第60話 悪夢も白昼夢も薙ぐ旋律の中で
昼下がりのドライブ中、なぜか助手席に座っていたのは妹であるが、荷物運びを手伝ってくれた上に退屈もしてなさそうで、こんな家族との時間もたまにはいいものだろう。帰宅後は一階と三階の物置部屋に積荷をしまい、必要な物だけ客間に持ち込んで、最早客間とは
家族全員に礼を言った愛華さんは俺を呼び、涼しくなってきた縁側に座って重めの表情を浮かべる。淡々と語られたのは、最初の話し合いを終えた弁護士による進捗内容だった。
「なるほど、向こうはそんなに早くから準備を始めてたんすね」
「うん。やっぱりあたしがどう動くのか、大体予想できてたみたい」
「でも録音までされてたのが、唯一あいつにとって予想外だったのか」
「あのスマホは旦那と付き合う以前に使ってたから、存在自体知らなかったんだと思う」
報告を要約するとこんな感じだった。
連絡を受けた和春はすでに弁護士を雇っており、互いに代理人同士での交渉となる。奴が初めて専門家に相談したのが、去年の11月末だと言うから驚きだ。
あちらの主張は『夫としての役割を果たしてるにも関わらず、不当に離婚を迫られるなど断固拒否。どうしてもと言うのであれば、妻の変化を不審に思って独自に浮気調査等を行っていた為、非を認めて慰謝料を支払え』とぬかす始末。自身の悪逆非道を棚に上げてどの口が言うか。
更に不可解だったのは『妻を全力で支えていた自分に対し、二度目の流産後に突然離婚したいと申し出てきたショックが大きかった。それでも夫婦生活を続けられるよう接し方を変えたり、責務を果たせば過度に干渉しない約束をして関係修復を試みたものの、逆に不倫を疑う結果になってしまった』と、謎の被害者意識を貫いていたことである。しかしこの件については歪んだ主張にしろ、愛華さんに心当たりがないわけでもなかった。
「あれ以上期待を裏切るのが怖くて「和くん子供好きなんだから、離婚して家庭を持てる人と一緒になってもいいんだよ」って伝えたの。あの一言が引き金になったのかな……」
「それって相手の為じゃないですか。しかも本当は慰めてほしかったんでしょ? 思いやりと不安を敵意だと捉えるなんて、自分本位にも程がある」
「でも、確かにあの時までは良い旦那だった。あたしも言葉を選ぶべきだったとは思うんだ」
「じゃあその後は何をされました?」
「えっと……無表情で固まった後、いきなり顔を叩かれた。手を挙げられたのはそれが初めてで、痛みより驚きで動けずにいたら、「俺をバカにしてんのかお前は!」みたいにいっぱい怒鳴られて——」
「もう結構です。そんなことでDVに走ってる時点で、奴は絶対にまともじゃありません。ひた隠しにしてきた本性が露呈しただけでしょう」
当然その辺りも聞かされてた彼女の弁護士は、証拠品の重みを把握させて告訴も
その時、お茶菓子を運んだまま背後で聞いてた母ちゃんが、噂話でもするような声で口を挟んできた。
「なーんかその弁護士さん怪しいのよねぇ。若い女性だって言うし、そっちこそ不倫なんじゃないの〜?」
「やたらと情報握ってる上に、往生際が悪かったからってこと?」
「んー、まぁそうね。ほとんど女の勘だけど」
「おいおい、一気に説得力が急降下してる。てか本当に弁護士とできてたら、さっさと婚姻関係切りたいじゃん」
「普通はそうだけど、向こうは公務員でしょ? 下手な別れ方できないじゃない。自分は真摯に向き合ってたのに、妻が原因で別れました。その際相談してた弁護士と意気投合して、新たな人生を歩むことにします。綺麗なシナリオよね〜」
和春の余裕と愛華さんへの仕打ちを考えれば、おいそれと否定はできない。執着してるのに放置してた態度も、何ヶ月も前から相談してた行動の
疑問を残しながらも、隣にいる彼女がやり切れない面持ちを露わにしており、膝の上にある小さな拳を左手で包み込んだ。
「悔しいけど、少し悲しいって心境ですか?」
「あはは、蒼葉くんはあたしの感情にすごく敏感になったね〜。なんかさ、結局利用されてたんだなぁって思ったら、なんでずっと我慢してたんだろう……ってね」
「俺が全部一緒に背負って生きていきます。だから奴の好き勝手にはさせず、最後くらい気分よく締めましょうよ」
「蒼葉くんの手って、こんなに大きかったっけ? なんだか頼もしいね」
「気のせいっすよ。そう簡単に変われやしません」
微笑を零した母が立ち去っていき、愛華さんがゆったりと俺の肩に身を委ねる。出逢ってから色んな表情を見せてくれて、そのどれもが元々秘めてた心でありながらも、自分に負けない為に乗り越えていく強い人。恵まれた環境しか知らない俺では、その苦しみを本当の意味では理解できないかもしれない。であれば、何をすべきかなんて決まっている。彼女の世界をこちらに引き込めばいいのだ。
のんびりと泳ぐ巨大な雲を見上げ、湿った空気の流れを肌で感じてみれば、夏という季節も案外悪くない。左腕に触れる温度の方が暖かいのに、心地好い香りと共に全身を包んでくれる。そんな二人の時間に浸っていると、家の奥から歓喜に湧く声が耳に届いた。
「蒼にぃこれすげーっ! 花火いっぱい入ってんのが、いっぱいある!」
「おう、いっぱいがいっぱいですんげーよな。父ちゃんが買ってくれたから、ありがとうしとけよー?」
「うん、もうした! 蒼にぃもオレが喜ぶからって選んでくれたんだろ! ありがと!」
「う、うん。俺は本当に選んだだけで、金は
「晩メシ食ったらみんなでやるって! 愛華ねぇねも一緒にやろーぜ!」
「いいねーっ、あたしも花火大好きなんだ〜♪ 楓樹くんはどんな花火が好きなの?」
「ん〜とねぇ、
「さ、三尺玉……? 打ち上げ花火は確かに綺麗だけど、家庭では難しいかなぁ〜」
「愛華さん、真面目に答えなくていいっすよ。楓樹のやつ、知ってる単語をテキトーに使ってるだけなんで」
「そーなんだ、無邪気で可愛い♪ 蒼葉くん、ありがとね♡」
「ん? なんでこの流れで俺が感謝されてんすか?」
「だって、あたしを喜ばせようとしてくれたんだなぁって思ったから♪」
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