第55話 騒々しくも晴れ渡る幕開け(2)


 次男の湊斗は何やら誤解したらしく、玄関まで聞こえる大声で抗議した後、更にデカい母ちゃんの怒鳴り声が家を揺らした。相変わらず騒がしい一家で、若干恥ずかしくなる。

 キョトンとした愛華さんは階段の奥を見上げ、徐々に不安の色を滲ませるものの、直後に母ちゃんが降りてきて背筋を正していた。

 


「うるさくてごめんなさいねぇ。ようこそいらっしゃいまし——あらあら、湊斗が驚くのも無理なかったじゃないの」


「母ちゃんまで何を言い出すんだよもう……」


「はっ、はじめまして、明月愛華と申します! この度は押し掛けるような形になってしまい、申し訳ありませんでした!」


「気にしなくていいのよ〜。蒼葉を見れば分かると思うけど、うちは緩い家ですからね」


 

 そんなことを言いながらも、石切家が緩い感じなのは主にこの中年女性が原因である。

 タメ語と敬語も曖昧に挨拶した母ちゃんは、一階の奥の部屋まで愛華さんを案内し、まずは婆ちゃんに軽く紹介。その流れで二階に来るよう促され、折り返しのある階段を静かに登った。

 後ろから二人を見ると、女性の平均くらいある母ちゃんの方が少し背が高い。それでも脚の長さは愛華さんのが長そうで、スタイルの良さが際立っていた。

 二階に上がるとすぐ右手側にリビングがあり、キッチンやダイニングと一体型なので開放感に優れている。一歩踏み入った愛華さんは、感心した様子でオープンキッチンを眺めていた。

 


「お茶入れてくるので、座って待っててくださいね〜」


「あ、お構いなく」


「さっきより表情が自然っすね。いつもの調子が戻ってきました?」


「うん。お母様がすごくフレンドリーで、緊張が抜けてきたよ♪ 蒼葉くんの目元とか雰囲気の柔らかさって、お母さん譲りなんだね〜」


「マジすか? 全然自覚なかった」


「自分では気付かないかも♪ それにしても、ホントに豪華なお家でびっくりだよ。一階だけでもドアがいっぱいあったし、キッチンも広々して使いやすそう♪」


「二世帯用の造りなんで、風呂とトイレとキッチンは一階と二階にあるんすよ。家自体は7LDKだったかな?」


「7LDK!? ここだけでもこんなに広いのに!?」

 


 隣の席で分かりやすく興奮し、前のめりになって顔を寄せる愛華さんがとても微笑ましい。住み慣れた建物の構造を簡単に説明してると、冷たい緑茶をグラスに注いで運んできた母親が、それを並べて正面に腰を下ろした。まるで公園を散歩する老婆みたいな目をされ、幼い子供か群れる鳩にでもなった気分である。

 


「まさか蒼葉の最初の彼女さんが、こんな美人さんだなんてねぇ〜」


「え、最初……?」


「あら、やっぱり前にも相手いたの? 5月に来た時も雰囲気違ったものねぇ」


「あはは……言ってなかったけど、その頃は別の子と付き合ってたんだよ。もう無かったことにしたいけどさ……」


「ふーん、まぁいいわ。明月さんは、愛華ちゃんって呼んだ方がいい?」


「あ、呼びやすい方で構いません」


「それじゃ愛華ちゃん、何があったか言える範囲で大丈夫だから、教えてもらえる?」

 


 それから彼女は離婚に関すること、身寄りがない生い立ちや体質の件まで、包み隠さず全てを語り尽くした。初めは苦い顔をする程度だった母も、境遇を知った辺りから鼻を啜って、過酷な人生に同情以上の共感をしてるようだった。

 重々しい空気に包まれるものの、愛華さんの面持ちは決して悲観的ではない。強い決意を感じると同時に、のしかかる重圧からまぬがれたような、そんなしたたかさを匂わせるほど真っ直ぐな目をしている。俺の家族の前でしおれるわけにはいかないという、彼女なりの配慮なのだろう。

 覚悟を察した俺は椅子から降りて横に移動し、床に額を擦り付けた。


 

「勝手なことは重々承知で、それでも頼む母ちゃん!! 俺はどんなことをしてでも愛華さんを守りたい! だから力を貸してください! 何年かかっても必ず恩は返します!」


「蒼葉くん、それはあたしが——」


「二人共とりあえず座って。あんたはすぐペコペコするから、土下座の価値が低いわよ」

 


 母親にバッサリ切り捨てられ、渋々座り直した俺と愛華さん。当てられる視線が左右に行ったり来たりしており、頼み込む方法が悪かったかと息を飲む。ところが愛華さんをじっくり見た後、母ちゃんは穏やかに告げた。

 


「愛華ちゃん、あなたがこの先どんな道を歩むのかは、自由になってから決めればいい。世話になったからって無理して蒼葉といようとしたら、苦労を繰り返してしまうもの」


「そ、そんな! 蒼葉くんと無理にだなんて——」


「それくらい、後の人生の方が長いって意味よ。だからね、今は自分の想いと向き合いながら、ここでゆっくり休みなさい。離婚なんてどーにでもなるから、専門家に任せておけば平気よ」


「あっ、あのっ、私………っ!」

 


 両手で口元を覆った愛華さんは、言葉を詰まらせたまま大粒の涙をボロボロ零し始めた。受け入れられたことや、自責の念を見抜いた上で解く時間をくれるような発言に、込み上げる感情が止まらないのかもしれない。右手で彼女の肩を抱き寄せれば、悲しみでも恐怖でもない温もりを帯びた涙に、もらい泣きしてしまいそうになる。

 正面からの眼差しは見守りつつも冷やかしの意図が見え隠れし、微妙にありがたみが削れる虚しさを覚えるも、気付けば俺達ではなく出入り口を向いていた。

 


「ふふっ。愛華ちゃんのことが気になるのは、私だけじゃないみたいね〜」


「え? あ、ドアがほんのちょっと開いてんじゃん」


「湊斗ー、覗き見してたらムッツリした子に思われるわよー?」


「だっ、誰がムッツリだ!!」

 


 赤い顔でリビングに飛び込んできた弟は、母親を睨みながらもこちらを横目で窺っている。どうやら愛華さんは小6の男児までも魅了してしまったらしい。

 涙を拭った彼女から挨拶を受け、なぜか2、3歩後退りした湊斗だが、不機嫌そうに顔を背けて一応返事をした。

 


「こ、こんちは。ぼ、僕の部屋に兄ちゃんの置いてった漫画いっぱいあるから、暇だったら取りに来てよ。客間に泊まるんでしょ?」


「わぁ〜、お兄さんと前に漫画の話してたんだー♪ あとで行かせてもらうね。ありがとう湊斗くん♪」


「うっ………べっ、別にゲームとかもいっぱいあるから、貸してあげたっていいし」


「あのなぁ湊斗、愛華さんはお前のじゃないんだぞ?」


「わ、分かってるよそんなこと!」

 

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