3 ライザ・ミネリのように
刑事を出迎えるべく、ルイとサリーは店の外に出た。並んで姿を街灯にさらす。
「まわりの店が閉まると、さすがに暗いね」
サリーの声は、これから警察に連れていかれる不安など感じさせないものだった。
「警察いくのも役所にいくのも、おんなじ感覚になっちゃった。慣れたくなかったけど」
肩をすくめたサリーに、ルイも苦笑する。
売春をやる人間と警官は、いたちごっこの関係にあった。現行犯で捕まっても、さほど重い刑にはならないし、ほかに稼ぐ手段もない。なので外に出ると、すぐに商売を再開する。そこで、また捕まえられてという無限ループになっていた。
「一度くらいはリムジンで送迎されてみたいわ」
サリーの視線の先に対極な車が近付いてきた。赤と白の緊急灯をフロントウインドウ越しに点滅させた、大衆セダンが停まる。
ウエストに金バッチを付けたスーツが降りてきた。
短く切り揃えられた髪は半分白い。理想体重をオーバーしている腹を揺らし、偽りを見透かすギョロリとした目を細めて、コーサック刑事が笑った。
「なにやってんだ、コスギ。シフト外まで仕事してると、刑事資格の勉強する時間がなくなるぞ? おれの三十年ぶんのノウハウをやるって言っただろ」
「いいです。刑事になるつもりないですから。どうして、いつも私に言うんです?」
「今日は突っ込んで訊いてくるな」
「たびたび言われてたら気になってきますよ。刑事になりたい制服警官も、あなたのスキルを学びたい刑事も、少なくないと聞きますから」
「ノウハウの中には情報屋も入ってる。刑事としての財産すべてを譲るんだから、おれも厳選するさ。プライベートで誰とも付き合わない理由を訊かなかったのは、お前だけだったからな」
「……コーサック刑事」
ルイは神妙な顔つきになる。
「そんな理由?」
「今日の天気を話す感覚で訊いてくるやつが多いんだよ。話さない空気を読めない鈍感に、レクチャーする気になれん」
そこから表情を引き締めた。
「サリー・ラミレスさんは、そちらかな」
そこからのコーサックの仕事は速かった。自首した人間と、現場になった場所を確認し、ホールのイスで横になっているフェリスの容態をうかがった。
そうして、調理場の前まで一緒にやってきたサリーに、鋭い目をむけた。
「ずいぶん落ち着いてるんだな。居合わせた店員のほうがショックを受けている」
「そう見えてるだけよ。これでも動揺してる。商売柄、弱みを外に出さない癖がついてるの」
「……なるほど。コスギ巡査と店の外で待っていてくれ」
ひとりで調理場の中へ入っていくコーサックの背中を見送る。
サリーが、静かに息を吐いた。自分に言い聞かせるように独りごちる。
「やったのは、あたし。殺しだけど正当防衛で認めさせる」
ルイも手のひらの汗を握りしめた。
本番がはじまる。
ルイが、死体の検分をおえて戻ってきたコーサックに報告した。
「サリー・ラミレスから状況を聞いた限りでは『非故殺』です。やむを得ない事情が考慮されると思ったから、逃げも隠れもしなかったと」
サリーは、コーサック刑事の視線を受けて、うなずいた。
ルイへと目をむけたコーサックが言いたいのは、こんなところだろう。
——おまえはそれを真に受けているのか?
口に出さなかったのは、目をかけているコスギの思惑を知ろうとして。
そんな無言の応酬を破ったのは、
「サリー、待って!」
フェリスが飛び出してきた。
店のドアを開け放った勢いのまま駆け寄ってくる。すぐさまルイが抱きとめ、押しとどめたた。
「あたしなの! あたしが——」
「もう大丈夫だから、落ち着いて」
状況を悪くさせまいと、ルイが焦る。
コーサック刑事が、ルイとサリーを交互に見やる。
──やはり伏せていることがあるのか?
