戦争犯罪

第4話

 モーガンは基本的に他人を自分の部屋に入れたがらない。

 誰に対してもそうなのかは分からないが、少なくともサラはこの部屋に歓迎されたことなど一度もなかった。


 サラもサラでパソコンはじめ電子機器が所狭しと並ぶこの部屋に入るのは気が進まなかったので、これは適切な線引きなのだと勝手に思っている。


 それゆえ、彼女がモーガンのベッドを椅子代わりに腰かけているというこの光景は、そう頻繁に見られるものではない。殺しの仕事に出る前のブリーフィングが、ほぼ唯一の機会だった。


「それで、お前の諜報活動エスピオナージとやらは少しくらい成果が挙がったのか? レーヴァンが持ち込んできてから一週間は経つが」


 でなければこんなところに呼び出すな。そんな言外の意味を含ませた台詞に、少年は軽く頷く。


「ええ、依頼の裏が取れたので報告しようかと。ちょうどお店も休みでしたし」


 言いつつ、モーガンはプロジェクターの電源を入れた。白い壁紙が即席のスクリーンに変わり、部屋の雰囲気は寝室からブリーフィングルームへと一変する。


「今回の依頼、表向きはイスラム過激派と関係を持ったチェコ人三名の抹殺ということでした。放っておくと早晩テロに関わる可能性が高い、と」


 サラは差し出されたクリップボードを受け取る。挟まれているのは三人分の顔写真と経歴だった。今回のターゲットだろう。パラパラと斜め読みして――ふと手を止める。男が二人と、女が一人。その女の存在に、強烈な違和感があった。


「モーガン、依頼は確かに過激派の抹殺なんだな?」


「はい。少なくとも、店長のご友人が持ってきた資料にはそう書いてありました」


「この女はどうみてもムスリムには見えないな。ヒジャブを着用しないとは原理主義者らしくない」


 同じようなことを考えていたのか、少年は我が意を得たりといった風に頷く。


「そこが気になって調べてみたんです。そうしたら、興味深いことが分かりました。2022年頃の東ヨーロッパ情勢は覚えていますよね?」


「紛争の只中だったな。それと何か関係があるのか?」


「今回の標的ターゲット三人なんですが、全員が何かの形でその紛争に関わっていたようです。義勇兵とか赤十字の医療職員とか、そんな感じで」


「ほう……」


 少し頭を働かせてみる。


 レーヴァンはチェコ政府からの依頼だと言っていた。すなわち、政府が自国民の死を望んでいる。凄惨な戦場と、自ら望んで死地に赴いた兵士に医者。点と点を繋げて考えると、依頼人の腹の底が薄々読めてきた。


「なるほど、戦争犯罪か」


「その通りです。戦傷者への虐待に民間人の殺害エトセトラ……三人が三人とも法で裁かれるべき犯罪者。イスラム過激派の肩書は完全な濡れ衣カバーストーリーでした。一応中東圏への渡航歴はありますが、いずれも観光目的でしかありません」


「つまり外交問題を火種のうちに揉み消してしまおうという腹積もりだな。なり振り構っていられないのは分かるが、随分と短絡的だ」


 国益と体面のために自国民を抹殺する。粛清の外部委託アウトソーシング

 善良な国民で組織される軍や警察を使おうとしないあたりには欠片の理性が感じられるが、それでも真っ当な政府機関の所業だとは思えない。


「ことはチェコだけの問題じゃないんですよ。支援していた陣営で戦争犯罪が発覚すれば、NATOの信用は地に墜ちる。だから告発される前に消してしまいたい。そんなところでしょう」


「それなら最初から戦犯などさせるなという話だが」


 吐き捨てるように言って、椅子代わりに腰かけていたベッドから立ち上がる。「他に何か情報は?」とモーガンに問うと、そのなよやかな指は再びマウスを走らせた。


「あとは……特にないですね。ただ、国際刑事裁判所ICCの検察局が戦争犯罪について内偵を進めているみたいです。三人が目を付けられる前に始末しないと、手遅れになりかねません」


「なら今夜中に片を付けてしまおう。厄介払いは早い方がいい」


「一晩で三人全員ですか? また徹夜になりますよ」


「国連にまで目をつけられたら今度は私たちが追われる身だ。余計な面倒は増やしたくないからな」


「そう……ですか。分かりました、準備しておきます」


 モーガンは抑えた声でそう返す。しかし、その射干玉の瞳は確かに揺れた。

 自分が集めてきた情報で、他人の命が消える。れっきとした犯罪行為の片棒を担ぐ。彼のような生真面目な人間なら、罪悪感で圧し潰されそうになるのだろう。


 サラはそれを咎めることもしなければ、無責任に励ますこともしなかった。逃れられない罪悪感に少年を縛り付けているのは、他でもない自分自身なのだ。そうする資格が自分に無いことはよく分かっている。


 黙って少年の傍を離れ、窓にかかっていた遮光カーテンを開け放つ。眩く差し込む西日がプロジェクターの映像をかき消した。


 眼下に見える旧市街は未だ活気に満ち満ちている。週の真ん中に定休日を置く風変わりな銃砲店のことなど目に入らない様子で、人々は通りを行き交う。


 自分たちの政府が国益のために同胞を殺そうとしている――。そんな事実を知らずに、彼らは人生を終えてゆくのだろう。それがどれだけ幸せなことであるのか、人々が知ることはない。


