第53話 巡り巡って未来への逃避行

 昨晩母ちゃんからメッセの返事が届いた後、電話をかけて金曜に行くこと、彼女と一緒にしばらく泊まりたい旨を伝えた。それに対しての反応は「構わないわよ。荷物を預けたいって言われた時から、予感はしてたもの。もう眠いから事情は直接聞かせてちょうだい」とあっさりしたものだった。我が親ながら面倒のない人で助かる。


 日付が変わり、店では親友と元カノに一悶着あったものの、今日の帰り道は追っ手らしき人物が見当たらなかった。尾行が巧いのか、或いは本当にいなかったのか。とにかく浅間さんと無事に帰還し、一息入れてホッとしていた。

 独りで待ってた愛華さんは余程寂しかったのだろう。料理をしつつもお喋りが止まらず、その姿を見て和やかさと同時に淋しさを覚えた。友人とのこんなやり取りはしばらくお預けとなる。生き甲斐になるくらいの充実感を経験し、初めての恋愛を知るキッカケとなった職場にも、もういつもみたいに顔を出せない。二人の声を聞いてそれを実感させられ、愛しい人の後ろ姿をぼんやりと眺めていた。


 

「んー? 蒼葉くん、今えっちなこと考えてたでしょ〜♡」


「うそぉ? そんなヤラシイ顔してました!?」


「ううん、可愛い顔してたよ♡」


「じゃあなんで変な言い方を……」


 

 振り返った愛華さんにスケベ扱いされたかと思えば、手を洗ってエプロンを着けたまま、椅子に座った俺の目の前までやって来る。と言うか二つの柔らかさと腕の中に優しく包まれ、真っ暗でなんにも見えないんですけど。

 


「あむぉ、むぁむぁかふぁん?」


「ごめんね、ツラい思いさせちゃって。これはキミのせいじゃないよ」


「ぶぁいびょぶぶぇふ。あむぁぷぁふぉいっふょむぁら」


「んー? 蒼ちゃんなんて言ってんの?」


「だいじょぶです。あなたと一緒なら——だって♪」


「すげ〜、私には全然分かんなかったわぁ」


「だって聞く前から分かってたもん。蒼葉くんならこう言うって」


 

 浅間さんの笑い声が響き、耳まで熱くなってきた。二人きりなら至福のひとときだが、他人に見られながら子供っぽく扱われると、想像以上に恥ずかしい。この数日間、よく愛華さんは平気で甘えてきてたなと関心してしまう。


 美味い夕飯で満腹になり食休みに専念してる頃、空気を震わすやかましいエンジン音が徐々に近付き、このビルのすぐそばで停止した。直後に浅間さんが部屋を出ていき、戻ってきた彼女の背後にはヘルメットを持つ寒川さん。特に改造はしてないそうだが、一体どれだけ排気量の多いバイクなのやら。

 稽古を終えて一旦帰宅し、この先の段取りや注意点を小姑のように説きに来た先輩は、仕事中より遥かに口うるさい。真剣そのものな表情から察するに、本来は面倒見が良くて仲間思いの人なのだろう。

 歓談中も刻々と時は流れ、22時半に迫ったタイミングで荷物の最終確認を行い、いよいよ出発の為に重い腰を持ち上げた。


 

「それじゃ浅間さん、来週からの学校頑張ってね。寒川さんの舞台も期待してます!」


「あのねぇ石切くん、もっと緊張感を——」


「まぁまぁ。蒼ちゃんと愛華さんも落ち着いたら連絡ちょーだい♪ 寂しくなったら寒川さんのバイクで駆け付けるからさ☆」


「ありがとう美里ちゃん。必ず決着付けて、蒼葉くんと一緒に帰ってくるよ」


「うん! そしたら四人でゆっくり飲み行こうね☆」


 

 外の様子を見てきた寒川さんからGOサインを出され、駅を目指して浅間家を旅立った。


 穏やかな夜空には痩せた月が煌々と輝き、そよぐ夜風が気持ちいい。隣で見上げる愛華さんの横顔も、幻想的な美しさで見蕩れてしまう。仲間達とは普段通りに別れて憂慮を誤魔化したけど、綺麗な風景がこの門出を祝福してくれてる気がした。

 チラホラすれ違う人々に怪しげな様子はなく、もちろん尾けてくる気配も無い。キョロキョロしてる自分が一番怪しいくらいで、思わず鼻で笑ってしまったその時、無言で歩いてる愛華さんがこちらをジーッと見つめていた。

 


「さすがにこんなに見回すと不審者っぽいですかね?」


「……ううん、全然。ちょっと後悔してたんだ」


「後悔? 一体何を?」


「あたしがもっと早く旦那を訴えると決めてたら、今頃証拠もたくさんあって、みんなをここまで不安にさせることもなかったのになぁ……って」


「それができないように抑えつけられてたんすから、仕方ないっすよ。それにあの男、あなたが本気にならないって侮ってましたから、弁護士の交渉がきたら案外ボロを出すかもですよ」


「かもしれないね。自分の行いを反省してくれるといいんだけど」


 

 当然ながら今の発言に同意はしても、期待はしていない。罪をかえりみることができる人間であれば、こうなる前に罪悪感が渦巻いて止まっただろう。

 それでも愛華さんの願いは裁くことではなく、間違いを認めさせて離婚し、気持ち良く新しい生活を始めること。内側から湧き出す自責は枯れておらず、ただの犯罪者と被害者で終わらせるよりも、夫婦として決着をつけないと心が砕けてしまうのだろう。こればかりは本人の問題であり、弁護士も意向を汲んだ上で交渉を進めてくれるそうだから、俺は守ることに尽力するのみ。


 無事に駅に到着して改札を抜けるも、俺達より後にホームに来る人がいない。予定時刻に電車が到着し、ギリギリまで待ってから乗り込んだが、本当に尾行はなかった。

 先回りしてた可能性も考えてみたものの、30分強で乗り換える際にその懸念も消えた。何せ同じ駅で降りた人の中で、この連絡通路を渡ってるのは俺達だけなのだから。

 念の為一駅先のホテルにしたけど、軽く拍子抜けである。

 


「誰もいないね〜」


「ですねー。まぁ予約を取り消すのは申し訳ないんで、そのまま向かいましょう」


「うん。こんな時であれだけど、蒼葉くんが育った街を見るのすっごく楽しみ♪」


「最近では開発が進んじゃって、昔みたいに長閑のどかな雰囲気はないっすよー」


「それくらいがちょーどいいかも。あたし田舎育ちだから」


「そういや地方でしたもんね。田舎でのんびり暮らすってどんな気分だろう」


「車がないと買い物も大変だし、遊ぶ場所もないよー」

 


 すっかり気を緩めて最終電車に乗り、15分ちょい揺られて降り立った馴染み深い空気感。大して感慨深くもないが、今回は少しばかり巡る思いもある。

 愛華さんの傷を癒し、少しでものびのび暮らしてもらえるだろうか。うちの家族を気に入ってくれるだろうか。

 そんなことを考えながら、ホテルに到着した。

 

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