第44話 目の前で導く手は未だ同じ(2)
空を満たす茜色は地面にも足を伸ばし、騒がしい蒸し暑さと儚げな香りが入り交じる情景。涙で歪む視界の下半分は、浅間さんに彩られている。桃色の細かな髪が夕焼けに煌めき、温かみを増した包容力ある色味を綺麗に映す反面、揺れる度に響く鈍痛が耐え難い。
そして現在俺の身体を抱き寄せてるのは、彼女のぬくもりである。驚きよりも心遣いへの感謝と、絶えず溢れ出す申し訳なさに胸がいっぱいで、目を拭う以外できなかった。
「泣かないでよ。まだ終わったわけじゃないし、なんなら言い訳も通用する段階だって」
「うん、ごめん……ありがとう浅間さん。君の優しさにはいつも甘えてばかりなのに、君の痛みには気付きもしないんだから、本当に俺ってどうしようもないクズ野ろ——」
ボヤいていた俺の口が、浅間さんの手のひらで塞がれた。真っ直ぐに見つめてくる瞳はとても気高く、同じくらい哀愁が漂って見える。
「嘆いてる暇があったら、巻き返しの一手でも考えなさい。私だってできる限り協力するけど、愛華さん自身はあなたにしか救えないんだよ?」
「ごめん、君の言う通りだね。こんなことで挫折してらんないよな」
「だからー、これからだっての! それに蒼ちゃんは……絶対にクズなんかじゃないよ」
友人のおかげで持ち直した後、コンビニスイーツやアイスを何種類か購入し、愛華さんが待つ浅間宅への帰路についた。
ドアを開けると軽快な包丁の音が鳴っており、夕食への期待が高まる。キッチンまで来れば、にこやかに「おかえり〜」と言われるものの、咄嗟に彼女の肩を掴んでいた。
「愛華さんっ!? そんなにボロボロ泣いてどうしたんすか!? また寂しくなったの?」
「ふぇ? 玉ねぎ刻んでただけだよ……?」
「なんだ玉ねぎかぁ〜、焦ったー」
「……なにかあったの?」
「私が説教して蒼ちゃん泣かせちゃってさぁ、ちょーっと感傷的になってるんよなぁ〜」
「そっかー。美里ちゃんに叱られたらダメージおっきいよね〜」
「ちょっと愛華さーん? なんか鬼みたいな言い方すんじゃん」
「違う違う、ずっと近くで支えてくれた、一番大切な友達だからって意味だよ♪」
少しだけしんみりしつつも、愛華さんを二人で手伝うことで、すぐに賑やかな雰囲気が戻った。
食卓を飾っていく料理は相変わらず見た目も香りも極上で、初めて目にする浅間さんに至っては、感動のあまり声も出てない。食べ始めると更に衝撃を受けたのか、幸せそうな友人の顔にこちらもホッコリした。
現段階での要点を愛華さんにも把握してもらい、対策についての素案を伝えると、箸を持つ手が完全に止まってしまう。
「あたしだけが、美里ちゃんのお家に……?」
「まず距離を置かないことには、弁明の余地も無いと思うんです。心配ですが、俺からもこまめに連絡しますから」
「ううん、広まってるならもう隠さないよ。自分で店長達に全部打ち明けて、ただ不倫してるんじゃないって分かってもらう。あたしは人妻じゃなくて道具として生きてきて、この人生を変えようとしてるってちゃんと話すよ」
「手っ取り早い方法だけど、傷口に塩塗るやり方だし、エグい話として広まると思うよ? そしたら旦那さんの耳にも入って発狂したりしない?」
「なくはないと思う。でも次に手を出されたら通報して……傷害事件で方を付ける」
「んー……そこまで決意が固まってるなら、私からは異存ないかな。店に来たら監視カメラもあって、言い逃れ不可避だしねぇ〜」
二人のやり取りは正直聞いてるのも辛い。凶器を使われたらとか、最悪の想定ばかりが過る。しかし嘘を上塗りしていくよりは、真実を告げて味方を増やす方が効果的だろう。
俺はスマホで明日のシフト表を確認した。
「愛華さん達と入れ替わりなのは、諏訪さんと杉本さんか。諏訪さんがいれば対処できるかな」
「んー? どったの蒼ちゃん?」
「旦那が戻るのは明日だから、家から物が減ってるの見て、真っ先に職場に来るかなって」
「どーだろ、夜とかじゃ逆に来ない気もするけど。とりまマナちゃんのお迎えは私に任せてー。すでに手も打ってあるんだぁー」
「めっちゃ助かるよ。だけどどんな対策を?」
「それはその時までのお楽しみ〜♪ あと状況変わるし、蒼ちゃんも明日はここに帰ってきなね」
「あー、そっか。分かった」
食事を終える頃には愛華さんにも笑顔が戻り、ほんの少し肩の力が抜けた。その後女性二人が風呂に入って、俺は宿泊道具と寝床の支度。交代で入浴してから部屋に戻ると、何やら浅間さんが瞼をパチクリさせてる。
「あの青いバッグにマットレスが入ってたの??」
「うん、昨日ホームセンターで見付けたんだ。小さく畳める割に結構膨らんだよ」
「へー、パないねぇ〜。でもこれさ、シングルより小さいのに、愛華さんがキミの隣で寝る気満々なんだけど……」
「いつもそうしてるし、なんとかなると思うよ」
「うん、全く問題ないって美里ちゃん! あたしがギューってするから♪」
「えぇーー……いゃあの、ベッド使う?」
「それは申し訳ないよ。君が床にマットレスで寝るってことでしょ?」
「だぁって見てらんないよぉー。
「まんまお昼寝用だからね」
「美里ちゃん、へーきだって! あたしも蒼葉くんも体ちっちゃい方だし、むしろ窮屈なくらいでちょうどいいんだぁ♡」
「なんなのこの
見たこともない呆れ顔をされてしまったが、お土産のお菓子とデザートを前にした途端、満面の笑みに早変わりする。ついでに愛華さんも瞳をキラキラさせていて、なんとも可愛らしい。
酒は控えめにして、歯磨き後に布団に入ると、普段以上に狭い割に密着感は大差なかった。愛華さんは常にこのくらい引っ付いてくるから。
真っ暗な部屋でも何かを察したのか、ベッドからの呟きが鼓膜に触れる。
「愛華さん、ガチでベッタリなんだね〜」
「えっ、浅間さん見えてんの?」
「影だけね。黒い塊が二つ重なってるなぁーって程度だけど、愛華さんがトロンとしてるのは想像つくよー」
「あたしっていっつもそんなに顔に出てる?」
「蒼ちゃんの前だとデレデレさぁ。1ヶ月前でも様子違うの判別できてた誰かさんは、なかなかの異常者」
「異常者って……あの時はなんか帰りたくなさそうだなぁって、漠然とそう感じただけだよ」
「いーや、私には小指くらいの可愛い恋心が見えたねー。橘ショックを癒されてだいぶ傾いたんだな〜って、今なら分かるよ」
「そーなの蒼葉くん?♡」
「う〜ん、それはどうっすかねぇ」
「絶対そうだよ。私にはムリだったもん……」
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