コーサックの疑問を汲みとったサリーは、一策を講じた。訊かれる前に実行に移す。
「起きたね、フェリシア‼︎」
わきおこった疑念など吹っ飛ばす、小っ恥ずかしいセリフをぶち上げた。
「あたしのキスで目覚めさせたかったよ! 巻き込んだお詫びは、いつかの機会でね!」
走り出したくなるほど恥ずかしい。とっさのことで、こんなのしか思い浮かばなかった。急いで背中をむけ、自分から覆面車両へと歩き出した。
思い残すことはないといってよかった。
フェリスが本当の名前を明かす人間が新たにできた。あとは、そいつに任せばいい。
「じゃあね!」
サリーは振り返らない。
〝いつか〟など、ない。前を向いたまま、軽い調子で片手を振った。
──バイバイ。
背中で別れを告げる、古い映画の大好きな俳優のワンシーンを真似てみた。彼女ぐらいカッコよく決まったかは……
まっ、いっか。
追いついたコーサック刑事に、自分から背中に手をまわして手錠をうける。後部ドアを開けてもらい、すすんで覆面車両に乗り込んだ。
ドアを閉めたコーサックは、連絡をよこした警官に訊いた。
——割って入ったような被疑者の振る舞いに、何か言うことはあるか?
ルイが無言で、小さく首を横に振った。
「……顔見知りのようでしたから、店員も動揺したんでしょう」
抑揚をおさえた声の裏にあるものをベテラン刑事は読みとる。
そして、腹に収めた。コスギなりに、法よりも優先して通したいことがあるのだと思う。
清濁併せ吞もうとしているのなら、そのままやらせることにした。痛い目にあうリミットは、身をもって習得していくしかない。見込んだ後進を信じたい気持ちが勝ってはいたが。
現場保存をコスギにまかせ、コーサックは運転席のドアをあける。その動作のなかで、周囲に目を走らせた。
到着したときに見かけた、若い女の姿は消えていた。
女を覚えていたのは、街灯の明かりから外れた位置で、店をうかがっていたせいだ。
うかがうだけで入ってこないのは、店の関係者ではなさそうだし、通りがかった野次馬だったか。〝商売〟をしているなら、人や車がもっと通る道にいるし、第一ここは、それ用のエリアではなかった。
では、なんだったのか……。
後部シートにサリーを乗せて走り出したあとも、引っかかりは残ったまま。そうこうするうちに、幹線道路に入ってしまった。
サリーがパトカーの後部シートに座るのは五度目になるが、覆面車両は初めてだった。
前部シートとの間にある、警官への暴行を防ぐための金網がないことが新鮮でもある。この金網によって、住む世界が違うとばかりに、隔てられているように感じていた。
犯罪者の指定席に座った四度目のとき。
このまま身体を売っているだけでは野垂れ死ぬという思いが強くなった。あれから脱することに成功したものの、金網の中にいるのは相変わらずだ。
見得を切って自分を刑事に差し出したのは、勝算があってのこと。
ダグのサイドビジネスを追及するために用意しておいた、証拠品がある強みだった。
ダグが利用していたクスリの入手先は、裏のツテを目一杯つかって調べた。黒から脱しきれていないグレーな自分だから、できたことである。
ただ、追求しきれていない中途半端なものでもあった。警察が食いついて、権力を使って調べてくれたら、ダグを単なる被害者から、被疑者にすることが出来るはずだ。
ダグの心象が悪くなったら、こちらの優位になる。たぶん。
金網の中に座っていても、悪くはない気分だった。
フェリスはこれで自由になる。心の底から笑っている顔をまだ見ていないことだけが、心残りなだけだ。
サリーはシートにもたれて目を閉じた。
少し、眠りたい。しばらく休んで目覚めたら、また新しいスタートを切るのだ。
大事なものは、まぶたの裏にしまっておいて、目を閉じた時に思い出す──。
自分には、それでいい。
コーサックは、後部シートをうかがった。
バックミラーの中の被疑者は目を閉じていた。疲れが出たり、観念しての仕草ではなく、満足しての眠りであるかのようだ。
非故殺とはいえ、人を殺してこんな表情ができる人間はそうはいない。
共感能力が乏しいサイコパスか、あるいは──。
*
人間としてのダグ・デービスは、後ろから撃たれてもおかしくない男だった。だから、死体になったダグを見ることになっても驚きはしない。
ただ、このタイミングで死んだことが腹立たしかった。ホール係ならともかく、ダグの代わりとなると、すぐには見つからない。フードメニューを絞っても、パブの客足に影響が出るのは間違いなかった。
ダグの難点を補完する重宝な人間が雇えたと思っていた。そいつが、逆の結果をもたらすとは。
そして、こちらの算段をも狂わせる元凶になるとは。
パブともうひとつの商売。両輪で回しているからこそアガリも順調だったところを、ちょっと顔がいいだけの娼婦あがりに邪魔された──。
奥歯が硬質な音をつくりだす。
歯噛みする思いが、行動となってあらわれる。
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