3 ゆらぐサリーのビジネスライク

 ルイが飛び出していき、空いたイスにコーサックが座った。サリーと向かいあう。

「ずいぶん親しい弁護士さんらしいな。住所をそら覚えしてるとは」

「まあね」

 サリーは曖昧な答えを返した。全部を話す必要はない。

「で、室内デートの相手におれを選んだのには、訳があるよな」

「わかった?」

「メモをコスギに押し付けたのは、使い走りに都合がいいだけじゃないだろ? こういう場面なら、言いくるめやすい相手のほうを残しておきたいもんだ」

「さすがベテラン刑事さん──でいい?」

「本人に確かめたら、褒め言葉にならんだろうが」

 そう言いつつ楽しそうに笑む。

「でも、あんたみたいな刑事が担当につくんだったら、あたしもこんな小細工しなかった」

 どんな刑事が担当につくのか、くじ引きみたいなものだった。

 いまはもう、昔みたいに逮捕されることはなくなっている。それでも分署に到着して、留置の手続きをとっているあいだに、通りがかった中年刑事から、卑猥な言葉を投げつけられた。

 サリーの過去を知っている警官は、昔のまま扱おうとする。こいつには、こういう態度でいい。ひとりの市民として見ようとしない。

 コーサックがひと睨みで追い払ってくれたが、酷い気分が残った。

「しかしラミレスさんはともかく、コスギはおれに相談しなかった。信用ないのかもしれんな」

「あんたの跡を継ぐ気もないし?」

「不安を補強するなよ」

「逆かもしれないよ? 尊敬してるセンパイだから、厄介なことに巻き込みたくなかったのかも」

「……そうかな?」

 わかりやすく笑顔になった刑事に、

「けど、確信もなかったんだろうね。逮捕歴があるフェリスを色眼鏡なしで見てくれるのか」

 上げて落とした。

「なかなか厳しいな」

「悪いね。警官には悪い記憶のほうが多いから。意見のひとつだと思っておいて」

「拝聴しておく。それで何を訊きたいんだ? おれの泣き言に付き合ってくれたのは、話のマクラにしただけだろ?」

「フェリス・ウォーレス……フェリシア・ウォーレスかもしれないけど、彼女が逮捕されたのなら、あたしはもう出れるんだよね?」

「すんなり簡単にはいかん。理由はどうあれ捜査妨害には違いないからな。説教は聞いてもらう」

「ま、当然だよね。お手柔らかに」

「まあ、体面だ。聖母に聖書を読み聞かせる気分になりそうだ」

「コーサック刑事から、お褒めの言葉をいただけて嬉しいわ」

 満面の営業用スマイルで礼をいった。

「年季のぶんだけ、いろんな人間を見てきた。できる相手にばこうべをたらすさ。意固地になって顔を上げていると、見える範囲が狭くなる」

「そんな老練な刑事が若い制服警官ルイ贔屓ひいきにしてる。お気に入りの度がすぎると、やっかみとか下世話な詮索いれてくるのがいるんじゃない?」

 コーサックから笑みが消えた。

「目立たないようにしていたつもりだったが、甘かったのか? それとも、ラミレスさんの観察眼が鋭いのか?」

「ごめん。カマかけた。ハラを探るのは、商売でついた癖なの」

「いいさ。もうちょっと気をつけたほうがよさそうだ」柔和な瞳に戻る。

「本人にも言ったことはないが、おれなりに思うことがあるから、つい、な。で、本題にもどろうか」

「いや。あたしがすぐ出れるかってことだけ聞きたかったの」

 コーサックが拍子抜けの表情を見せた。

「確かめておきたかったのよ。難癖つけて、留置を引き伸ばされたことがあったから」

「ウォーレスの釈放も、時間はかからんだろ。わかったら連絡いれる」

「必要ない」

「よけいな口出しだが、なぜ?」

「フェリスには、もう関わらない。ここを出たら、あの子もあたしも、それぞれでやってくだけよ」

「だからコスギを外して訊いてきたのか?」

「新しいビジネスはじめたって大口を叩いてみせたけど、しょせんは足を洗いきれていないんだよね。そういうあたしだから、真面目に生きようとしているフェリスから、離れとくほうがいいのよ」

 一緒にいる相手もいるし、もう心配することはない。外に戻れば自分は、またひとりでやっていくだけだ。

 殻を透かして見通すような、コーサックの視線に気付いた。

 サリーは、言葉に感傷が入った言い訳のように加える。

「商売仲間じゃない人間に用はないからね」

「ここまでしてやっておいて、ビジネスライクな関係には見えないが?」

「昔のよしみ。今回ばかりは面倒見てやっただけだよ」


 ルイを追い出してまでした話にしては、パンチに欠ける。

 それでもコーサックは重ねて訊くことはしなかった。頭に浮かんだ答えの可能性を考えて、別の手を打つことにした。

 サリーたちに、借りを感じていた。

 殺人現場に着いたときに見かけた不審な人影は、ベサニー・クラークだったのかもしれない。手を打っていれば、フェリス・ウォーレスが襲われることなどなかった可能性もある。

 ベテラン刑事といわれても、こんなものだ。せいぜい後悔は少なくしておきたい。


 遅い──。

 サリーは、留置所の長イスでのびていた。

 コーサックの説教は形ばかりで、すぐに終わった。そうして釈放手続きに入るからと、いったん留置所に戻された。

 そこからが長かった。

 取調室に呼ばれたのが朝一番。外せない急用が入ったというコーサックの伝言を制服警官がもってきたのは、そろそろブランチの時刻。いまはもうランチタイムになろうとしている。

 たしか今日は独立記念日だったはず。心底どうでもいい記念日に、世間が賑わうのは毎年のことだ。老兵も人員不足をうめる穴に駆り出されて忙しいのだと思っておいた。

 それにしては、留置所がすいたままではあるが。

 合点がいかないと、下っ端の警官を呼び出したところで、早く解放してくれるはずもない。せめて今晩の仕事に支障がでないよう、せいぜい体を休めておくことにした。

 ほとんど徹夜になってしまったのは、留置所という環境のせいだけではない。

 寝る時間がなかったのは、フェリスやルイも同じはず。体力馬鹿なルイはともかく、フェリスの体調が気になってしまう。そうして結局、眠れなかった。

 ルイに使いを出した弁護士なら、スムーズに決着がつくはずだ。スケジュールに融通がきくことを願うだけ。あとうはもう、できることはない。

 頼れる弁護士とはいえ、出してくるだろう交渉条件に応えるのが、少々頭の痛い問題だった。

〝現役〟を引退したから、仕事を口実に突き放すことは難しくなる。

 余計にややこしくなりそうだった。

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