第47話 だから朽ちても譲れない(3)
スマホを片手におぼつかない足取りで人波を泳ぎ、じわっと眼球を覆う涙を腕で拭う。身を隠すにはもってこいだが、一体どこに向かえばいいのか分からない。俺の行先が愛華さんに関与していれば、
怪しげな人影が見当たらなくても疑心暗鬼になってしまい、背後に視線を浴びてないと断言できない。何よりも彼女を馬鹿にした奴の態度が許せなくて、今にも気が狂いそうだった。
小さな店が立ち並ぶ商店街から、駅ビルに囲まれた街の中心地までを、歯を食いしばりつつあてもなしに練り歩く。時折振り返って確認したところで、さっきの男が映り込むはずもない。
漠然とした不安から、いっそ電車で遠くに逃げようかと考えていたその時、左手がブルブルと強く振動した。それは浅間さんからのメッセで、いくつか店を出入りしながら、ゲーセンの上のカラオケに来いとの指示だった。
手筈通りに雑貨屋や電気屋を徘徊した後、20分程かけて目的地に到着する。他の客がいない隙に、受付で用件を述べた。
「浅間の名義で約束してる者なんですけど」
「はい、承っております。お手数ですが、身分証明書のご提示をお願いできますか?」
免許証を見せると、部屋番を告げられるでもなく、番号札とグラスを渡されて通された。
あちこち見回して発見した待ち合わせ場所は、角を曲がった更に奥の方。騒がしい隣に反して、物音ひとつ響かないドアを慎重に開くと、中にはダボダボのパーカーにキャップを被った、ボーイッシュな女の子が一人。紛れもなく友人の姿だった。
「ほれ、早くこっちおいで☆」
「浅間……さん」
「メンドーな手順踏ませてごめんねー。念には念をってことで、受付も厳しめにしてもらったよー。蒼ちゃんの方はドジってない?」
「う、うん……ここに来た時点で誰もいなかった」
「ん。不安でいっぱいだったね」
スっと距離を詰めて座り、優しい声を出した浅間さんに肩をポンポンと叩かれ、言い様のない安堵感に包まれる。収まってた涙が再度滲み出し、ティッシュで繰り返し鼻をかんだ。
悔しさと怒りと悲しみで、冷静な判断力を失ってた俺に、彼女は手を差し伸べてくれた。的確なアドバイスで導き、緊張まで直接解きほぐしてくれる。こんなに心強い味方は他にはいない。
空のグラスを2つ持って部屋を出た彼女は、コーラらしき液体を
「ほい、シュワっと気分爽快だよ♪」
「ありがとう。……聞いてた以上にヤバい奴で、杉本さんがいなかったら、ぶん殴って俺が捕まってたかもしれない」
「あはは、やっぱ
「なんか想像できゃうよ。相手を知った後だと特に」
「ふむ。一筋縄ではいかなそうかい?」
「……どうも準備してたみたいでさ、髪染めてグラサンして、最初の発言に動揺した俺を関係者だって確信したっぽい」
「んー、厄介だね〜。しかも煽りセンスがピカイチとくれば、受け身のままだとしんどいんじゃない?」
「でも攻めるとしたら訴えるってことだよね? 却って激高してきそうだけど」
「とりあえず明日病院に連れてくよ。昨夜見たらまだアザ残ってたし。その足で弁護士事務所行って、早いとこ相手と関係者に連絡入れてもらう。そんで協議書の内容厳しくするか、場合によっては調停でお願いするかな」
「本気で告訴を匂わす意思表示をすれば、相手は
「3年前に兄貴がめっちゃ揉めて離婚したからね〜。帰ってくる度に愚痴られて、そんなん半年以上続けられたら、色々覚えるもんさぁ」
彼女が序盤からしっかり意見をくれてた理由が、ようやく判明した。俺は愛華さんの気持ちを汲んで、相手に好都合な条件だとしても、手っ取り早く離婚できればと考えたけど、それで進めても図に乗るだけなのかもしれない。最初からこの子の忠告に耳を貸すべきだった。
「ごめん浅間さん、君はずっと正しかった。愛華さんを救えるのは、俺じゃなくて君なのかも……」
「なーに弱音吐いてんのさぁ。求めてる本人がキミをご指名なんだから、どんな結末になろうと、愛華さんはキミに救われるんだよ」
「それじゃ彼女が幸せになるとは限らないよ……」
「ねぇ蒼ちゃん、灯ちゃんが入ったばかりの頃、なんであの子がキミに懐いたか覚えてる?」
「え? 俺もバイト始めて4ヶ月目くらいだったし、あんまり」
「あの子って基本
「あぁ、なんかあったね。ん〜っと確か『同じ1時間を過ごすなら、終わりを待つより楽しんだ方が得でしょ?』みたいに返したような」
「そーそー! そんでぇ『どうせならみんなが楽しく稼げる店がいいね!』なーんて言ってさぁ、灯ちゃんがそれ広めまくって、ガチで空気変えちゃうんだもん」
「杉本さんのアシスト強っ!」
「ホントだよねー。でもそばで聞いてた私はさ、この人と一緒ならキラキラした毎日になりそう——とか思っちゃって、もう……ずっとキミばっかり追ってて……」
膝の上に両手を乗せて俯いたかと思えば、零れ落ちる雫でジーンズを濡らす浅間さん。そんなに前から意識されてたのに、全く察してあげられなかった。ずっと良い友達でいてくれたことに甘えて、どれだけの苦痛を背負わせてるのだろう。
堪えきれずに咳き込むような重い悲鳴が、彼女の喉から溢れ出し、その都度胸を裂く痛みが走る。必死で涙を拭う友人に、俺は残酷な宣言をするしかなかった。
「浅間さんの気持ちは嬉しいよ。でもごめん。愛華さんへの想いは揺るがないし、あの人を俺の人生賭けてでも幸せにしたいんだ。そのぐらい、もう好きで好きでたまらないんだよね」
「んぁあーーっ!! フラれる為に話したんじゃないっての! キミのそーゆー理想論に心動かされた人達がいて、感じるままに突き進めるのがキミの強みって言いたかったのー!」
「そっか。浅間さんって不器用なのかもな〜」
「調子乗んなアホっ! これでもけっこーモテるんだから、キミより器用に生きれるよ!」
「それは器用って言うの……? まぁ寒川さんがいるからね」
「寒川さんは……そろそろ隠すの飽きてるでしょ」
「それありそう!」
話題はだいぶ逸れてしまったが、その副産物的に嫌な緊張感は吹き飛ばされた。
浅間さんが持ってきてくれた服に着替え、帽子まで深く被って不審者状態になった俺は、2時間を潰してから愛華さんの下に向かうのだった。
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