2 引き返せない道の同行者
シフト時間外に事件に遭遇するのは不運でしかない。
けれど、今日に限っては、ごく狭い意味でラッキーだったかもしれない。
——殺したのは、あたし。
——殺したところでフェリスが外から戻ってきた。
ルイは、サリーの〝自白〟を聞いても、にわかには信じがたかった。
ざっと見て、サリーの身体に受傷はみられない。身体的に追い詰められていなければ、サリーなら逃げ出せる才知が働いたと思う。
かといって、フェリスがやったとも考えにくかった。
信じたくないという気持ちも強いが、銃でも使わない限り、ダグを返り討ちにするのは無理に思えた。
ただ人間は、思わぬことで死ぬことがある。泳げるひとが浅瀬で溺死することがあるし、菓子やパンが死因になることもある。フェリスにできるはずがないとは言い切れなかった。
あるいは、ルイの知らない第三者が関わっているのか。
ルイは、サリーの交友関係をしらない。フェリスのほかに、サリーが罪を被ってでもかばう第三者がここにいたのか……? クールでビジネスライクな彼女が、そこまでする相手が。
誰しも嘘をつく。
利益を守るために、相手を攻撃するために、誰かを守るために、自分を守るために、そして自分を偽るために。
フェリスは無言のままだった。ただ、サリーを見つめるその表情は、警官のルイにとって見慣れたものだった。
隠し事のできないフェリスが、このときばかりは苦しくなる。
サリーの自白に猶予をあたえるつもりで、利き手のことを訊いた。
——とっさに手に触れたモノが、たまたま左側にあったのよ。
これで、サリーの意志をくみとった。
調書をつくるのも、裁くのも人間だ。正当防衛が事実だったとしても、フェリスでは証明がむずかしい。あるいは最悪、故殺とされるかもしれない展開だったのか。
故意であれ、ミスであれ、かならずしも結果が事実にそって判断されるとは限らない。そのことを知っているサリーが、代役に立とうとしている——。
ルイは、こうなった結末を自分の落ち度のようにも感じた。
フェリスへ注意喚起を忘れていなかったら、こんな結果を招くことはなかったかもしれない。
自分がやったといって譲らないサリーに、どう応える?
ルイは逡巡した。
仕事、これからの人生、諸々を天秤にかけることになる。ささやかながら、警官としてのプライドも。
自分がいちばん守りたいものは何か——。
そのことを考えたとき、言葉がするりと出た。
サリーが求めたものだったとはいえ、とても狡い人間だ。
現場に侵入してくる人間などいないのに、制服警官の習い性なのか。ルイは、事件現場となった調理場の入り口に立っていた。
ホールのほうでは、フェリスが並べたイスで横になっていた。顔に血の気がなくなっている。そばに座ったサリーが、黙ったまま昔の仲間の手を握っていた。
分署に連絡をいれて十分以上たった。間もなく刑事が到着する。
やはり話しておきたい。その相手を目で呼んだ。
視線に敏感なサリーがすぐにきた。ふたりともフェリスに背を向ける形で立った。
「損な役をさせたと思ってる」
「知らんぷり続けといたらいいのに。ルイのそのバカ正直なとこ、キライじゃないけどね」
声を潜めて打ち明けた警官に苦笑した。
フェリスがこちらに注意を払っていないことを確かめてから、サリーが続けた。
「これで一蓮托生の仲ね。この先、あたしの仕事の役に立ってくれるって期待してる」
「内容による」
「ジョークよ。危ない橋を渡らせる気はないって」
おちゃらけた笑みから一転、真顔になった。
「フェリスを託す相手だからね。堅い仕事を堅実に続けてほしい。贅沢とかじゃない。安定した収入は、あの子の精神的な安定にもなる」
ルイは、その言葉の真意を探る。
「……あなた、本当は──」
サリーが人差し指で、ルイの口元をおさえた。
「あたしとフェリスは、過去の仕事仲間にすぎないの。スマートにいこうよ」
気持ちの重心の置き場を探すルイを後押しする。
「あたしの本番は、これからなんだ」
意図的に語尾を明るくあげたようにみえた。
「いまは後ろに手が回る商売やってるけど、いずれまともなビジネスに方向転換して、ぞんぶんにやってみたい。生き馬の目を抜くこの街でやり遂げたら、どこに行ってもやっていけるでしょ。これぐらいのトラブルこなせなきゃ、この先やっていけない。
たださ、フェリスのことが、ずっと気になってた。親がロクでもなくて、散々な目に遭ってきたのにスレてない。いい子よ。幸せになる後押ししてやりたいけど……あたしじゃダメなのよ」
あえて言葉にしたように思えた。
サイレン音が近付いてくる。
ルイの胸元にさがったシルバーの盾をサリーが人差し指で弾いた。
「ほんとは、あの子を警官なんかに任せたくない。けどあんたは、本当に大事な実をとるためなら、ヤバい橋をわたる選択もできるみたいだから、妥協してあげる」
そう言ってバックをとってくると、ダブルリング式の小さなノートを出した。表紙は擦り切れ、ずいぶん使い込んでいることがうかがえる。
サリーが、口元をゆるめた。
「仕事の管理をするにも、金がなかったからね。デジタルに変えたいまでも、なんか手放せなくて持ち歩いてるの」
ページを繰り、数枚を破りとった。ルイに手渡す。
「ここはもう必要ないから」
目を落とすと、フェリスに関する覚え書きだった。名前のほかに、容姿の特徴や特技といったアピールポイント、さらにプライベートなことまで記してある。たどたどしい筆跡ながら、丁寧に書き込まれていた。
ルイの目は、一点に引き込まれた。いつも呼んでいる名前に併記された、もうひとつの名前だった。
——フェリシア。
「サリーには、本当の名前を明かしてたんだ」
「っていうことは、もうあんたは知ってたわけね」
ルイがうなずくと納得したような、寂しいような、複雑な表情を一瞬うかべた。
「〝フェリス〟って名前ね、あたしがすすめたの。〝フェリシア〟は眠らせておかないと、あの子には、やりきれない仕事だったから」
ルイの心奥に、わずかな嫉妬がうかんだ。
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