第58話 誰が為に夜明けを謳う(1)

「ハッハッハ! こんなに華やかになると、なんか我が家ではないみたいだなぁー!」


「ふん、華がない娘で悪かったですねぇ」


「そんなことないぞ! 陽葵は父さん自慢の愛娘だ。可憐な乙女で頭も良くて、お嫁に行く日を想像しただけで、父さんはもう……」


「親バカだる……やっぱ自分の部屋行くわ」


「あー、待ってくれ! 大人しくするから、もう少し愛華さんと同じフレームに収まっててくれよぅ。愛華さんも私の娘、可愛いと思うでしょ?」


「はい♪ 陽葵ちゃんはキリッとした表情とスレンダーな体型が格好良くて、笑顔とのギャップがとっても可愛らしいです♪」


「よく熟知してらっしゃる! だけどごめんなぁ陽葵。胸だけは遺伝的にも、愛華さんみたいには——」


「うるっさいんだけど。自分の毛根の心配でもしてろよエロ眼鏡親父!!」


「ひどいっ! 確かにパパ最近抜け毛に怯えてるけど、眼鏡は20年来の友達だよ!」


「兄貴、あとよろしく」


「へいへーいっと」


 

 妹に勉強を教えてる間に、愛華さんは母や弟達と一緒に買い物を済ませていた。その後ハンバーグのレシピを一通り伝授され、いざ実践してる最中に帰宅したのが父である。

 俺はまだ三階にいたのだが、下の階の騒がしさに気付いて降りると、父ちゃんが腰を抜かしそうになっており、愛華さんが駆け寄って謝罪していた。単に見知らぬ美女が家にいて驚いただけに見えるが。

 上機嫌な父は俺達の説明を受けつつ、分かりやすく百面相ひゃくめんそうしてた。唖然とした後に号泣し、慰められてから照れ笑いの挙げ句、大爆笑する始末。自室でシカトしてた陽葵をわざわざ呼び付け、渋々リビングで勉強してたものの、妹にも我慢の限界が訪れたのがついさっき。ちなみにこの中年オヤジは現在シラフである。

 お客さんに良いとこ見せようと、母ちゃんの指導を素直に聞いて黙々と料理に励む弟達に比べ、父ちゃんの印象は出だしから最低ラインに違いない。挽回する術を模索しつつ、食卓周りを拭き掃除してると、とばっちりがこちらに向けられた。

 


「どうした蒼葉、まだ悩みがあるのか?」


「え? あぁ、掃除してるから?」


「お前昔っから考え事中に掃除するよな。清掃員の仕事とか向いてんじゃないか?」


「いや、逆に悩みがなければあんまりしないし」


「ったく、極端な男だなぁ。またうちの会社見学でもしたいってんなら、父さんは一向に構わんぞ」


 

 今言おうか悩んでたことをあっさり悟られてしまった。だらしない姿で場の空気を乱したとしても、一家のあるじであることには変わりないということだろう。こちらの話に気を取られた愛華さんが興味津々だったので、詳しくは夕飯の時まで待ってもらい、父ちゃんとは世間話に切り替えた。

 30畳あるLDK全体が香ばしい匂いに包まれた頃、祖母と妹を呼んで全員が揃う。食卓を飾った俺の大好物は、香りだけで美味いと確信する出来栄えで、思わず隣で微笑む彼女の手を握ってしまった。

 


「これっすよ愛華さん! 目玉焼きも乗ってて超美味そう! てか絶対美味い!」


「今日はお母様が付きっきりで、湊斗くんと楓樹くんも一緒に作ったから、絶対に美味しいよ♪ レシピ覚えたし、もういつでも作ってあげられるからね♡」


「さすが愛華さん、感激っす!」


「本当に手際が良くて、私が手を貸すまでもなかったくらいよ〜」


「母ちゃんのお墨付きかぁ、やっぱすげーや。湊斗と楓樹も頑張ったなー!」


 

 こんな調子で黙々と飯を頬張り、父ちゃんは大好きな日本酒も入って更にテンションが高い。子供達が料理の流れを得意げに語る中、ほろ酔いの中年が自分の母親に絡み始める。

 


「なぁお袋、俺もそろそろ親父に追いついたかな〜?」


「ほっほっ、親に確認してるうちはまだなんじゃないかい?」


「そりゃ厳しいぜ。どうあったって自分の中じゃ創業者が一番だわ」


天禄たかよしに任せるってあの人が言ってたんだ、先代との差は二代目お前の目で評価するしかあるまいて」


「んなこと言っても、長谷さんがいなけりゃ会社の維持も叶わなかったからなぁ」

 


 会話の内容は身内にしか分からない。度々父ちゃんの口から出る弱音を聞いて、学生時代はよく衝撃を受けたものだった。俺の知る限り夫婦関係は常に良好で、家計が傾いたこともない。疲れた様子を見せることはあっても、父ちゃんが仕事の不満を家に持ち帰ることはなかった。だからこそ、誰かに承認を得ようとする姿は違和感しかなかったのだ。

 隣に座る愛華さんも不安そうに見つめており、解説しようとした矢先に父の声が届く。

 


「情けないところをお見せして面目ない。息子の変化を目の当たりにしたら、私自身も向き合わねばならんことがありましてね」


「情けないだなんてそんな……あの、お父様は会社経営をなされてるのですか?」


「おっと、愛華さんはもしや詳細を聞かされておりませんか?」


「ごめん父ちゃん。自分の自慢話でもないから、家族構成くらいしか伝えてないんだ」


「なるほど、蒼葉らしい。私が代表を務めてる会社は、元々私の父が独立して作ったんです。湊斗が産まれた翌年に父が他界し、当時営業部長だった私は、遺言に従っていきなりトップの座につきました。日々の重圧が今とは比較にもなりません」


「想像を絶する苦労をなされたんでしょうね……」


「父の右腕だった大先輩がいなければ、組織はとっくに崩壊してましたよ。それでも私は学生の頃から、尊敬する父の背中しか追ってなかった。その反動か、自分の子供達はできるだけ自由にさせてますね」


「でも父ちゃんは俺に継いでほしかったんだろ? そうじゃなきゃ、毎年何度も会社見学をさせたりしない」


「興味を持つか試してただけさ。だが考えてみれば、お前は自分の為に必死になることってなかったよな!」


「よく分かんねぇけど、自分が接客好きなのは最近知った。父ちゃんの会社でもそういった部分を一から教わりたい」


「おう、任せろ! 食品卸売業ってのはな、単に流通を担うだけじゃなくて、メーカーと消費者の声を聞いて双方を支援できる。仕入れや配送なんかより、情報を得て提供する深い接客が重要だぞ!」

 


 本音を言えば、まだしばらくフリーターを続けながら、自由が利く生活に浸っていたかった。けれど離婚後の愛華さんを支えていくには、頼れる居場所があるだけではなく、俺自身の自立が必要不可欠。両親には以前から好きに生きろと言われてきたが、それが彼女と歩むことだと決まった今、就職先の候補を再確認しておいて損は無い。

 妙に張り切る父親が嬉しそうに見える反面、やはり隣の陽葵だけが、瞳の奥に憂鬱感を滲ませていた。

 

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