2 デッドフィッシュじゃない訳は

「話してるところを失礼。フェリス、仕事のあとでいいかな?」

 フェリスの表情が、目に見えてこわばった。

「サリー……ご、ごめんなさい、あたし──」

「違うよ、怒ってないから。黙って姿を消されたのは確かにショックだったけど、話したいのは別の話だから」

「紹介してもらっても?」

 外野は黙っているべきだが、ぎこちない空気をやわらげたい。ルイが口を挟んだ。

「えっ……彼女は、その……」

 狼狽するフェリスに、サリーと呼ばれた女性が助け舟をだした。 

「フェリスは仕事に戻って。サボってると思われるかも。マスターの機嫌を損ねたら面倒なんでしょ?」

 小さく息を呑んでカウンター内へと振り返った。わずかに上がったフェリスの肩に、緊張がうかがえる。

「あんたと同じ黒シャツ着てる男がマスターだよね。客との雑談ぐらいで、口の中に苦虫を詰め込んだ顔を見せるなんて、ケツの穴が小さいったら」

 グッド・ルッキングな女性の口から飛び出した思わぬ言葉に、カルロスが付け合わせのサラダを吹き出しかけた。すんでのところで防ぎ、むせながら笑っている。

 そんな場とは異次元にいるように、フェリスは硬いままだった。

「サリー、あたし……いまは……」

「わかってるから」

 ルイを気にかけるように見やった仕草にうなずいた。

「この近くで深夜でも酒抜きで話せる、静かな店ある?」

「二ブロック西に行ったところ、『クリスタル・ダイナー』なら」

「じゃあ、そこで待ってる。仕事が終わったら、きて」

「閉店まで結構時間あるよ?」

「あたしのことは気にしなくて大丈夫。じゃ、あとでね」

 フェリスは曖昧な笑みを返答にして戻っていく。


 サリーがフェリスを目で追ったまま突っ立っていると、

「セルフ・オーダーですよ、この店」

 女性警官のほうが声をかけてきた。

「フェリスが店の作法を説明しなかったことからして、帰ってほしいんだろうけど……ここ、いい?」

 同席を了承してもらい、サリーはイスを引いた。

 もうひとりの警官は、我関せずで皿をきれいにしている。異存はないの表明ととる。サリーから切り出した。

「おなじみさんみたいだね。引っ込み思案なあの子が、あんな顔してるの見ると」

 話しかけながら、女性警官のネームプレートをさりげなく確認する。「コスギ」か。

「フェリスとは、どんな関係? 警官と市民? それとも、特別な感情で?」

「いきなり突っ込んだ質問するなあ」

 口の中のものを飲み込んだもうひとりが輪に入ってきた。こちらは「カルロス」のネームプレート。

「後者の質問なら、おれに訊くべきじゃないか?」

「アミーゴにとっては、あの子はただの店員でしょ?」

 カルロスが軽く眉を上げた。

「お巡りさんの前では口に出せない、そういう商売してるからわかるのよ」

 サリーは、追及を続行する。

「で、オフィサー・コスギの答えはどうなの?」

「両方」

「へえ……」

 サリーは、満足げな笑みを口元にうかべた。

 真っ正直に応えてくる姿勢は悪くない。この警官だから、フェリスも親しくなったのかもしれない。

「あたしの『そういう商売』を詮索する前にすっぱり答えるの、いいね」

「『そういう商売』をしている貴女とフェリスとの関わりは、どう解釈すれば?」

「関わりがあったのは昔の話。いまのフェリスに、やましいとこはない。あたしは、サリー・ラミレス」

 握手をもとめて右手を出した。

「ルイ・コスギ」

 応えてくれた右手をほどよい力で握った。

 死んだ魚みたいな握手はしない。

 形ばかりの無気力な握手にしなかったのは、親愛のしるしからではなく、頼みたいことがあったから。

 

「やましいことがないフェリスのために助けてほしい。憶測なんだけど——」

 サリーの視線が、店の奥へと動いた。

 ルイは、その先を追う。六フィート約182cmの男が、調理場とカウンター内とを行きつ戻りつしている。

「マスターがどうかした?」

「ダグ・デービス。名前は平々凡々だけど、サイドビジネスで外れてるとこ歩いてる」

「ストップ」

 待ったをかけたのはカルロスだった。

「休憩時間中のおれたちが聞く価値、あるのか?」

「内容を確かめる気もないわけ? お巡りのサラリーしか興味ないなら、この話はやめとく」

 無駄のない動作で立ち上がる。

 テーブルを離れるまえ、ルイに視線をもどした。

「フェリスのこと本気で思ってるんなら、失望させないでよ」

 それだけ言うと、挨拶の言葉もなしで出て行った。

 警官コンビは黙って見送る。

 青ワンピースがドアの外に消えるところを見計らって、カルロスが切り出した。

「情報屋ってわけでもないのに、ネタをもってきた理由は? この店がラミレスの商売敵で、フェリスを出汁にして、おれたちを利用しようとしているって可能性は?」

「それも憶測だよね」

「……調べるのか?」

「叩いてみたら、でっかい埃が出たりして」

「何もないかもしれない」

「警官に突っ込まれたくない商売をしている人間が、『助けて』なんて気軽に言ってこないでしょ。自分の埃が叩かれるかもしれないリスクを天秤にかけてのことだろうし」

 最後の一口をたいらげていたカルロスが、塩っぱい顔になった。

「めんどくせえなあ。けど、パブの店員まで巻き込んでたら厄介だしなあ」

 フェリスに気をまわしている。

「といっても、刑事資格のないお巡りだしね。合間にやる余裕もないし」

 口ではそう言っておいたが、自分で下調べすることを考えた。

 カルロスの懸念どおり、フェリスに害が及ぶなら、事前に手を打っておきたい。手に余ったら、カルロスに協力を求めるとして。気の置けないベテラン刑事もいる。

 腕時計を見やったルイは慌てた。休憩時間がもうない。カロリー補給を急いだ。


**


 隠れた商売をするには、ふたつの方法がある。

 奥深くに隠して、人の目が届かないようにするか。他のものに紛れ込ませ、見過ごすように仕向けるか。

 醸造所に目をつけたのは、後者ができるからだった。電気の消費がかさんでも、工場であれば怪しまれない。ニオイは大量の麦芽の搾りカスでまぎれてしまう。本命の客は、呑みにきた客にまぎれて目立つことはない。

 ブルーパブを繁盛させることは、一挙両得の儲けになった。

 ホール係は適当に雇い入れていた。

 そのなかで、フェリスは拾い物だった。

 安い給料でよく働き、指示には忠実に従おうとする。パトロール警官を馴染みにした想定外はあるものの、これぐらいは切り回せる自信があった。

 ホールにいるタイミングで、客のひとりがビール片手にサインを送ってきた。指にはさんだ紙製コースターが、三角形に折られている。

 もうひとつの商売の時間だった。

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