七章 ライオンは羊とともに寝転がる

1 羊はもう迷わない

 サリーの機嫌は悪かった。

 留置所で夜を明かして睡眠不足になっているからでも、早朝から取調室に連れてこられたせいでもない。正面にいるルイを見る顔は、しっかり目覚めていた。

「どうして、あたしの前にパトロール巡査が座ってるの? 担当は後ろで立ってる、ドングリ目玉の刑事さんのはずだけど?」

 冷めた目つきで訊いた。

「表向きはコーサック刑事のお手伝い。現場保存をした警官だから」

「建前を知りたんじゃないの。さっさと本題に入って。ミランダ告知を聞かされてないし、録る用意もしてないってことは、聴取じゃないんでしょ?」

「うん、まあ……」

 ルイは背後を振り返った。コーサックが話をつぐ。

「逮捕して終わり──なんてことを後継に教えたくない。付き合ってくれ。サリー・ラミレスさんにも損はないと思うぞ」

「理解のある刑事さんだこと」

上司うえからは厄介者っていう褒め言葉をもらってる」

 サリーの皮肉に笑って見せ、

「コスギ、話を進めろ」

 ルイにバトンを戻した。

「その……フェリスのことでね……」

「その話しぶり、ロクなことじゃないね?」

 サリーの目が、獲物を視認したハンターのそれになった。

「正直に吐け。あの子に何かあったの?」

 どちらがが取り調べているんだか、わからない。

 立場が逆になっている気がするが、サリーの目が本気だ。ルイは従順に、アパートで襲われた顛末てんまつと、その後のフェリスの言動をそのまま伝える。


 ベサニーが連行されたあと。

 ルイは、部屋の隅へとフェリスを促した。フォード巡査から距離をとると、声をひそめて訊いた。

「ここで逮捕されるつもり? 紙袋のユニフォームを証拠品にして」

 フェリスの手がゆっくりあがる。ルイが警棒で打たれた脇腹に、触れるか触れないかのタッチをした。

「こんな怪我をしてまで、あたしを守ってくれた。だから、あたしは自分を大事にしたいの」

「言いたいことは何となくわかるけど、捕まるってことは……」

 アンダーグラウンドな仕事をしていれば、留置所とは無縁でいられない。フェリスのような人間には、何度経験しても慣れることなどないはず。

「正直いって怖いし、耐えられるか自信ない。けど、自分を大事にするっていうのは、危ないこと全部から守ってもらって、楽な場所にいることじゃないでしょ?」

「その答えは正しいと思う。でも、正しいことをして、いい結果になるとは……」

「うん。正当防衛が通らないかもしれない。公正な取り調べをしてくれる警官ばかりじゃない。だから、サリーが代わってくれた。頼りないあたしを思ってやってくれた。

 けど、結局は別の場面で襲われた。やっぱり、自分に返ってくるんだよ。

 それならもう、ちゃんと自分で後始末をやりたい。

 厚意に甘えて、嘘をつき続けるのは、自分をぞんざいにあつかってるのと同じだと思うようになったから」

 能弁なフェリスに圧倒されつつ、ルイも食い下がった。

「頼れるものをうまく利用するのは、弱いことじゃないよ?」

「ルイに会う前は、サリーに頼ってた。サリーも頼られて、厭な顔ひとつしなかった。

 それがかえって不安になったの。いつか我慢できない重荷になって、あたしの前からいなくなるんじゃないかって。

 サリーのところから逃げ出したのは、仕事から足を洗いたかっただけじゃない。何もできないままの、あたしに呆れられて、離れらることが怖かったせい」

 フェリスが身を乗り出した。

「だから今度は、誰かに助けてもらいながらでも自分で歩きたい。すぐにくじけるあたしを応援してくれたら嬉しい。そうしていつかは、あたしもルイやサリーを助けてみたい」

 ルイは小さくため息をついた。

「こうなるのも考えてた。なんたって、フェリスだから」

 自分で立とうとする意志の力があるひとだから。

「ぎりぎりまで迷ってた。サリーの気持ちも無下にしちゃうけど、自分で決着をつけたいの」

 ルイはうなずくことをためらう。

 フェリスの右手があがった。手のひらがルイの頬にふれる。

「自分を大事にする。ルイも……」

 頬に伝わる温度と、フェリスが見つめてくる視線に、彼女の左手がどこにあるかなんて気になるわけがない。

 ルイの意識が奪われたとき、

「ごめん」

 フェリスの左手が乱暴な動きをした。

「──いっ‼︎」

 警官の体裁など軽く吹っ飛ぶ痛みが、右の脇腹を突き抜けた。思わず膝をつく。

「ルイは早く病院に行ってね」

「フェ……リス……まっ……」

 応えようとするが、痛みで息が乱れて声にならない。

 片膝をついたフェリスが、額と額がつきそうな距離で、慰撫するように言った。

「あたしの目を覚まさせてくれて、ありがとう」

 そうして、すっと立ち上がった。

 ルイは、視線で追いかけた。

 紙袋を手にした後ろ姿が、フォード巡査に向かっていく。

 怪我など慣れていた。勤務中では車をぶつけられ、頭突きを食らって流血し、消火器で殴られたこともある。

 痛みを無視してフェリスを追うこともできたが、ルイは膝をついたまま見送った。

 まっすぐ伸びたフェリスの背中に見入っていた。


 手のなかで大切に護ろうとしても、余計なお世話とばかりに、あっさり振り切って飛び出していく。

 この強さに惹かれたのだ——と、納得できるのは自分だけだ。

 サリーになんて言ったらいい……⁉︎

 ルイの背中に、怪我とは別の原因からくる冷たい汗が流れた。

 しかしこの汗は、犯罪者として扱われるフェリスの姿を見たくなかっただけの、身勝手な思いの証かもしれない。

 度胸と知恵を武器にして、ストリートで生き抜いているサリーが出した解決法でも、疑問を感じなかったわけではなかった。

 しかし、対案がなかった。フェリスを信じ切ることもできずにいた。答えを追求することをサボった結末は——

 フォードがフェリスの両手に手錠をかけた。

 視線をあわせてきたフェリスの堂々とした姿とは対照的に、ルイは複雑な表情をうかべた。

 情けないような、安心したような……。

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