 今のサラには、さほど高くない建物の二階から眺める街並みが、不思議と遥か遠い景色のように感じられた。


   §


 夜。


 チェスケー・ブジェヨヴィツェ旧市街は狭隘きょうあいで、家一軒の面積は決して広くはない。よって扉一枚を隔てて店舗と繋がるバックヤードは、これで倉庫の役割を果たせているのが不思議なほどの過密状態だった。そんな場所を簡易の武器庫としても使っているのだから、狭苦しさは一入ひとしおだ。


「そっちの首尾はどうだ」


 9x19mmパラベラム弾――厳密には9mmNATO弾が詰まった弾倉を、マガジンポーチに押し込みながら話す。はたからは独り言にしか見えない絵面だろうが、喉元のスロートマイクは確実にその声を拾っていた。


『上々です店長。追跡トラッキングは完璧ですよ』


 左耳に挿したエアチューブ式のイヤホンからはそんな言葉が返ってくる。暗号化と解読を繰り返してどこか金属的な響きになっているが、聞き間違いようもなくモーガンの声だ。


『ターゲットは全員潜伏先に戻りました。今頃はきっと寝支度の真っ最中でしょう』


「宵の口から熟睡してくれるような連中だったら、仕事も少しはやりやすいんだがな。ところでモーガン、ひとつ訊いていいか」


 という声のあとには、ただ沈黙が残される。それが返事代わりの無言の容認だと気付いたのは、たっぷり5秒は経ってからだった。


「お前、標的の追跡には何を使ってる。発信機なら回収が手間だが……」


『まさか。そんな古い手は使いませんよ、見つかると面倒なんですから』


「ならどうやって?」


『世の中は監視社会ですからね、カメラなんて世界中に溢れてる。その気になれば人間の一挙手一投足を覗き見るのは造作もないことですよ』


「……変態的だな」


『褒め言葉ですね』


 世界に名だたる大国がこぞって腕の良いクラッカーを求める理由。それが少し理解できた気がする。


 その点、モーガンのような有望株を子飼いにできるのは確かなアドバンテージなのだが……。まさか店主のプライベートまで覗いてないだろうな、という割と真っ当な心配も同時に噴出してきた。あの少年もそろそろそういう年頃なのだ。


(帰ったら部屋の大掃除でもしてみるか……)


 色々なものがない交ぜになった感情を追い払うようにかぶりを振り、壁のガンラックに手を伸ばす。


 取り出したのは2挺の拳銃。P226 LEGIONを右腰のヒップホルスターに突っ込み、バックアップのP229は左手でドロウできるように収める。そしてそれらを覆い隠すように、黒いスーツのジャケットを羽織った。


 今夜の標的は三人だ。それぞれアルファブラヴォーチャーリーと呼び分けているその三人は、同じ戦争犯罪人とはいえそれぞれ違う背景を持っていた。


 アルファ――ミロシュ・スレザークは、かつて「ハルツィスクの死神」の異名を取る狙撃手であったという。しかし、武器を持たない民間人を戦闘員と誤認し射殺したことが、今になって問題となっていた。


 ブラヴォー――エレノア・ブラフトヴァは東部戦線後方の赤十字社医療施設で戦傷者救護に当たっていたが、そこで重傷を負った兵士数名を殺害した嫌疑がかけられている。


 そしてチャーリー――グスタフ・アードラーは、各国からの義勇兵で組織された外国人部隊で教官を務めた歴戦の勇士だ。しかしその教育は苛烈を極め、相次ぐ脱柵者のみならず多数の自殺者をも出したという話だった。実際に戦争犯罪と認定されるかは不明瞭だが、万が一にも外交の汚点とならないよう先んじて消せという依頼である。


 サラは軽く溜め息を吐く。


 リストに並んだこの三人が抹殺されなければいけないのなら、彼らより遥かに罪深い殺人を繰り返してきた自分自身はどうなるのか。グローリアの仲介のお陰で依頼人にこちらの素性が知られることはないとはいえ、時々背筋には冷たいものが走る。


 それでも依頼である以上はやるしかないのだ。こんな稼業を続けているのだから、いつか報いを受けても文句は言えないだろう。


 無機質なコンクリートの階段を上り、店舗に繋がる扉とは反対側の通用口を押し開ける。そこにあるのはこれまた狭苦しいガレージだった。


 棲みついているのは大柄な四輪駆動車、トヨタ・ランドクルーザー。3.3リットルの大排気量ディーゼルエンジンで躍動する極東の怪物だ。


 その巨体は巣穴の中で冬の終わりを待つ熊のように、この閉塞感溢れる空間に収まっていた。もっとも今は雪降る季節ではなく晩夏なのだが。


 本革のシートに身を沈ませ、エンジンスタートスイッチを押し込む。悲しいほどに淡白な動作。イグニッションキーを捻る感触が恋しくないといえば嘘になるが、昨今のトレンドなのかシリンダーレスは増えつつあった。


 それでもディーゼルエンジンの生み出す重低音と振動は変わらずここにある。

 願わくはこの感覚だけは死ぬまで変わらないことを。この類稀なるヘビーデューティーが電気推進の淑やかな走りに支配されるなど、考えるだけで恐ろしい。


 主への祈りもそこそこにアクセルを踏む。ディーゼルエンジンの太いトルクが、巨躯の怪物をガレージから解き放った。


 だが、今夜狩りに興じるのはこの車ではない。血にかつえているのは常に人間の方だ。それゆえ「怪物」という言葉もきっと、常に人間のためにあるのだろう。


 一晩で三人を殺そうなどという、シリアルキラーじみた人間のために。


   §

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