二章 サリー・ショーアップ
1 今日もサンドイッチ
「一週間もしないうちに独立記念日だな」
「そだね」
「いつもより走り回ることになるな。スリとか、小競り合いとかで。ルイも体力つけときたいよな?」
パトロールカーのステアリングを操作しながら、カルロスがアピールしてくる。薄い褐色の肌が汗で光っているのは、カーエアコンが古いせいだ。食事メニューを変えることに必死になっているわけじゃない。はず。
ルイは気づいていながら、わがままを通した。
「だから栄養がつくクラブサンドでいいじゃない。ベーグルサンドの中身はチョイスできるし。あと、カルロスの好きなパンバソ(チョリソーを使ったサンドイッチ)もあったでしょ」
「この二週間、その三パターンのローテーションだぞ! いくら好きでも飽きるよ」
飽きただけではない。店をかえたい理由は、ほかにもあった。
「せっかくの休憩なんだから、別の店で気分転換しようぜ」
ふたりが入っているナイト・シフトは、午後三時から午後十一時三十分まで。途中、タイミングをはかって食事休憩を入れる。忙しさのピークがくる前にすませる食事は、その日の気分で選んでいた。
それが変わったのが二週間前。フード男の強盗未遂を処理したことをきっかけに、ブルーパブのフードメニューが食事となる毎日がはじまった。
そして、小柄な身体でホールを動き回っている女性店員に、ルイは飽きることなく視線を注いでいた。
カルロスもつられて、目をむけたことがある。
いささか表情が硬いものの、酔いのテンションに支配されている客に懸命に応えている。容姿だけでないく、性格もよさそうだ。
相棒の目は悪くなかった。悪くはないのだが、
「あの子みてると、乾いた心が満たされる気がするんだよね」
カルロスの知らない世界に入っているルイにはついていけない。Mrs.Right「運命の人」発言から、相棒の
「あんたのそんな言葉を聞くたびに、おれは自分の中の何かが、すり減ってる気がしてる」
カルロスがおごるといっても、ダダをこねても、ルイの食事タイム百度参りは継続していた。プライベートを仕事に持ち込まなかったルイだけに、ここまでやるとは意外だった。
とはいえ、安全に仕事をこなすためのツー・マン・セルである。食事より無線を優先させて現場に急行なんてこともあるから、おいそれと各自勝手に食事をとるというわけにもいかない。
承知のうえで行動を変えようとしないのは、ルイがそれだけ本気なのだろう。ためしに訊いてみた。
「これだけ通っても良い反応もらってないんだから、あきらめて他の女にしろよ。声かけてくるやつ、いるだろ?」
「やだ」
「一言かよ」
「ワンナイト希望は、声かけられたうちに入らない」
「このゼイタク者!」
ルイの見目は悪くない。ショートでととのえた黒褐色の髪は艶やかで、外回りの仕事をこなしなしていながら、肌の肌理も細かい。一般男性と並んでも見劣りしない身長——自分より少し高いのだ、クソッ——があり、欠かさないトレーニングで、アスリート体型を維持している。
この条件であっても警官という仕事が、パートナーを見つけるハードルになっていた。
オフの時間が合わない、危ない仕事の人間と付き合いたくない、バッチを持っているヤツは遠慮する、などなど。候補として避けられる理由には事欠かなかった。
ほかに理由があるとしたら、
「仕事中にアプローチするから、片手間と思われてるってことないか?」
「シフトあがりじゃ、日付が変わる時刻だよ。親しくなれていないうちは、まだ非常識な時間。だからいまなの。相棒思いのカルロスは協力してくれる」
「断定されてもな」
「カルロスやさしい、好き!」
「そりゃ、どうも。男は対象外ってやつから言われても、ちっとも嬉しくない。でもさ……」
カルロスは、ここ最近の定位置にパトカーを停めた。
「仲が深まっても、友人から先はノーってなったらどうすんだ?」
「それはないと思う」
「えらい自信だな」
「同性がダメっていうのは、カンでわかるんだ。友人の付き合いに限定されても、それはそれでOK。残念ではあるけどね」
「ヤケ酒になったら付き合うよ」
そこまで腹が据わってるんならまあいいかと、カルロスも納得する。
麦芽の香りに出迎えられるのは、ビール工場を併設している店ならではといえる。店の裏手かどこかに、麦芽の搾りかすの山があるに違いない。
誘惑の香りに包まれながら、警官コンビは店に入った。
まっすぐフード・カウンターに向かう。最初のオーダーは、自分から出す必要があった。
二人に減ったホール係のひとり、小柄な女性店員──フェリスが迎えた。
「毎日きてくれるのは嬉しいけど、飽きませんか?」
カルロスがすかさず同調する。
「そう思うよな⁉︎ いっそタコ料理のほうがマシ──いでっ!」
おしゃべりの口元をルイが裏拳でなでた。物理的行使で黙らせから、笑顔をそえたオーダーを出す。
「フェリスが給仕してくれると美味しいから。ベーグルサンドをスモークサーモンで」
「そこは同意する。おれはコーンビーフ。辛味を強くしてくれる?」
「おまかせを。チップをはずんでくれるお客さんの好みは覚えてますから」
冗談を交えながらオーダーを書き留めたフェリスが、思い出したように言った。
「お好きな席に座ってもらっていいんですよ?」
「食事だけだから、ドア横やトイレの前で充分。ありがとね」
ビールの追加オーダーにきた、別の客に場所をゆずった。
