第52話 重なる不条理は予期せずに

「嘘でしょっ!? 橘さん、自分が何やったか本気で分かってんの!?」


「分かってるので、こうして謝罪してるんです。ですが、なぜ浅間さんに叱責されなくてはいけないんですか?」


「なぜってさぁ、あなたのせいで蒼ちゃん達がどれだけ苦労してると思ってんの!?」


「呼び方まで変えて不自然では? 距離感近いアピールですか?」


「こんの腹黒小娘がぁああ!!」


「とりあえず落ち着いて浅間さん! りっちゃんも煽りは厳禁で頼むよ」


 

 次の出勤がいつになるかも目処が立たない、最終日の退勤数分前。制服姿の親友と、私服のままの元カノが火花を散らしてる経緯は、今日一日の流れと10分ほど前に遡る。


 早めに出発した朝の通勤時に問題は起きず、友人と見合わせてひと安心していた。そんな折に主婦のパートさん二人から謝罪を受け、なんとも奇妙な話を聞かされたのだ。

 彼女らもまた、俺の交際相手を噂してた野次馬を自称する方々。しかし恋人疑惑が向くのは橘莉珠元カノに限り、決して愛華さん今カノではない。睦まじい関係は認知していたものの、これを覆したのは1週間と少し前、外部からの不穏な密告による影響だと言う。

 とある若い男性スタッフが恋人と別れた裏に、貴船という女性との不倫があるなんて、順序デタラメな内容をママ友伝いに知ったのだとか。どこかで二人の現場を目撃されてこじれたのか、はたまた何者かの思惑なのか、それ以上の情報が無く悩み続けた答えが、ついさっき判明したのである。


 杉本さんが元気良く入店し、間髪入れずに元カノが淑やかに通り過ぎたかと思えば、入ったばかりの休憩室から売り場へとバタバタ飛び出してきた。

 この世の終わりみたいな顔をしたりっちゃんは、突然俺の左手を握り締め、謝りながら深々と頭を下げる。説明を求めると、俺達の今後の件を店長に教えられ、居ても立ってもいられなかったらしい。全くもって意味が分からず浅間さんと首を傾げたが、事の発端は自分であると、必死な形相で衝撃の自供をしたのだ。

 


「小学校から付き合いがある友人の母に、ゴシップ好きで軽口だと有名な人がいるんです。近所の人達は面白がって話題をもらいにいくので、つい口を滑らせてしまいました……」


「え……? 滑らせたって何を?」


「彼氏がバイト先の貴船って人妻にほだされて、最後は私がフラれました——と。しかも自分は不倫なのに、私を悪者扱いするんです——とも告げました」


「いや待って、逆恨みもはなはだしいよそれ? なにしてくれちゃってんの??」


「ごめんなさい!! すごく悔しかったんです! 口論中は一方的に批難され、私はあの人のことをあまり知らなかったので、揉めた数日後に嫌がらせのつもりで……」


「えっとね、あの時点では本当に事実無根だし、場合によっては訴えられるよ? 高校生でも侮辱罪とか問われるよ?」


「分かってます。これでも一応、警視庁勤めの警視正けいしせいの娘なので……」


 

 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだろう。彼女の倫理観がどの様にして捻じ曲がったのか、元凶まで辿って物申してやるから因縁を可視化してくれ。

 同様に呆気に取られた浅間さんは、面構えでため息を吐いた後、顎を上げて高圧的に詰め寄った。

 


「あのさぁ〜橘さん、念の為に確認しとくけど、所属部署どこよ?」


「確か今は交通部の執行課? の所属だったかと」


「はぁ〜ん……もういいやぁ。あなたと彼を一時いっときでも応援してた私がバカみたい」


「詳しい事情までは知りませんが、やはり貴船さんにも非があると考えてます。私が噂を流さなくても、遅かれ早かれ石切さんを苦しめていたと思うんです」


 

 ここまでが回想。そして現在、怒り心頭に発した激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム状態の浅間さんを、どうにかこうにか鎮火している最中である。こんなギャル語、もう廃れて誰も使わないだろうか。

 


「なんで!? なんで蒼ちゃんは平気でいられんの!? なんも知らないクセに愛華さんに責任押し付けて、勝手に開き直ってんだよ!? 元カノだからって庇ってるわけ!?」


「んなわけねぇだろうがっ!!」


 

 チラホラ客もいる中、店内に怒号が轟いて静まり返ってしまった。最早言い訳の利かない失態である。

 羽交い締めにしてる友人は半泣きで俺に訴えていた。だが仕事中に私情で揉めるのは避けたいし、そもそもりっちゃんを全否定はできない。納得してしまう部分もある。

 


「この前のの話、あれは君からの注意喚起だったんだね」


「……そんな立派なものではありません。内通はしてませんが、すでにご主人の耳に届いてる可能性を考え、石切さんへの被害を最小限にしたかったんです」


「俺の名前は出てないからってことね。だけど愛華さんを見捨てると思う?」


「なのでまずお二人の想いを確認しました。止まらないと察したので、せめて私を咎めてほしかったんです。仮定じゃなければ許さないと、あなたに叱り付けてほしかった!!」


「………甘えたこと言わないでよ。自分の罪も後悔も自分で背負わなくちゃ駄目だ。叱られて楽になろうだなんて、必死で冤罪を晴らそうとする人への冒涜ぼうとくだよ」


「だってあなたは振り向いてくれないのに、私の価値観を知ろうとしてくれた。言葉では拒んでいても、穏やかな笑顔で心を鷲掴みにする。嫌いになって拒絶してくれれば、共依存を解きたいなんて思わなかったのに……」


「りっちゃんの言い分で一理あるのは、愛華さんと俺に非がある点だね。あんなに隙だらけじゃ痛い目見ても仕方ない。立場をわきまえるべきだった。その後のは全部責任転嫁だから、考えを改めた方がいいよ」


「なっ………またそうやって、どうして私の為みたいに——」


「君の為だから。悪い所ばかりだなんて思ってないし、ちょっと意識すれば直せるのも知ってるから、わざと間違えてになる努力はもうやめなよ」


 

 抑えていた浅間さんの肩はいつの間にか力が抜けて、疲れたようにだらんと垂れ下がる。諭された元カノは膝から崩れ落ち、正面の床にへたり込んで泣きじゃくっていた。

 後味最悪の終わり方を予感するも、裏方から現れた着替え済みの杉本さんにより、多少は和らいでいく。

 


「売り場騒がしかったですけど、ケンカ収まりましたーっ?」


「え、もしやあえて放置してた系?」


「私じゃなくて店長の案ですよー? ここで腹割っておかなきゃ、後々転んだ際に怪我が酷くなるとかなんとか」


「そっか。杉本さん、浅間さん達のことをよろしく頼むね」


「あいあいさァー♪」

 

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