5 見ているよ

 フェリスから視線をはずしたサリーは、目元に鬱陶しさを込めた。

 ——大事な話をしてる最中だというのに!

 奥のテーブルにいた二人組の男が、こちらに向かってくる。久々に再会した語らいを、邪魔する気満々だった。

〝客〟を見定める目でサリーは視る。

 ふたりともオーダースーツらしく生地の発色がいい。しかしオフタイムとはいえ、ネクタイを緩めたうえに、だらしなく着ているから、スーツのシルエットがすっかり崩れていた。仕立てた職人が見たら泣くだろう。

 そして、ストリートで女を漁る人間との共通点。銀ブチ眼鏡と七三分け、ふたりが投げてくる笑顔には、下心が見え見えだった。

「ひとやすみのつもりで入ったこんな店に、素敵な女性がいたなんて」

「気分をかえて、呑みにいこうよ。いい店を知ってるから」

 誘い文句が陳腐そのものなら、パーソナルスペースも知らなかった。眼鏡男が、いきなりフェリスの肩に手を置いた。

 汚い手でさわるんじゃない──。

 言葉にするのも面倒だった。サリーは、手元の白いコーヒーカップを決闘よろしく投げつけた。

「——熱っ! てめえ!」

 肩口をコーヒーに染められた眼鏡が、目をいて怒り出した。伝統にそって顔にむかって投げなかっただけでも感謝してほしいぐらいなのだが。

 七三分けが眼鏡に加勢する。

「このクソ女、おまえの月収でも足りないスーツだぞ! どう落とし前をつける気だ⁉︎」

 予想どおりの本性をだしてきた。

 高級スーツを着ていても、中身はこんなやつが少なくなかった。

 夜の暗い道なら、誰も見ていないと思っているのか。家を失って通りの端で寝ている人間の大事な〝家財〟をたわむれに足蹴にし、小さな商店のシャッターにむかって用を足していく。自分のなかで勝手に上下関係をつくり、下に見た人間には尊大にふるまう。

 そういう人間に対したときのサリーの態度は決まっていた。

「落とし前がほしいの? なら——」

 サリーが立ち上がる前に、エプロン姿の男が割り込んできた。サリーのカップに、おかわりのコーヒーを注いでくれた店員だ。

 眼鏡と七三分けの正面に立つと、その鼻先で、ふたりの会計伝票を破り捨てた。

「『こんな店』は、メシとドリンクで満足してもらうための店だ。それ以外の目的なら、おれの店から失せろ」

「客への態度か、それが!」

「さっき破いた伝票が見えなかったのか? 金を払わないなら客じゃない」

 エプロン姿で胸を張る姿は、相手にしているスーツ男たちより、ずっと小さい。髪も寂しくなっている。しかし、毎日フライパンを振り続けてきた腕は太く、迷惑客をあしらってきた経験が、威圧感となってにじみ出ていた。

「しらけた。もう行こうぜ」

 七三分けが眼鏡をうながした。

「二度とくるか!」

「そりゃたすかる」

 凡庸な捨て台詞をいなして見送ると、エプロン店長がフェリスのほうに向いた。

「災難だったな」

「い、いえ! ありがとうございました」

 雰囲気に萎縮していたフェリスが、慌てて立ち上がって礼を返した。

贔屓ひいきにしてくれる客には、サービスで返してるだけだ。礼を言うほどのことじゃない」

 サリーは謝罪した。

「せっかくのコーヒーをごめんなさい。壊したカップは弁償するから。頭にきて、つい大人げないことをしてしまった」

「そいつも気にせんでいい。カップだって、嬢ちゃんたちを守れて本望さ」

 ふたりに下手くそなウインクを送ると、片付けるためのモップを取りにいった。

「彼の歳からみれば、あたしたちはまだチビッコなんだろね」

 肩を小さくすくめてみせると、フェリスも苦笑した。

「ここで三十年、店をやってるんだって。深夜は彼ひとりで回してるタフネスだよ。募集しても、なかなか人が来ないって言ってた」

 よけいな時間をとってしまった。いいかげんフェリスを休ませないと。

 サリーは店を出ようと、うながした。カップ代はいらないと言われたので、チップを五倍にしてレジにおいた。

 なにか言いかけたものの、今度は素直に受けとる。そうしてトラブルなどなかったかのように言った。

「また来てくれるんなら、コブサラダをもう一回注文してくれ。今度なら味がわかるだろ?」

 見ていないようで、しっかり客の反応をみていた。

 エプロン店長、あなどれない。


 近くだからひとりで大丈夫だというフェリスをアパートまで強引に送った。

 建物のなかに入ったところを見届けて、やっと一安心。サリーも帰路を急いだ。

 かつての倉庫街は店舗に入れ替わりつつある。おかげで人通りが残っているが、用心は怠らなかった。通りに出ると、すぐにタクシーを拾った。

 後部シートに落ち着くと、ダイナーでのことを思い返した。

 ──大事にしてくれる人、いるじゃない。

 常連だからというフェリスの反論が聞こえそうだが、ダイナーの客なりに大事にしてくれる人がいる。シビアなこの街には貴重な存在だと思う。味方になってくれる人間は、ひとりでも多いほうがいい。

 フェリスに足りないのは自信だけだ。誰もが、あなたの存在を無視しているわけではない。


 部屋に〝客〟がこない日でよかった。

 自分に部屋に戻ったフェリスは、まっすぐベッドに向かった。服を脱ぐのも面倒で、そのまま倒れ込んだ。

 いろいろありすぎて、今日は一段と疲れた。

 醸造所の管理をメインにやっているベサニーが、いつもより長い時間ホールを手伝ってくれた。それでも、給仕係が増えないことには忙しさはかわらない。

 むしろベサニーと長く一緒にいることで、精神的な疲労が増えていた。

 気さくなところがあるかと思えば、作業は細かく指示される。ビールの注ぎ方はともかく、グラスを棚から出す順番まで決められていた。ダグも何も言わないので、素直に従うしかない。

 そんな彼女は、ホールにいるときでもハードキャンディーを口にしていた。そういうところをみると、仕事に厳しいというわけでもなさそうで、よくわからない人でもあった。

 そしてクリスタル・ダイナーでは、また変なのにからまれた。

 小柄でおとなしそうに見えるフェリスは、こういった手合いの的になりやすかった。強い拒絶の言葉や、ビンタをお返しされるリスクが少ないと思われているのだ。

 クリスタル・ダイナーの常連になったのは、そんな背景もあった。ここならエプロン店長が、無礼な客を追っ払ってくれる。

 今日はサリーがいたから……と、ここでやっと気付いた。

 スーツ男たちから助けてくれたのに、ちゃんと礼を言っていなかった。ひとに助けてもらってばかりいるから、鈍感になってしまったのか……。

 それにしてもサリーが、カップを投げつけたのには驚いた。

 姐御肌で気の強いところはあったが、いきなり力で仕掛けるようなことはなかった。

 サリーのもとから離れて一年がたっていた。人が変わるには、一年は短い気がする。

 とはいえ、サリーのことをなんでも知っているわけでもない。

 あんなことをしたのは、単なる成り行きだったのか……

 考えているうちに、眠りに落ちた。

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