第59話 誰が為に夜明けを謳う(2)


「蒼葉くん、あたしに嘘ついてたでしょ」


「はいっ!? なんすか急に? 愛華さんに嘘なんてつかないよ?」


「じゃあ謙遜なのかな。キミの言葉通りに受け取って、だいぶ誤解してたよ」


「陽葵に色々と吹き込まれたんすね」


 

 夕食を終えた愛華さんは、妹に呼ばれてリビングを出ていった。約束通り食後の休憩に、二人で女子トークでもしてたのだろう。

 そして家族が順次風呂に向かう中、俺は客間の押し入れから布団を引っ張り出して、二人分の寝床を準備していた。戻ってきた愛華さんに一階の風呂場を教え、眠る準備が整ったタイミングで、彼女が頬を膨らませたのが現在だ。

 


「中学3年生の時に何があったか、詳しく教えてもらったの」


「あぁ、もしかして柔道のことっすか? 県大会初戦敗退はガチっすよ」


「不戦敗だよね。地区大会では全国2位の相手に一本勝ちして優勝したのに、そのあと交通事故で入院して……」


「前年度はそいつに惨敗したんで、幸運と不運が同時に舞い込んだ結果っすね」


「でも、その人に尊敬する顧問の先生を罵られて、見返す為に必死で練習したんでしょ? 自分の不注意で大怪我しなければ、兄貴は違う人生を歩めてた——って、陽葵ちゃん後悔してた」


「んなことないって何度も言ってんのに。倒したかった相手に勝って気が抜けてた俺じゃ、どっち道勝ち上がれません。それ悟って柔道やめたんですから」


 

 あの当時が最も無我夢中に生きてたのは間違いない。コンプレックスだった小さい体も気にならなくなって、がむしゃらに強さを追い求めた。そんな時期があったからと言って、熱が冷めた俺に取り柄なんてありはしないのに、陽葵はどうして今更の話を愛華さんにしたんだか。

 腑に落ちないまま布団に転がり、組んだ両手を枕にして蛍光灯の輪っかを見つめてると、まだ髪が湿ってる愛華さんが上からしがみついてきた。

 


「キミは自分が変わったと思ってるでしょ」


「……まぁ、今は必死になるほど空回りばかりで、迷い無く打ち込むって感覚から遠ざかりましたね」


「でもね、陽葵ちゃんが見てきたお兄ちゃんは、あたしが好きになった人と同じだったよ。優しくてあったかくて、自分より誰かの為に一生懸命になれる、笑顔が可愛い素敵な人」


「それって俺があなたに抱いてる印象とほぼ同じっすよ」


「あはは♪ じゃーあたしら似た者同士なのかな☆」


「そうやってずっと笑っててほしいんだ。今はその方法を探してる」


「……そっか。キミのそばにいられれば、それで充分なんだ……けど」


 

 声がみるみる細くなったかと思えば、愛華さんは安心し切った表情で目を瞑り、俺の上で穏やかに寝息を立て始める。終始昂ってた上にイベント盛りだくさんな一日だったから、さすがに疲れたのだろう。枕元のリモコンでライトを消し、彼女を抱えながら瞼を閉じた。


 翌朝を迎え、借りてるアパートから荷物を回収する為に外出の準備をしてる最中、父と妹が協力を申し出てくれる。父ちゃんの通勤用の車も使えば俺の私物まで一気に運べるし、女性物に関しては陽葵が引き受けると言うではないか。

 ちなみに愛華さんは弁護士から連絡がくる予定なので、今日は実家で待機。そもそもリスクは最小限に抑えたいから、同行させるつもりはなかった。申し訳なさそうに縮こまる彼女は、今も父ちゃんと陽葵に頭を下げている。

 


「何から何まで本当にありがとうございます。本来であれば私が行くべきですのに、わざわざお休みの日を使っていただいて、なんとお礼を申し上げたら良いのか……」


「ハッハッハ、気にせんでください。力仕事は男の領分ですし、私にとっては息子を手伝う延長上に過ぎないんですとも」


「明月さんは弁護士さんとの大事な話がありますから、私達に任せてもらって平気ですよ。勉強の息抜きにもなります」


「ありがとうございます、お父様、陽葵ちゃん。あの……蒼葉くん、くれぐれも向こうでは気をつけてね」


「はい、警戒はおこたりません。それじゃいってきます」


 

 ファミリー向けのワンボックスカーは、車高や重さに慣れてしまえば運転はし易い。先行して父の車を誘導しつつ、広々した後部座席でくつろいでる女子高生に声をかけた。


 

「陽葵が手を貸してくれてすごく助かるよ。でもなんでこっちに乗ったんだ?」


「あのエロ親父と二人じゃ、またセクハラされるし」


「昨夜のこと、意外と根に持ってたんだな。勉強は大丈夫だったのか?」


「ご安心を。この通り参考書は持参してきたから、今も読んでる」


「車の中で読むと酔うから、あまりお勧めしないけどなぁ」


 

 一番近くのコインパーキングに駐車した時点で、出発から一時間程度。久しぶりに来たこの部屋とも、本日中に不動産屋に話を通して契約を解除する予定である。周辺の様子は至って自然であり、誰かが探りを入れた形跡も無い。手筈通り愛華さんの私物は陽葵にまとめてもらい、家具や重い物から父と二人で運んでいった。

 8人乗りのファミリーカーは分解したベッドも楽々呑み込んでしまい、全て積んだところでまだ余裕がある。用事を済ませた頃には太陽が真上を越え、ファミレスで昼食を摂った後、父ちゃんの提案で帰り道にあるショッピングモールに立ち寄った。

 


「母さんに頼まれた日用品はこんなもんか。他に何か必要な物あったか?」


「そう言や婆ちゃんの扇風機が調子悪そうだったな。夏も終盤だけど、冷房苦手だからあった方がいいかも」


「それなら上に電気屋あるよ。てか兄貴よく気付くよねそーゆーの」


「久しぶりに見たらだいぶ古くて、気になっただけだよ」


 

 このフロアでの会計をしようとレジに向かう途中、季節の変わり目で叩き売りのように設置された、ある物が大量に並んだ棚に足が止まる。彩り豊かなそれらは、数の少ないお手軽な物から、豪華なセットまで様々だった。

 


「ほう、夏の定番だな。陽葵や楓樹は小さい頃から大喜びしたし、湊斗は素直じゃないけどなんだかんだ楽しむだろう」


「と言うより、兄貴が思い描いてるのは明月さんの笑顔なんじゃない? 彼女も好きなの?」


「聞いたことないけど、こういうの好むイメージ。愛華さんは夏が好きなのに、今年は色々と大変で、海に行くくらいしかできなかったからなぁ」


「よし、それならいっちょ大人買いでもしてみるか! こんだけ色んな種類があれば、家族全員気に入るもんがあるだろうさ!」


「そんなこと言って、お父さんがやりたいだけなんじゃないの〜?」


「おう! 父さんは陽葵の笑顔が見たいぞぉ〜」


「あー、はいはい」

 

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