2 ボディバッグは持ってない

 身体を売っていたストリートから、管理するためのデスクに仕事の中心が移ると、サリーの身辺は平穏に──とはいかなかった。

 直接の暴力に遭うことは減った。かわって、ひとをまとめる立場から、気持ちを摩耗させる言葉での折衝が格段に多くなった。

 商売仲間となる女たちを見つけるのも楽ではない。

 口コミで向こうから来てくれることも増えてきたが、まだ少数。安全や公正な分け前より、気ままに動けるほうを選ぶ者もいる。そこは本人次第だから仕方ない。

 スカウトして磨いた女たちは、金儲けの道具と思っていなかった。

 ただ、こちらが大事にしていても、裏切られることはある。

 遅刻して客を怒らせる。ドタキャンで信用をなくす。唐突に姿をくらます。こういったことをされてもサリーは、こだわらないようにしていた。

 裏切られ続けてきた女にとって、裏切ることは自然なことであったから。

 それだけに、一緒に仕事ができる女は大事だった。磨いた女に手を出してくる連中への警戒も怠らない。

 そんなトラブルと闘う日常のなか、クスリを使って引き抜きをしている商売敵に気付いた。

 サリーの周りにも、クスリに手を出す女はいる。快楽を求めるタイプは少なく、いまの不安を忘れたいがために、クスリに頼ってしまう者が多かった。

 ひとの弱みにつけ込むようなやり口が腹立たしい。ツテを頼り、相手はダグ・デービスという男らしいというところまでつかんだ。乗り込んで一気に話をつけるつもりが、強盗騒ぎで出鼻をくじかれた。フェリスを見つけるという思わぬ収穫があったが、これはまた別の話。

 そうして出直してきた二度目だった。

 今回は、外野がいないであろう閉店直後の時刻を狙った。

 非合法な商売に手を出している人間相手に、正攻法で通るとは思っていない。そこを見越してのもしてきた。

 なのに相手は、床に転がるマグロとなっていた。

 ダグ・デービスのこの出迎えに、さすがのサリーも動揺する。


 サリーが死体を見るのは初めてではない。

 パブの調理場ではあり得ない光景に、驚きはしたものの、立ち直るのは早かった。

 まずフェリスを優先させた。

 フェリスが見つめ、手を伸ばす先にあったのはナイフだった。危なげな挙動に、慎重に応じた。

「もうちょっと早くに来るべきだったね」

 通りすがりの挨拶のように、平素の調子で声をかけた。

 まずは物騒なものから、フェリスの注意を引き離さねばならない。

「……サリー……どうして?」

 安堵と悲嘆がないまぜになった表情で見返してくる。サリーは刺激しないよう、ゆっくり近付いていった。

「怪我してない? 痛いところは?」

 言われて初めて気付いたように、フェリスが自分の身体を見やった。

「……だいじょうぶ、みたい」

 付いている血液は、倒れているダグのものだろう。サリーは、床に頬ずりしているダグへと視線を移した。

 額が切れているのは、最初に揉み合いでもしたせいか。うつむけに倒れていながら、丸まったような背中が不自然に見えた。腹の下に何かあるようだ。

 膝をついた。目の高さを下げ、横から床との隙間をのぞきこんでみる。

 ダグの腹部から、ビール瓶の首が生えていた。

 刺さったままのビール瓶が蓋になったようだ。出血は少ない。失血死とかではなく、神経性のショックが死因になったのかもしれなかった。

 サリーは立ち上がった。

 調べていても、いい噂を聞かない男だった。ダグが死んでくれて気がすんだところもあるが、フェリスが関わっているなら、確かめておかねばならない。

 警察が真っ先に疑う人間に訊いた。

「どういう経緯でこうなったの?」

「違う……殺そうとしたんじゃなくて……でも死んでるんだけど」

 平静を失って支離滅裂になっているフェリスに、

「まあフェリスには無理だよね。そこは疑ってないから」

 あっさり応えた。

「信じてくれるの?」

 フェリスの着ているシャツが黒なので、返り血が目立たないだけかもしれない。手についた血が、ダグのものでも。それでも──

「ストリートにいたあんたを拾って面倒みてたんだ。牛乳一ガロン持つだけで、手をぷるぷるさせる腕力も、ゴキブリ叩くのに両目をつぶってしまう性格も、わかってるつもり。結果的に事故になったってとこ? あたしの前から消えた一年で、劇的に変身したっていうんなら別だけど」

「……変わりたかったけど、そんなに変わってないと思う」

 消えいりそうな声がその裏付けに思えた。

「で、最初の質問ね。発端はなんだったの?」

「辞めるって言おうとしたら、クスリ関係の仕事を手伝わせようとしてきて……厭だって言ったら……絶対やらないって言ったら、すごく怒り出して……それから……」

「ダグが手を上げてきた?」

 震えが大きくなった唇のかわりに、うなずいて答えた。

 記憶トラウマを刺激されたか。フェリスにここまでの反撃ができたとは意外だったが。

 ともかく。

「そのあたりを具体的に話して。焦らせたくはないけど、時間がないから手早くね」

 トラブル対処には慣れている。サリーは、事態をおさめるための下準備にはいった。

「安心して全部話して。あたしに任せて、うまくいかなかったことなかったでしょ?」

 本来なら、あったことそのまま話せば正当防衛でとおる。けれど、そんな一筋縄でいかない危惧があった。

 死体袋を利用せず、この状況をのりきる方法を考える。

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