3 バディは、いる

 フェリスの意識に暗幕が降りてくる。

 ぼんやりしてくるなか、自分だけ安全なところに逃れた報いだと思った。

 時間を巻き戻して、やり直したい。今度こそ正しい選択ができるように。サリーに、ルイに、そして自分に幻滅しない生き方をしてみたいと強く願う。

 このまま終わりにしたくない。負けたくない思いを視線に込めた。

 ベサニーに焦点を合わせ、意識をつなぎとめようとしたとき、スタンガンの向こうに希望が現れた。

 危機にひんしながら、フェリスにかすかな喜色がうかんだ。

 その意味を察したベサニーの顔色がかわった。背後へと振り向きざま、スタンガンを突き出す。

 右手首が、強い力で握られた。


「なんで、ここにお前が! クソッ」

「自分の部屋に帰ってきただけだ──よっ!」

 ルイは、掴んでいる手を全力で引っ張った。フェリスから引き剥がす。

 全開にした握力で、ベサニーの手からスタンガンが落ちた。すかさず部屋の隅まで蹴って遠ざける。

 ダグが借りていた部屋では休めないだろうと、ルイは自分の部屋の鍵を渡していた。

 それが思わぬ功を奏した。帰る部屋が同じでなければ、フェリスの危機に間に合わなかった。

 しかし、ルイは初手を誤っていた。


 ベサニーは引っ張られる力に逆らわなかった。引かれた方向に足を出す。中腰の低い姿勢のまま、ルイの膝を蹴った。

 不意打ちと思わぬ的確さで、ルイの手が緩んだ。

 その機を逃さずベサニーは、ミリタリーキャンバスのバックに向かってダッシュする。ヘッドスライディングするように手を伸ばした。

 目当てのものを握り込む。バックから抜き取りざま、横薙ぎに払った。

 その一回の動きで、三段伸縮の特殊警棒が本来の長さに伸びた。

 伸ばす動作の流れで、片足を引きづりながら迫ってきたルイに向けて振り抜く。確かな手応えが右手に伝わった。

警官じぶんがいつも振り回している、ポリスバトン警棒で殴られる気分はどう?」

 相手をコントロール下においた喜悦が、背中を走り抜ける感覚。警官が相手だからこそ、手加減などしない。


 重量感のあるスチールが、ルイの横っ腹を襲った。

 黒くスマートな外見の特殊警棒は、動きが見えづらい。見た目を裏切る車のガラスをも破壊できる威力が、対応が遅れたルイの身体に食い込んだ。

 胴体が折れるような衝撃。激烈な痛みがくる。

 しかし、相手を捉えるチャンスでもあった。

 ルイは右の脇腹に入った特殊警棒を、そのまま右肘で挟んだ。引き込みつつ上体を回転、左の掌底を突き出す。

 頭部に当たれば大きなダメージを与えられるが、避けられやすい箇所でもある。顎を狙ったが、ずれた。

 動きを止めないまま、狙う先を変える。

 相手のほうが小柄だ。前方にのせていた重心を利用して、腕をベサニーの肩口に絡ませ、体重を浴びせかけた。床に一緒に倒れ込んだ。

 床から受ける衝撃が、脇腹の痛みをはね上げる。

 息を詰まらせたタイミングで、体勢を逆転された。

 上になったベサニーが、空いている左手で、咽喉を圧迫してくる。痛みに加え、呼吸もままならない。警棒を押さえ込み、首にかかっている手を防ぐだけで精一杯になった。

 身体と床の間でサンドイッチされている鋼の塊が、ルイの腰を押し返した。シャツの下に、ヒップホルスターにしたハンドガンがあった。

 帰宅して異状に気付いた時点で、最初から抜くべきだったかもしれない。フェリスに当たることが怖くて使えなかった。

 もっとも、フェリスから引き離せた、いまの状況でも抜くことができない。特殊警棒のダメージは、利き腕を充分に動かせない有様を引き起こしていた。

 危機的状況に、無意識に呼ぼうとする。

 カルロス──!

 声にする前に、やめた。勤務時間外だった。

 たすけてくれるバディはいない。

 ひとりで、剥き出しの暴力と対峙する覚悟を決める。

 

 ルイの身体に特殊警棒が叩きつけられたとき、フェリスは口の中に、鉄の味が広がった気がした。

 腕力に抗えば、さらに酷い暴力がくるだけだ。流れる血を最小限にするには、じっと耐えるのが一番なのだ。それなのに——

 ルイは、そうはしなかった。

 激痛からくる苦悶の表情のなかで、ベサニーを押さえ込もうとしている。

 ルイが形勢不利な戦いから逃げ出さないのは、なぜなのか。助けることが警官の責務だからだけではない。

 渦中にいるのが、あたしだから──。

 そう思っていいだろうか。

 これまでなら、目を閉じて逃げる一択だった。好意でも、厚意でも、助ける姿の裏に隠されたもので傷つけられてきたから。

 違う人間もいると知ったのは、サリーからだった。

 だから初めて会ったルイに、可能性をかけて協力することができた。

 そしてさらに、逆恨みの加勢にきたタトゥー男への反撃の手伝いができたのは──

 普段の臆病さと真逆なことが出来たのは──

 ルイを失いたくなかったからだ。

 失いたくないほどの思いを、人に対して持てるようになった。ルイがいなくならない確信が強くなるほど、この思いは大きくなっている。

 ルイを失わないためには、どうすればいい?

 ベサニーに襲われる事態を招いたのは、逃げ出した自分の行動の結果だった。

 何もしないままでいる結果に待っているものをすでに充分知った。

 ルイひとりで闘わせていては駄目なのだ。一緒にいたければ、闘うときも一緒でないと。

 ルイに代わって戦うことはできない。でも、できることはある。

 フェリスは、スタンガンから逃れようとしたときに、蹴つまずいたものへと走った。床に無造作に置いてあったそれは、ルイがルーム・トレーニングで使っているらしいダンベルだった。

 片手で持ち上げようとして、逆に引っ張られた。重い!

 目に入った表記には、25とある。たぶん二十五ポンド(約十一キログラム)。二本あるということは、ルイは左右それぞれに持ってトレーニングしているということか。

 自分にだって持ち上げられる。ルイが片手なら、自分なりの持ち方をすればいいだけだ。フェリスは両手でつかんだ。

 それでも重い。身体の下に押さえ込んでいるルイを相手に、もみ合っているベサニーの背中に落とすつもりが、

「あっ!」

 ずいぶん手前で手がすべった。

 重く鈍い音を立て、ダンベルが叩いたのは床だった。

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