空いている席に向かいながら、カルロスが嘆く。不人気なテーブルへの不満ではなかった。
「くそっ、呑みてえなあ。クラフトビールに包囲されてんのになあ」
呑んでいる客の表情にあおられる。ブルーパブに来ているのに、食べるだけなんて。
来るたびに、この欲望と闘わないといけない。同じメニューが続くことより、こちらのほうがつらそうだった。
堪能している客たちを指をくわえて見ながら、ドア脇のテーブルにつく。
急な指令がはいっても、すぐ外に飛び出せるし、店内がくまなく見渡せるので都合もよかった。
ふたりしてガンベルトの装備をずらし、おさまりよく座ろうと努力する。
「ルイもよく頑張れるよな。おヒメさまのリアクションは、客に対する態度から進展がないのに」
「きっと人見知りなんだよ」
「人生、ポジティブになるのは悪くないか」
「恩にきるから、もうちょっと付き合って」
メニューに飽きたからでも、仕事中にプライベートを持ち込むからでもない。カルロスがこの店を渋るいちばんの理由をルイもわかっていた。
トラブルの予防になるからと、制服警官の客を歓迎する店がある一方で、厭がる店もある。そういった、よくあるパターンとは別だった。
強盗未遂を蹴飛ばして平身低頭したマスターの不愉快な素行を、平時でも見ることがあるからだ。
気に入らない客をつまみ出すことがあるにしても、アルコールを扱う店にしては許容度が低すぎる。店員を顎で使う様子も、気分のいいものではなかった。
警官をやっていると、ひとのネガティブ要素が際立って見えてくる。味や値段が文句なしだったとしても、休憩時間を過ごしたい店ではなかった。
フェリス詣でに良い結果が出なかったとしても、相棒には借りができたなとルイは思う。
カルロスは、相棒に借りを返したかった。
ヘマをしたとき、いつも助けてくれたのがルイだ。
証拠品を誤ってゴミコンテナに捨てたとき、一緒になって底から引っくり返して探してくれた。
上司であるギブソン巡査部長の愛車に、うっかり引っかき傷をつくったときは、タッチアップペンで〝修理〟してくれたりもした。
ああだこうだと文句を言ってはいるが、メニューの3パターン・リピートで、ルイの望みがかなうなら安いものだと思っている。
ただ、素朴な疑問もあった。
給仕に勤しんでいるフェリスを目で追っているルイに訊いた。
「気がいいだけっていうのも物足りなくないか?」
「性格は大事。あと顔は最高」
「うん、まあそうだけど。おれなら、もうひとりの赤毛のほうがいいと思うんだよ。会話以外の付き合いもするなら」
ルイは、バストも腰もボリュームに申し分のない赤毛の女性店員を一瞬見やり、
「カルロスは首から下しか見てないの?」
「ルイは首から上しか見てないだろ?」
「……なんか、すごい失礼な会話になってない?」
「……だな。やめよう。で、まじめに答えるとどうなんだ?」
「顔に惹かれたのは否定できないけど、仕事中にキャンディーなめるような人は、選択肢に入らないってのもある」
「食ってたっけ?」
「頬の片方がふくらんでた」
さり気なくカルロスは、赤毛のほうに目をやる。
「よく気が付いたな」
「キャンディーやガムを口にしたまま対応されるのが嫌いだから、目にとまっただけだよ」
そこからルイの表情は、目に見えてかわった。
ベーグルサンドの皿を両手に、こちらにやってくるフェリスには、喜色をあふれさせた顔をむける。さっそく、話のタネをふった。
「ペンは右で書いてたけど、ほんとは左利き。だよね?」
フェリスが驚いた表情を返した。
「どうしてわかったんです?」皿をおきながら訊く。
「腕時計が右側にあるから、そうなのかなって。左で書くと手が汚れるから、書くときだけ右手の人っているし」
「当たりです。でも、手が汚れるっていうより、まわりの人と同じようにしたかったんです」
笑みに少し陰が入ったような気がしたが、すぐに苦笑にかわった。
「左利きなんて、目立つほどのことじゃないって、わかってはいるんですけど」
「ほかのひとはどうでも、フェリスにとっては気になったんだよね? 他人の意見なんて無視していいんじゃない?」
「え……あ、ありがとう」
一瞬あっけにとられたような表情を見せたあと、少しだけ唇をほころばせた。
「仕事で動き回るんでしょ? サンドイッチでお腹すきませんか?」
「全力疾走にそなえて満腹は避けてるの」
または、飲食店で言葉にするのもはばかられる、阿鼻叫喚な現場に行かされないとも限らないから。
「それに、みんなにはディナーの時間でも、おれたちにとってはランチだしな」
「シフトが午後三時から、十一時三十分までなんだ」
さり気なく勤務時間をアピールする。その時間を外せばフリーだよ。
「同じような時間に働いているんですね。あたしは十二時三十分までですけど」
言いたいことをわかってくれたかは、微妙。
なのでルイは突き進んだ。
「仕事前に会わない? コーヒーの美味しいところに案内──」
ざわついた気配に振り返った。
近くのテーブルにいた客たちの視線を集めながら近付いてきたのは、ルイとそう変わらない歳の女性だった。
手足の長いスラリとした姿態に、濃い褐色の肌に映える青のワンピース。理知的な顔立ちに、艶やかさを同居させている。
ルイとカルロスの視線も釘付けにされ、そろって声を上げそうになる。
強盗未遂のフード男を報せてきた女性だった。
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