4 言えない

 もう時刻も遅い。ほかの客は、離れた奥のテーブルにいる二人連れだけになっていた。店長はカウンターの中から出てこないし、話がひとの耳にはいる心配はない。

 サリーは、単刀直入に訊いた。

「ダグ・デービスのことなんだけど、ブルーパブの仕事以外に、サイドビジネスやってるよね?」

 スープのカップを置いたフェリスが、あっさりうなずいた。

「あたしも関係者になるね。そっちも手伝ってるから」

 サリーの表情が浮かないものになる。そこはノータッチでいてほしかった。

「商売、プライベート関係なく、時間単位でベッドを貸してる」

「それじゃ小遣い稼ぎ程度しかならないでしょ?」

「クスリをセットにしてるみたいだから、それなりの額がとれてるんだと思う」

 サリーは驚かなかった。むしろ新鮮味のない、ありきたりな話だ。

「モノを見たの?」

「部屋の管理があたしの仕事。クスリには直接さわらないけど、客が帰ったあとの掃除に入ると、ニオイが残ってることがあるから。クスリが目的なのか、ベッドを使った様子がないこともある」

「フェリスがやってるのは掃除だけなんだよね?」

 つい話をフェリスに戻してしまう。

「ダグは掃除以外の仕事もちらつかせてきたけど、気付かないフリして流した。はっきり断るの、苦手だから」

 きまりが悪そうに苦笑する。

「はじめちゃったら途中からやめるとか、できなくなると思って。深入りしたくない」

「いいね。その調子で距離をとるようにして」

 ひととぶつかることが苦手で、口喧嘩すらしない子だった。そのぶん、かわして逃げることに長けていた。

 フェリスからも訊いてきた。

「店に来たのは、ダグに話があって?」

「ちょっと商売仲間が巻き込まれてることがあってね。まずは敵情視察」

 放置しておけず、とりあえず動いた感がある。慎重なフェリスから見れば、行き当たりばったりの無計画に見えるだろう。

「仲間のためってとこ、変わらないね。だからサリーのところに人が集まってくるんだよ」

「買いかぶりすぎ。メシのタネを守ってるだけだよ」

「けど、気を付けて。サリーなら大丈夫だと思うけど、ダグは激情型っていうの? 気持ちのまんまで動くとこがあるから」

「ありがと。その……」

 口を出すのは野暮だと思っていたが、そんな話を聞くと、とどめておけなかった。

「フェリスには、パブの仕事を辞めてほしいと思ってる。立ちっぱなしの長時間なんでしょ? 身体の負担も大きいし、悪い酔い方する客の相手とかも」

「それは……自分に合ってるとは思ってないけど、さすがにすぐには無理かな。住む部屋がなくなっちゃう」

「……そうだよね。生活のために、無理を承知で働かなきゃいけないことあるよね」

 フェリスは、苦い思いを笑みでとりつくろう。

 サリーは、口元だけの笑みで。

 互いに苦しい笑みを交わした。

 体力がないフェリスだが、病弱というわけではなかった。

 いっときでも住む部屋を失うことを恐れるのは、精神を安らげる場所を失うことであり、女にとっては危険に直結することだからだ。

 サリーはうなずくしかなかった。

 自分の商売には、もう引き込めない。とはいえ、昼の光をあびる仕事のツテはもっていない……

 不意に、ルイ・コスギの顔が思い浮かんだ。警官なら顔も広いはずだ。

 セットで面倒なダグの件も片付けてくれないものかと思う。パブではファーストネームで親近感をアピールし、事件性をにおわせて焚きつけたが、のってくれるかは五分五分だった。

 面識がない人間の言葉である。まして、後ろ暗い商売もしている。通常なら、鵜呑みにして動くことはないだろう。

 しかし、フェリスが関わってくるとなると、ルイには無視できないはずだ。首尾よくいけば、フェリスの安全は確保され、自分の商売への影響もなくなる。

 そして、フェリスのことを思っているらしい警官とフェリスは……

 どうなる?

 サリーは、訊かずにはいられなかった。

「あのコスギっていう警官、どう?」

「どう……って?」

「打算でも本気でも、付き合っておいて損はないと思うけど」

 敵としての警官は面倒くさい存在だが、味方になれば融通をきかせ、安全を得るツテにもなる。

「損得で考えること、もうやりたくないかな。サリーの前で言うのはなんだけど」

 だったら余計に知りたくもあった。

 本気の付き合いなら?

 行く宛がなかったフェリスを拾ってから半年後、女の客をあてたことがある。問題なくこなしていたことを思うと、指向面で選択肢から外れることはない。

 仕事でやる作業的行為と、感情を優先させていいプライベートでは、事情が違うかもしれないが。

「あたしの歳でヘンだけど……」

 フェリスが考え込みながら言葉をつづけた。

「本気で付き合うってどういうことか、まだよくわからなくて」

 胸が痛くなる台詞だった。サリーは答える言葉をえらぶ。

「ヘンじゃない。急いで答えを出すことじゃないからさ。愛さ……大事にされる経験が増えたら、わかってくることだと思う」

 恋愛感情のまえに、フェリスには人としていつくしまれる経験が必要だった。

 過去を詳しく聞いたことはない。

 なくても、出会った経緯から想像はついた。幸せな家庭で育っていたら決していないであろう場所で、姿で、いたのだから。ストリートに立つ女の、典型パターンのひとつといえた。

 しかし——と、サリーは自分のことも考える。

 これほどフェリスを気にかけながら、その先に進もうとしないのはなぜか。

 姉を気どっているのだ。そう思い込もうとすることに、答えが出ていた。

 自分も怖いのだ。

「本気」がわからないというフェリスと同じく、否定されることが。

 求めても否定が返ってくるかもしれない恐れから、足踏みしているだけだ。

「あたしに大事にされる価値なんてあるのかな」

「あたしにとっては、かけがえのない……仲間だよ」

 たいせつな一言が、特別な言葉が、やっぱり言えない。

 煮え切らない自分への苛立ちを、先ほどから感じる粘つく視線の元凶に転嫁する。

 デリカシーの欠片まで捨てた無粋が近づいてきた。

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