2 切り札はベッドから

「それで、そのまま自首させた……と?」

「フェリスの意志を──」

「尊重してやればいいってもんじゃないでしょ!」

 フェリスが自首する顛末を聞いたサリーが、拳でデスクを叩いた。

「あの子の本心ぐらい想像はつく。それでも、あたしは出しゃばった。その意味がわかんないの⁉︎ このド馬鹿!」

「いや、でも……」

「でもじゃないのよ、このアホウ!」

 今度は平手でデスクをばんばん殴った。

「浅慮だって言ってんの! そのときの感情に流されてないって言い切れる⁉︎」

「ません……」

「ほんとに、もうっ! ボーンヘッド、昼行灯ひるあんどん、とんちき、間抜け、底抜け、とんま、詰めが甘い、抜け作、すっとこどっこい、ぼんくら、筋肉脳──」

「待て、待て、待って! あと、最後のは何⁉︎」

 叱責は受ける覚悟でいたが、罵倒の言葉に終わる気配がない。背後からコーサックの忍び笑いが加わると、さすがに心が折れそうになってストップをかけた。

「まだ全っ然、言い足りないんだけど!」

 瞳が怒りで燃えている。ルイは椅子に座ったまま後退った。

語彙力ごいりょく、高いね……」

「難癖つけてくる客とは、言葉でしばき合って決着つけるからね。まあ、それはともかく……」

 口喧嘩無双のサリーが、机に突っ伏した。

「ったく、もう……! せめて、あたしに相談するまで待てなかったの? 警官の立場を悪用したら、できなくはなかったでしょ?」 

「せめて利用と言って。その、大丈夫な気がしたから……」

「その根拠は?」

 のそりと上げた顔が本気で怖かった。


「ふ、普通のひとなら、怯えて動けなくて当然の場面で、フェリスはいつも助けてくれた。パブの強盗のときは機転をきかせて、タトゥー男と揉み合いになったときも加勢してくれて、警棒で殴られるヘマをした今日も」

「あんた結構へなちょこなんだ」

 サリーはストレートな言葉で刺したが、

「うん」

 すぐに肯定された。

「ツー・マン・セルが基本のパトロール警官だから、続いてるとこある」」

 茶化したつもりが真剣な応えが返ってきた。警官にありがちな、虚勢をはるところもない。

 椅子に座りなおしたサリーは、続きを視線で促した。

「わたしと違って、フェリスは本当に強いんだと思う。なんていうか……弱いところを自覚できてるから強いっていうの?」

「…………」

「だから、フェリスが思うようにしても大丈夫だろうって。あと、自分の無事だけで納得しないひとで良かったっていう気持ちもある」

 サリーは手を組み、ため息をついた。

「学も金もないあたしらは、賢く立ち回らないと生きていけない。けど、悪賢いが過ぎても、自分が許せなくなる。塩梅あんばいがむずかしくて、正解がわからないときもあってね。結局、どの地点なら自分が納得できるかなんだけど……」

「だったらますます、わたしがフェリスの行動にとやかく言う資格なんてない。

 サリーの提案に、これ幸いとのった。サリーなら、うまくまとめてくれると期待して立ち回った。わたしは、難事からフェリスを遠ざけることばかり考えてた」

「それ、ここでしゃべって大丈夫なの?」

〝共犯者〟だと白状したようなものだ。コーサックへと視線を投げた。

「規則絶対なら、おれは三十回以上は辞めてる。警官だって『塩梅』を考えるさ」

 コーサックの後押しを受けたルイが、両肘を机にのせ、サリーへと身を乗り出してきた。声を落とした。

「フェリスだけに罪を負わせることはしない。わたしも——」

「うるさい」

 それ以上しゃべらせなかった。これ以上ない威圧的な眼差しで、ルイを射すくめた。

 ルイが被疑者隠しの一端をになっていたと、これ以上はっきりさせるわけにはいかなかった。

 コーサックの視線を感じる。

 この老獪ろうかいな刑事は口に出さないだけで、すでに勘付いている。ここでルイに応えたら、イエスと答えたも同じになる。

「塩梅」を超えるレベルになったら、退職金を楽しみにしているだろうコーサックまで巻き込むことになってしまう。

 あるいは、コーサックでも見て見ぬフリができなくなるか……。

 サリーは、応えなかった。無視することで、ルイがもらしかけた言葉をなかったことにした。

 サリーも前傾姿勢をとる。これからの善後策へと話を強引にかえた。

「フェリスへのバックアップは大丈夫でしょうね? 弁護士はどんなやつに頼んだの?」

 近くなった距離で、調子を合わせろオーラーを出す。ルイに通じるか?

「……え?」

 ルイが素でほうけた。

 別の面での不安がふくれあがった。

「捕まったら、まずは弁護士でしょうが! こちらの正当性を確実に通す実力があるやつでないとダメだからね!」

 ルイが固まっている。まさか——

「公設弁護士に任せるつもりじゃないよね?」

「………………忘れてた‼︎」

 うっかりな巡査を見る目が、すっと細くなった。声が低くなる。

「忘れてた?」

 剣呑な目つきで口元だけで笑った。

 取調室で殺人事件をおこすまいと忍耐力を発揮する。

「警官ならさあ──」

 逆巻く感情を落ち着かせるよう、ひとつ大きく呼吸してから手を伸ばした。ルイの耳を引っ張る。

「公設弁護士がどこまでの仕事するか、わかったもんじゃないの知ってるでしょ⁉︎」

「わかってます! 知ってます! ちぎれそうに了解してます」

 痛さのあまりか、ルイの言語が崩壊していた。

「あたしが強制したとはいえ、いっときでも罪を逃れようとしたんだから、聴取になったら当然そこをつつかれる。あたしだったら自首するタイミングから私設弁護士をセットにしてやるわ! 周囲の状況を整えてやってこそのバックアップでしょうが⁉︎」

 そこまで言って、やっと耳から手を離した。

 ルイがデスクに両手をおいて、おでこをつけた。

「ごもっともです……」

「それぐらいにしてやってくれ」コーサックが間に入った。

「おれもわざと教えなかった。失敗した経験は忘れないからな」

「こっちにとっては重要案件よ。勝手に教材にしないで」

「詫びに、いい弁護士を紹介する。検事出身で信用してもらって大丈夫だ」

「いや、いい。昔のあたしの得意客に、腕のいいのがいるの。あたしが一線から退いてからも、いまだやりとりはあってね。かねてからの〝リクエスト〟に応えてやったら引き受けるはずよ」

 サリーは不敵な笑みで続けた。

「まあ、断らせないけど」

「ベッドの中には究極のプライベート情報が詰まっている──だな」

「情報こそ最上の武器だからね」

 策士なふたりが、悪役みたいな笑みを交わしあう。

 距離をとろうとするように、イスの上で身じろぎしたルイには、

「もちろん、情報の悪用はしないよ? 相手によるけど」

 真意をくみとったらしいルイが、愛想笑いだけで応じた。

「電話、いいよね? まだ、どこにもかけてないんだから」

 コーサックの承諾をとったサリーは、二分で電話を終わらせた。

 続けてメモとペンを求める。書きつづった住所をルイに突き出した。

「弁護士センセイが自宅にいるうちに迎えに行って。出勤したらオフィスにいるとは限らない。裁判所だ、クライアント先だと走り回ってて、つかまえにくくなるよ。さ! 動け、動け!」

 気圧されたルイが、イスを蹴飛ばす勢いで立ち上がった。

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