第2話
年季の入ったドアを開けば、昊天の日差しは我先にと飛び込んでくる。
相変わらずの眩しさにサラは目をすがめた。耐えられないほどではないが、ここ数年の間に中欧でも夏の暑さが厳しくなってきている。今日も気温は30度を超えることだろう。
(なるほど、代議士が別荘を欲しがるわけだ……)
嘆息しつつ、傍らの鉄塊――もとい立て看板に手を伸ばす。ところどころに錆の浮いたそれには、「ラムダ銃砲店」の文字が刻まれている。サラがアメリカからチェコに渡ったばかりの頃に、
大きく重い鋳鉄の塊を持ち上げ、敷居の段差を跨いで外に出す。
小さめの酒樽ほどの重量を支えるのはさすがに骨が折れた。なるべくそっと下ろしたつもりでも、古びた回転式看板は年若い店主の言うことを聞いてくれない。
ガタン、と派手な音をたてて看板は石畳に足をつけた。
石畳。この辺りを歩くのはもっぱら日用品を買い求める地元の人間だというのに、路面は天然石の石張りで舗装されていた。景観保護に金をかけ過ぎではないかとしばしば思うのだが、それだけこの街の文化的価値を貴重に思う人間は多いのだろう。
ここ
そんな旧市街の中心、オタカル2世広場に繋がる大通りから小道に逸れたここらでは観光客もまばらだが、それでも建物はみな一様に古めかしい意匠を纏っている。もちろん、サラが切り盛りするこのラムダ銃砲店も同じく。
昼に差し掛かり少しずつ強くなってきた日差しに背を向け、ドアに吊るされた小板を
内装までクラシック調に統一された店内には、換気したばかりだというのにうっすらと火薬の臭いが漂っていた。もちろん店の中で発砲したわけではない。箱売りの実包から漏れ出した臭いが建材に染み付いているのだろう。
新しい製品ならそんなことはありえないのだが、この店では骨董品と言っても過言ではない古い実包も取り扱っている。
そんな店の片隅、レジ横にあるショーケースの奥で小さな人影がもぞもぞと動く。扉を閉めた拍子にベルが鳴ると、それはさながら小動物のように顔を上げた。
日本犬の仔――何度も見てきた顔だが、その少年からはいつもそういう印象を受ける。
それぞれのパーツがやや丸みを帯びた、あどけなさを残しながらも端正な顔立ち。
「そろそろ済んだか、モーガン」
「はい、一通りは。カタログも新しく届いた方に入れ替えておきました」
少年ことモーガン・ケン・シラフジはそう言って、大量に余った古い冊子の束をカウンターの奥から引っ張り出す。彼は店長であるサラを除けばこの店唯一の従業員であり、そして訳ありの同居人でもあった。
「レジの中身も変わりはありません。古いカタログはバックヤードでいいですか?」
「ああ、任せる」
そう答えると、モーガンは紐でくくった束を持ち上げた。バックヤードへと向かうその足取りは軽やかではない。両腕で何とか持ち上げて、よたよたと歩いてゆく。
余りが多く出ているとはいえ、一つ一つはそう厚くない冊子の束だ。サラにしてみれば大した荷物でもない。しかし、不安になるほど線の細い身体には重荷に感じられるのだろう。
「大丈夫か?」
「は、はい……。このくらいならまだ余裕です」
「無理はするなよ。唯一の従業員にいなくなられると困る」
「分かってますよ……」
見るに見かねて手を貸そうかと思うこともしばしばではあるのだが、そこはやはり思春期の少年。毎回あまり良い顔はされないので、サラはなるべく手を出さないことに決めていた。
店の奥へと消えるモーガンを見送り、サラはレジが置かれたカウンターの裏に腰かける。気まぐれに思い立って傍らにあるラジオを灯した。
年代物の真空管ラジオだが、使い古されているのはこれだけではない。
古めかしいレジスターに、時代に取り残されたような内装。所狭しと並ぶ銃火器が無ければ、風情のある雑貨屋としても通りそうな店だ。実際、扱っている銃もレトロな元折れ式散弾銃が多かった。
