第57話 表と裏の確かな千思万考

 それは昼食時に唐突に巻き起こされた。

 しばらく愛華さんと客間でまったりしてた俺は、「ご飯だぞー」と陽葵に呼ばれてリビングに向かい、弟達や祖母と共に席に着いた。茹だった蕎麦が母の手でざる蕎麦の形に盛られていき、全員で食べ始めたまでは良かったものの、次男だけ落ち着きがない。得意分野を披露しようと、ちゃっかり大画面にゲームを繋いでおり、5分足らずで完食してしまったのだ。

 椅子を降りた湊斗がテレビのスイッチを入れた途端、口いっぱいに頬張ってた末っ子は瞼をカッと見開き、半分以上残した状態で騒ぎ立てる。

 


みなにぃズリーぞ! オレもやるって言ってんだろ!」


「だったら早く食べなよ。僕が楓樹を待たなきゃいけない義務でもあんの?」


「ふざけんじゃねーよ!! 口デカいから食うの早ぇーだけだろ!! ズルじゃん!」


「……あのさぁ、喋ってるからお前は遅いんだろノロマ。いいから口を動かしなよグズ」


 

 非常に見苦しい口論である。小学生同士とは言え、譲らない両者から罵詈雑言ばりぞうごんが飛び交って聞くに堪えない。

 俺の両隣に座る女子二人の反応は対照的であり、右にいる妹はガン無視の無表情で食べ進めていた。反対側の愛華さんは苦笑しつつもちょっと楽しそうで、放っておいたら応援を始めそうなくらい瞳が輝いている。

 当然ながら母ちゃんが放置するはずがなく、赤鬼に豹変して雷を落とした。

 


「いい加減にしなさい!! これ以上喧嘩するなら、二人の部屋からテレビとゲーム全部撤去!! 言葉は武器になるんだって何度も教えたよ!」


「ちっ、なんで僕まで。テレビに映さなきゃいいんでしょ?」


「みんなが食べ終わるまでは静かにね。楓樹はお蕎麦好きなんだから、もっと味わえばいいじゃない」


「ちぇ〜。湊にぃ部屋戻ってやれよなー」


 

 ブツブツ言いながらも逆らわない辺り、母親としての威厳の強さが窺い知れる。

 静かになって食事が再開されると、愛華さんは特に気にしていないながらも母ちゃんから謝られ、ついでに陽葵の助言に耳を傾けていた。

 


「ごめんなさいねぇ。男の子だからか、なんでも張り合おうとするのよ」


「いえいえ、元気いっぱいな証ですし、あたしも元気を分けてもらってる気分です!」


「こんなの日常茶飯事なんで、明月さんもできれば聞き流しちゃってください。うるさいだけでレベル低いし、こっちがアホらしくなってきますよ」


 

 その言葉にいち早く反応したのは、アドバイスされた本人でも食卓の面々でもなく、ソファに座って聞き耳を立てていた湊斗である。


 

「なんか聞き捨てならないんだけど。悪いのは突っかかってくる楓樹なのに、僕にも責任があるみたいじゃん」


「そりゃそうよ。喧嘩なんて同じレベルで張り合うから起こるんであって、小6が小1にムキになった時点で負けでしょ」


「ハッ、よく言うよ。暴力で済ます姉ちゃんのが単細胞生物くらいの知能じゃないか」


「本当は手を痛めるのも嫌なんだけどね。学習能力低くても人様に迷惑かけるの見過ごしたら、それこそ私が無責任だもの」


「あ〜ヤダヤダ、これだからブラコンは困るわ〜。兄ちゃんの前ではいい顔するし、弟よりも優しくすんだから、ガチでキモいわぁ」


「……うっざ。兄貴がお前の歳の頃は、もっと思いやりがあったっつーの」


「あのー……はいっ、はいっ! ちょっとだけよろしいでしょうかっ?」


 

 俺が引き合いに出されて妹の声色が変わった直後、立ち上がった愛華さんが手を挙げて割り込んだ。婆ちゃん以外が呆気に取られて注目する中、彼女は真剣な眼差しで母ちゃんを見つめている。

 


「不躾ながらお願いがありまして、私にハンバーグの作り方を教えていただきたいんです! というものなのですが」


「ほっほっ、刻み野菜を練り込んだ物なら、蒼葉が昔から大好きだったねぇ〜」


「あっ、それですお婆様! レシピを調べてたんですけど、どれが好みかピンときてなくて……」


「あら〜、蒼葉の為に作ってくれるの? 他の子もよく食べるし、少し材料を買い足すだけで済むから、今晩はそれにしましょっか」


「じゃーオレも作る! 愛華ねぇねの手伝いするー!」


「楓樹バカなの? 料理なんてやったこともないクセにできるわけないじゃん」


「湊にぃのがバカだろ! やったことねーからってやらなかったら、一生できねーよ!」


「……はぁ。弟が足引っ張りそうだから、僕も手伝おうかな」


「ありがとう楓樹くん、湊斗くん♪ よかったら陽葵ちゃんも一緒にどうかな?」


「ごめんなさい、私は勉強があるんで」


「そっかぁ、受験生だもんね〜」


「あっ、でも食後はいつも休憩入れてるんで、その時私の部屋でお喋りしません?」


「わぁー、すっごく楽しみ♪」

 


 兄弟喧嘩の中でも陽葵が巻き込まれた際、これまで仲介役を務めてきたのは俺だった。しかし愛華さんは宥めるでも注意するでもなく、全く別の内容に意識を向けて、瞬く間に鎮めてしまったではないか。こうやって話題をすり替えるの、結構得意だよな。

 食事を終えてからはもちろん弟達の遊び相手を任され、愛華さん共々慣れないゲームに悪戦苦闘中。そんな折、リビングに戻ってきた陽葵から勉強を教えてくれと頼まれて、三階にある妹の部屋に移動した。


 

「俺の学力じゃ大した助力にならないぞ」


「大丈夫、休み明けのテストの為に数学を教えてほしいんだ。理系科目は兄貴のが上だよ」


「まぁそういうことなら。てか臨床心理士目指して文学部ってのも、かなり意外だったなぁ」


「心理学科ってのがあるからね。面白そうだったよ」


「陽葵は本好きな上に俺と違って思慮深いから、向いてる気がする」


「ありがと。そんでこの関数のグラフなんだけどさぁ……」


「ん? あぁ、この式は基本形にするとこうなって、んで点線引くだろ。中心がここで交点がこの座標だから、これに沿って反比例のグラフを書くんだよ」


「へぇ〜、あっさり出てくるもんだねー」


「数学は割と好きだったからな」


「知ってる。でも兄貴さー、これからあんまり好きじゃないことやろうとしてるでしょ?」


「……いや、好き嫌い以前に、今までどうやって興味を持てばいいのか分からなかっただけだよ」


「やっぱりね。またお父さんの会社見に行くつもりなんだ」


 

 友人にも隠し事ができないくらいだから、妹相手に秘密を作れるはずがない。特に陽葵の場合は、目ざとく人の心を覗いてくる。だが曇る表情の裏側は、微かに俺にも読めていた。

 

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