第45話 だから朽ちても譲れない(1)

 お盆休みの終了に伴い、組織に属する多くの社会人が襟を正していく中、俺のバイト先には負のオーラが充満している。スタッフ達は各々思うところがあって声を張り出せず、ぎこちない営業スマイルが一段と空気を重くしてるが、これも仕方がない。


 浅間さんの家で一晩過ごし、分厚い雲を見上げながら出勤すると、愛華さんは早速店長に事情を説明した。四十代後半の中年男性はたちまち干した渋柿みたいな顔になり、潤む程度の語り手よりも先に目尻を濡らす始末。親身になってくれるいい人だけど、こうなると望まぬ形で愛華さんが折れないか心配である。

 


「気付いてあげられなくてごめんね。貴船さんの接客はお客様からも評判良かったから、そんな苦悩を抱えてたとは思いもしなかったよ」


「いえ、私が立ち直れたのは石切さんのおかげです。独りではとっくに限界を迎えて、ここでも働けませんでした」


「そうだね。石切くんは危険をかえりみず、心強い支えになれてたんだろうね」


「それは誤解ですよ店長。俺は単に見通しが甘いのと、許せなかっただけですから」


「私はね、考えるより先に動けるのは天性だと思うんだ。君の場合は特に足踏みの時間が短くて、怖くても走り出す勇気がある。そういう見方もできるんだよ」

 


 休憩室が三人の鼻をかむ音で淀み、今日出勤したスタッフには貴船夫婦の関係がそれとなく伝えられた。

 しばらくしてからなんとか盛り上げようとしてみたものの、そもそも天気まで暗くて気分が上がりにくい。いつの間にか13時が迫ってきており、愛華さんは不安な様子を隠せずにいる。

 


「いい? 蒼葉くん。旦那の特徴は伝えた通りだけど、来ても必ず知らないフリをして。捕まえて謝らせようとか、絶対にしないでね?」


 

 190ある長身に、ひょろっと薄めの痩躯。俺より長めの黒髪を下ろすようにセットして、前髪は目の上辺り。シュッとした流し目は多少キツめだが、26歳にしては若く見られる童顔で、癪だがちょいイケメン。写真もあったけど愛華さんとのツーショツーショットだから、正面から注視できなかった。と、嫉妬心が燃えるばかり。

 聞いた特徴はこんな内容で、とりあえず体格差があり過ぎる。24センチもデカい相手にふっかけるとか、さすがに命知らずだ。

 


「大丈夫っすよ愛華さん。にしても、今までそんな男を相手に頑張ってきたあなたは、本当に強い精神力ですよね」


「そんなことない! もしキミがいなくなったら、あたし生きていけないから……」


「物騒なこと言わんでください。残り2時間の間に来る可能性のが低いし、会っても殺し合いが始まるわけじゃないっすからね?」


「やっぱり………帰りたくない」


「いやいや、本気で泣かないで?」

 


 まだ15分は仕事だと言うのに、完全にプライベートモードになって、頬に水滴が伝っている。自分のことは我慢できても、人のことには感情が溢れる、優し過ぎるが故の難儀な涙腺だ。

 弱った俺は彼女をバックルームに誘導するも、後ろから届いた美声に足を止める。

 


「おーい愛華さーん! お迎え来たよー☆」


「浅間さん、タイミングばっちり——って、あれ? なんで寒川さんまで??」


「やぁ〜石切くん。僕は君を笑えないくらい、大馬鹿者かもしれないよ」


「引き攣ってますけど、浅間さんに何かされたんすか?」


「昨日この悪魔からさぁ、『大事な話をしたいんで、二人でランチ行きません?』って連絡来たんで、まぁ何かと思って駅まで行くよね。したら延々と君達の話聞かされて、挙句の果てにボディーガード要員だってさ。笑っちゃうよねホント」


「悪魔ってなんですかぁー! せめてって言いなさいよ、もうっ!」


「あはは……それじゃもう少し色気でも身に付けたら? そこのさんを見習ってさー」

 


 寒川さんからサラッと出た旧姓に反応して、涙を拭いた愛華さんが不思議そうに目線を上げる。対照的に、ギラギラした目付きで先輩を睨んでるバンギャもいるけど。


 

「え、えっと……今、明月って……?」


「あれ、間違えてました? この小悪魔さんに旧姓教わったんですけど」


「あ、あってます! でもその、自然に言われたからびっくりして」


「離婚を決心したならそう呼ぶべきかと。あと巧く使われたようで不愉快ですが、女性二人じゃ危ないのは事実ですし、家まで付き添うので安心してください」


「ありがとう、寒川さん」


 

 夕立みたいにやって来た二人は、愛華さんの元気をあっさり取り戻させた。ほぼ同時刻に出勤した諏訪さん、杉本さんと入れ替わる形で、三人仲良く店を後にする。

 しんみりしてた朝勤メンバーとは裏腹に、遅番の二人はあまり動じてない様子。特に高校生の杉本すぎもとあかりさんは、いつにも増して齧り付くように絡んでくる。

 


「あれ〜? じゃあじゃあ、石切さんって莉珠ちゃんと別れたんですか??」


「ずいぶんと遅い情報だねぇ」


「だってー、噂にはなってても、本人達には聞きづらいじゃないですかー。石切さんと貴船さんが距離近いってのも、貴船さんってキホン懐っこい人だしな〜って感じで」


「杉本さんでも、りっちゃんの変化は気付かなかったの?」


「それは気付きましたよー! なんか大人っぽくなって、傷心中とゆーか成長中〜みたいな?」


「その見立ては間違ってないかもな」


 

 高3にして店で一番小柄な(恐らく145センチない)少女は、全て白状しろとでも言いたげな目を向けてくる。夕方の元気印であり犬っぽい子で話しやすいけど、こればかりは勘弁してもらいたい。ちなみに浅間さんは飼い猫。


 残り2時間が終わりに迫った頃、扉を潜った来店客をつい視線で追ってしまった。見上げる程に背が高い20代であろう若者。うちで高身長と言えば諏訪さんだが、180半ばの彼よりも確実にデカい。しかもひょろっとして細い体。でも髪は赤茶色っぽいツンツンヘアーで、長さを比べるにも目測が立たない。何よりサングラスを掛けてるから、目鼻立ちも分かりにくいのである。

 店内をぐるっと一周したその男は、商品をいくつもカゴに入れてるし、やはりただの買い物客か。風貌に写真や聞いてた印象との相違点が多く、似てる体型を探し過ぎたに違いない。

 一旦切り替えて業務に集中してると、空いた杉本さんのレジに例の男性客が向かい、思わず耳を疑ってしまう言葉を吐いた。

 


「いらっしゃいませー♪ お品物お預かりしまーす」


「ちょっと訊きたいんですけど、ふんわりした明るい茶髪で、綺麗な感じの店員さんって今日来てます?」


「あらー、黒のストレートは私のポリシーなので、ご希望に沿えずごめんなさーい」


「……ふーん。素直そうでも臨機応変に対処するタイプかぁ。すみません、買い忘れを思い出したんで、もう一回選んできますね」

 

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