第64話 止まない不穏は焦燥を駆り立てる(1)

「兄貴ー、今日メイの散歩頼まれてくんない?」


「おう、構わないけどどしたん?」


「お婆ちゃん、膝が痛いんだって。今晩雨かも」


「なるほど。便利なんだか不便なんだか」


 

 綺麗な夕焼けが西の地平線を染め上げ、長閑のどかな街並みを一段と情緒ある風景に飾る夕時、妹の要望に従って裏庭へと降りた。犬小屋前の窓にも縁側があり、そこでは祖母と愛華さんが仲睦まじく会話している。1週間でこの二人もしっかり馴染んでるから、こちらとしては気苦労がない。

 


「あっ、蒼葉くーん! あたしもお散歩行きたい!」


「そう言や行ったことなかったっすね。近くの河原で1時間くらい歩きますよー」


「いい運動になりそう♪ それじゃお婆さん、メイちゃんお預かりしますね!」


「ほっほっ。賑やかになって、メイも喜びそうだねぇ〜」

 


 恐らくワンコ以上に大喜びしてるのは俺であろう。表に浮かれ気分が露わになると恥ずかしいので、必死になって抑えてるのだから。

 真っ黒な毛並みを包むようにハーネスを装着し、赤いリードを繋げてると、様子を見に来た陽葵がニヤけた面でからかってきた。

 


「めっちゃ嬉しそうじゃん。よかったね〜、大好きな彼女がついてきてくれて」


「なぬ!? そんなに顔に出てんの??」


「鏡見てから行った方がいいレベル」


「マジかよ……」

 


 念のため玄関に戻って姿見を確認するも、割かし通常通りとしか表現できない。そう思って安堵した途端、くにゃっとだらしない面構えに変わっており、妹の指摘に納得してしまった。鏡に映る瞬間、無意識に力が入っていたらしいが、俺が顔に出やすいのなんて今に始まったことではない。開き直って待たせてる犬のもとに向かうと、更に分かりやすい人を発見した。

 門の手前で待機中の愛華さんはぴょこぴょこ飛び跳ねており、満面の笑みで左手を振り回している。隣でお座りする犬とリードを持つ陽葵に至っては、唖然としつつ若干引き気味ではないか。こんなに無邪気で可愛らしいお姉さんなのに。

 お散歩セットのバッグを背負って駆け寄れば、右手にはシッポを振る利口な忠犬、左腕には鼻歌を歌う美人を携えて、いざ鬼ヶ島へ——なんてノリで出発した。ところが腕を組んで密着してる分、歩く度に揺れる弾力感が俺の意識を侵食し、数分歩いた時点で散歩どころではない。

 


「愛華さん、もしかしてわざとですか?」


「えっ? なんのこと?」


「すみません、自意識過剰だったかも。あの、ずっと胸が当たってまして……」


「あはっ、それはわざとだよーっ♪ 気にしてくれてたんだ♡」


「気にすると言うか、気を取られると言うか……」


「あんなチュウしたあとなのに、ドキドキしてるのあたしだけなのかなぁって思ったから」


「いや、それは勘違いっすよ。あなたが平然としてたんで、妙な雰囲気を出さないようにこらえてました」


「……そっか。うん、安心したし、手繋ごっか♪」


「不安だったんですか?」


「ちょっと違うかな。あたし、自分からこんなに誰かを想うの初めてで、ちょっと戸惑ってる。いきなり距離が近くなったら、ただ嬉しいってだけじゃなかったの」


「家族みたいな関係では物足りないってことですか?」


「それはそれですごく幸せ。でも、まだ女の子でいたいと言うか………自分で思ってたよりも、キミのことが好きで仕方ないみたい」

 


 確かに俺達は色んな過程をすっ飛ばして、親兄弟公認の仲になっている。彼女にとって家族と思える存在が拠り所になるとは言え、最初に求められたのは恋仲としての俺なのだ。いくら実家で上手くやってるとしても、突然夫婦のような落ち着いた関係になるわけじゃないし、打算的に一緒にいるわけでもない。こんな状況を当たり前だと思わず、正直な気持ちで恋心を育む段階なのだろう。

 彼女の為だと盲信して見誤った自分を反省しつつ、10分ほど手を繋いで歩いて行くと、街の境にある大きな川が見えてきた。正確には川と道路を隔てる小高い土手が映っただけなのだが、幼い頃からほとんど変わらない景観は、奥の川辺までも鮮明に想像させるのだ。

 


「愛華さん、これも俺の一部です」


「今のキミを作った大切な思い出なんだね」


「えぇ、婆ちゃんと犬連れて来たり、友達とサッカーしたりして遊んでました」


「懐かしの場所でのお散歩デートも、なんだかグッとくるね♪ メイちゃんもいい子に歩いてるし♪」


「この子は今や俺よりここに詳しいっすよ。高校生になってからはあまり来てなかったんで」


 

 他愛のない話にも手のひらが熱くなり、彼女と結ばれてる幸福感を再確認できる。力ではなく、想いの強さで繋がる手を引いて信号を渡れば、目の前に広がる見慣れた景色が壮大に思えた。

 風にそよぐ野原の草花も、光の粒が煌めいて揺蕩たゆたう水の流れも、記憶の中身とはまるで別物。白浜海岸で得た衝撃とは比べ物にならない、日常に彩りが加わった感動なのだろう。なびく髪を押さえながら見渡してる横顔が、自然な輝きを取り戻していて嬉しくなる。

 丘を下って緑に囲まれた道をのんびりと進み、昔のことなんかを語り合ってると、不意にズボンのポケットがブルブルと振動した。

 


「蒼葉くん、スマホ鳴ってるね。美里ちゃんじゃない?」


「ですかねぇ。また新情報かな——って、まさかのりっちゃん!?」


「……橘さんとまだ連絡取ってたの?」


「いえ、断じてありません! 別れて以降、シフトの用件くらいしかやり取りしてませんよ!」


「そっか。そうなると、彼女にも何かあったのかな? 止まりそうにないし、電話出てあげた方がいいかも」


 

 愛華さんに軽く詫びを入れてから画面をタップし、恐る恐る耳元に近付ける。久々に聞いた元カノの声は、何やら切羽詰まっていた。

 


「もしもし、石切です」


「あっ、急にお電話して申し訳ありません! 石切さんに可及的かきゅうてき速やかにお伝えしたいことがありまして、今お時間って平気ですか?」


「うん、一応平気だよ」


「よかった。実は今日、お昼過ぎから勤務だったのですが、貴船さんのご主人とおぼしき人物が来られまして……」


「えっ!? それでりっちゃん達は何もされなかった!?」


「はい。他には主婦さん達が働いてましたが、来店後、売り場にいる私の所に真っ直ぐ来たんです。私達の関係を把握してる口振りで、石切さんの居場所を尋ねられました。もちろん知らないと答えましたが、あちらは特定してるような言い方をしてまして……」


「俺の居場所を特定してる!? それ詳しく聞かせてほしい」

 

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