内装に合わせて商品とメーカーを選んでいる、という事情もあるのだが、この商品のピックアップにはサラの意思も多分に混ざっている。
報酬を得るための薄汚い殺しに使う、樹脂と黒染めの金属でできた武器から
(それなら、殺し屋なんてさっさと廃業すればいいことなんだがな……)
そう理解してはいるし、今までこなしてきた依頼の中でそれなりの資産も築けている。辞めよう思えば辞められないものでもない。
だが、次から次に舞い込む依頼を断り続けてまで足を洗う覚悟も、同業者から向けられる羨望と嫉妬に背を向ける勇気もない。結局いまに至ってなお、サラの中で心は決まらずにいた。
ようやく温まり始めたラジオが音を出し始める。馴染みの局のラジオニュース。普段は他愛ない地元の話題と天気予報がメインの内容だ。しかし、今日は少し様子が違っていた。
『――お伝えしていますように本日午前6時頃、国家民主党のアルフレッド・ベルガー下院議員が自身の所有する邸宅にて射殺体となって発見され――』
物騒なニュースだった。
朝早くから何度も同じ原稿を読んでいるのか、読み手の声に緊張は感じ取れない。しかし、サラの背筋は一瞬固まった。
「意外とあっさりバレましたね。あれだけ山深いんだから、もう少し時間がかかると思ってましたけど」
と、サラの胸の内を代弁したのは、バックヤードから戻っていたモーガンだった。額にうっすらと浮かんだ汗を、ハンドタオルで拭っている。
「何かと話題に事欠かない奴だったからな。連絡が途絶えたらすぐ確認に向かう手筈だったんだろう」
「そんな場所から無事に逃げられたのはよかったですけど、いくら危険因子とはいえ政治家を銃で消すとは。民主主義も来るところまで来ましたね」
「私に言うなよ。別に誰かの主義主張のために請けた仕事じゃない」
「そうですか……。まぁそれはともかく、あなたの存在がバレるようなものは残してきてませんよね。髪の毛一本でも落ちてたら事ですよ?」
彼はいくらか心配そうな声色でサラに尋ねる。「仕事」が終わって帰ってきた次の日には、必ずと言っていいほど繰り返される問答だ。何度も何度も、飽くることなく。
だから、その問いに対する返しも最早パターンだった。
「“組合”の奴らは警察にも紛れ込んでるんだ。何か残っていたとしてもこっちまでは来ないだろう」
「ならいいんですけど……」
まだ何か言いたげだった少年は、しかし言葉を飲み込んで自分の仕事に戻った。ラップトップPCを取り出し、なにやらキーボードを叩き始める。
世間一般ではまだ子供といわれる歳のはずだが、モーガンは本当によく働く。決して高くない給料でここまで働けるのは、やはり東洋の血がなせる業なのだろうか。それとも単に店長が怠惰なだけなのか。
さすがに年下がここまでしっかり働いているところを見せつけられると、サラもあまりのんびりとはしていられない。さて何から始めるか……と重い腰を上げたそのとき、モーガンがパソコンの画面から視線を外した。
「通販の方でいくつか注文が入ってますよ。それと“組合”からの催促も」
「……連中、何と言ってきてる?」
「昨夜の仕事の成果報告を急ぐように、と」
サラは大きくため息をつく。仕事から帰ってきたのは日付が変わる直前だった。昨日の今日で報告を上げろというのは、さすがに横暴が過ぎる。
「……僕が代わりにやっときましょうか?」
「いや、私がやる。どうせ今日は客も入りそうにないからな」
言いつつ、サラはカウンターの下からもう一台のラップトップを取り出す。
どうにもこの手の機械に疎いサラではあるが、ここ最近では多少なりとも使いこなせるようになってきた。モーガンに手取り足取り教わった成果だ。
「……」
店主は再びため息をつく。
今度は組合の横暴に対してではない。十歳は歳の離れた従業員に支えられっぱなしという、店主としても年上としてもあるまじき情けなさに対してだった。
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