で飛行機とか鉄道なんかの密室は危険極まりないと思うんだが」


「……交通手段くらい、考えれば他にも何かあるだろう」


「今回のはただの車じゃないんだぞ。金を出したのはあたしらだが、選んだのはお前んとこの愛しのモーガン少年だ。受け取らないってのは冷たすぎると思うんだが?」


「…………」


 今度は大きく聞こえよがしに息を吐く。毎回毎回、この女とは言葉を交わす度に上手く乗せられている気がする。とはいえ帰りの足を失っているのは確かだ。言い返してみたはいいものの、自分で運転するより安全な手段は見当たらなかった。


 これは緊急避難である。決して、目を輝かせながら贈り物を選ぶ少年を空想して勝手に絆されたというわけではない。


 それ以上何も言わずに茶封筒とキーを手に取って、サラはラウンジを後にした。


   §


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